一般の人の場合、自分が死んだ後の、残された人たちへの配慮ということになると思う。
これが修行者の場合はちょっと違う。
修行者が考えていることは、もっぱら 次の転生のための準備である。
つまり、
「さあ、死のための準備をしよう。そして、悔いのない死を迎えようではないか。」
ということになる。
しかし、この準備というものも、日頃の修行の中で完成されているというのが、本来の姿であるとは思う。
入念にストレッチを繰り返す愚地独歩に、渋川剛気が「スポーツマンじゃのお。」と声をかける、あの感じでですかね。(笑)
まあ、個人的には、やるべき事は既に終えたので、後は「なるようになれ。」でございますよ。