ダンテスダイジの修行感並びに人生観というものには、概ね賛成である。
ダンテスダイジは仕事というものは、修行するための余暇を作り出すためのものだと言っている。
その通りだと思う。
まったく困ったものなのだが、修行者という奴は基本的に普通の人生には興味がない。
そして興味がないせいもあるだろうけれど、金儲けの才能もない。
いい会社に就職しようとも思わない。
なぜなら、仕事が忙しくなると修行する時間がなくなってしまうからである。
それでまあ、あまり忙しくならない程度に仕事をしつつ空いた時間に修行をすることになるのだけれど、毎日少しずつの修行ということだとだんだんと進歩はするものの壁を破って大きく前進するというのが難しい。
それでオウムでは極限修行というものをやっていたわけだけれど、これはこれでいいところもあれば問題もある。
理想としては、ダンテスダイジがやったように、自発的に自ら極限修行に入るということである。
ダンテスダイジの場合は基本の修行は座禅なので、とにかく座る。
ひたすら座る。
死ぬか解脱するか、どちらかまで座り続ける。
しかしそれは、凡人にはとても難しい。
座り続けることも難しいが、休みを取るのも難しい。
修行が完成するまで座り続けるということになると、一体何日間休みを取ればいいのかが分からない。
やっぱ仕事辞めるしかないんだろうなあ。
供養に値する魂じゃないと、生きていくのが難しいねえ。(笑)