ラージャヨーガの手法の他にも、ジュニアーナヨーガ的な手法もある。
どちらが向いているかは人それぞれかなと思う。
両方使えるのがベストだと思うが、片方だけでも効果は十分だと思う。
例えば肉体について考えるのであれば、麻原は「腕は私だろうか?」という例を出して説明している。
腕のどこかに私がいるのだろうか?
腕がなくなったら、私は私でなくなるのだろうか?
考えてみれば、腕がなくなっても私が8分の7に減るわけではなく、腕がなくなる前の100%の私のままである。
同様に、足のどこにも私というものはいない。
脳や心臓の様に生命維持に必要なものがなくなってしまうと生きていくことは出来なくなるが、そこに自分というものがいるわけではない。
結局、身体の中のどこを探しても自分というものは見つからない。
では、身体の外のどこかに自分というものがあるのかといえば、外のどこにも自分というものはない。
不思議なことに、自分というものがどこにあるのかを探してみると、自分というものがあることはしっかりと自覚できるにも関わらず、それがどこにあるのかが見つけられないのだ。