真理教誕生① | 法友(とも)へ

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個人的にはあまり興味のない内容なので記憶が曖昧なのだが、一応時系列で思いつくままに書いていきたい。



オウムは仏教の皮を被ったヨーガ団体である。


仏教は方便に過ぎず、麻原はただ仏教の解釈を行ったに過ぎない。


したがって、どこが方便でどこが教義なのか判断して、自分でもう一度組み立てなおす必要があるということはこのブログで今までに何度も書いてきた。


方便を教義だと思い込んでいるのは、麻原にマインドコントロールされているのに過ぎない。



僕がまだ信徒の頃だったように記憶しているが、麻原が説法で税務署が教団の帳簿を見に来たときの話をしていた。


税務署の職員が帳簿を見て「あれ?社長さんの給料がありませんね。」と言ったという。


それに対して麻原は「はい、私は給料をもらっていないんです。」と答えたということだった。



当時はまだ会社組織であり、麻原は社長ということになっていたと思う。


まあ、給料をもらっていないのは当然のことである。


なぜなら、オウムに入ってくる金は全額麻原のものであり、給料をもらう必要もなくすべて自由に使えるからだ。



で、麻原は給料をもらっていないことについて、信徒の皆さんのお布施を有効に使っているのだと言っていた。


そして、これが宗教法人になると、布施による功徳が無駄にならずにすむという話だった。



実は神仙の会から真理教になる時に、信徒の間でもかなりの人が反対しており、宗教になるのならやめるという人もかなりいた。


そこでの麻原の説明は、真理教になっても中身は今までと変わらないよ、今までどおりヨーガの修行をやるよというものだった。


これは考えてみれば当たり前のことで、真理教になった後もヴァヤヴィヤだのツァンダリーだのはそのまま継続されていくのである。