かもめのジョナサンの完成版を読んだ。
前作と同様、あっという間に読み終えますな。
まあ、修行者の立場で見れば、どこから見ても修行の話です。(笑)
空間を超えて、時間を超えて、光の存在になる。
修行のプロセス以外の、一体何だというのだろうか。
かもめのジョナサンだけを読んでいると分からないかもしれないが、リチャードバックのほかの作品であるイリュージョンやONEを読むとその意味がはっきり分かるだろう。
それにしても不思議なのは、このリチャードバックという人物である。
すでに悟りを得ているようにも見えるが、修行の大切さを伝えなければならない焦りのようなものも垣間見える。
おそらくキリスト教圏で育ったのだろうが、考え方に東洋的なものを含んでいる。
まあ、いいか、そんなことは。
それよりも大切な事は、解脱を求め続ける重要性である。
グルを求めても解脱しないが、解脱を求めるとグルが現れる。
もちろん、その人のカルマに応じてということになるが。
かつて、ラマナ・マハルシは(昔はラーマナ・マハリシだったんだよなあ。)グルを求める修行者の「あなたは私に神を見せてくれるのですか?」という質問にこう答えた。
「誰もあなたに神を見せることは出来ない。」
かっこいい~。
かっこよすぎる~。
死ぬまでに1回ぐらい、こういうセリフを言ってみたいもんだね。(笑)