不飲酒の続き | 法友(とも)へ

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修行班の部屋に入っていくと、「どうしたんですか?」


とか、「何かあったんですか?」


と次々に声をかけられた。



知らない人のために説明をしておくと、オウムでは修行に入るということは成就のための修行を除いて、必ず何か問題があったということになっている。


まあ、大抵の師は何がしか問題を起こして修行に入れられるのであるが、僕の場合は常に修行を怠ることはなかったので一度も修行に入ったことがない。


というわけで、このときの修行班の面々はそのことを知っていて、このように声をかけてきたのだと思う。



そこで軽く事情を説明して、場所を借りることにした。


なんだか順番に監督をやっているようで、ちょうどひとり分スペースが開いていた。


畳の上に毛布を折りたたんで置いてあり、その前には書見台があった。


懐かしいなあと思いつつ、これから究境の瞑想の時間だというので、一緒に瞑想することにした。


このときのメンバーはなぜか女子だけだったような気がするが、あれは何だったのだろうか?



照明が消され、瞑想が始まる。


突然の事だったのでアイマスクは持ってきていなかったが、夜なので目を閉じればそれで十分だった。


蓮華座を組んでツァンダリーを始めると、直ぐに光の中へ没入した。


赤、青、黄、緑、無数の光の球体の中で一緒になって漂う。


それぞれの球体ははっきりと違う色を発しており、その光が混ざり合うことはない。


とても綺麗だ。



瞑想をやらない人は知らないと思うが、瞑想中に見える光はこの世で見るどんなものよりも美しい。


まさにこの世のものではないのだが、自然現象におけるオーロラや太陽の光が作り出す光景は、瞑想中の光と比べればただのぼんやりとくすんだものでしかない。


瞑想中の光はゾッとするほど美しく、我を忘れて見入ってしまう。