そう言えば、色々書いているうちに思い出した。
事件当時テレビで蜂の巣ベッドを見たときに、懐かしいなあと思ったものだ。
蜂の巣ベッドが初めて導入されたのは89年の初めだったと思う。
サマナたちが住んでいたのは、取り壊す予定のモデルルームを安く借り上げた部屋だった。
2階建てで8部屋のうちの6部屋を借りていたように思う。
1回の右側の部屋で麻原のシャクティーパットが行われ、建物の前の庭と言うか空き地と言うかでは麻原が餅つきを行ったこともある。
当時は出家者は男の方が数も多く、一部屋に20数人が暮らしていたので、当然のことながら平面で寝ていたのでは6畳一間には収まりきらなくなる。
キッチンは6部屋全部の食堂として使われていたので、そこには寝るスペースはなかった。
そこである日突然木材が運び込まれ、蜂の巣ベッドの製作が始まったのである。
もちろん大家には無許可で。
それにしても蜂の巣ベッドとは上手く名付けたものだなと思った。
6畳一間の窓際に寄せて、横4列縦4列で仕切りが作られていた。
左上の角だけが作業の都合上最後まで残り、上側と左側に板が無かった。
蜂の巣ベッドには頭から入り足から出るのだが、何せ外が見えないので人を踏みつけるのは日常茶飯事だった。
中は狭く寝返りが打てない。
というよりも、仰向けの状態から1回で横になることが出来ない。
半分身体を起こして一旦身体を移動させてからでないと、左右の板にぶつかってしまう。
毛布は個人の持ち物というものは無く、蜂の巣の中に入っていれば使うということになったが、何もないときも多く。
その場合は、普通に服を着たまま板の上に直に寝ることになった。
今から思い返してみても、あの頃は若かったなあ、とでも言うしかない。