このふたつの違いは特にはない、基本的に同等である。
つまり、愛欲天師長と菩薩師長は同等、愛欲天師長補と菩薩師長補は同等であり上下関係はない。
逆に、愛欲天師長補は菩薩師よりも上位である。
愛欲天師について麻原は、現象を動かす力を持った実力者と定義付けている。
まさにヴァジラヤーナにおける救済者であることを君たちは誉れとすべきであると言ってはいたが、そもそもその言い方が愛欲天師の方を下に見ているようなニュアンスを含んでいる。
まあ、菩薩師のようなイエスマンの集団ではないことは確かだったかもしれない。
それで、その筆頭が井上なのだが、フルネームで言いますと、
愛欲天師長 アーナンダ。
なんなんだ、この大天使長 ミカエルみたいなネーミングは。(笑)
と思ったものである。
この愛欲天師制度は井上のために考案されたのではないかと思うが、野球で言えばイチローみたいなもんだと思う。
ある日、グルである監督に呼ばれこう告げられる。
「今度、鈴木のホーリーネームをイチローにしようと思うんだが、ひとりだけカタカナなのはなんだから、佐藤お前も一緒にパンチになってやってくれ。」
もちろん、グルの申し出には、「御心のままに」と答えるしかない。
「今度アーナンダを愛欲天師にすることにしたから、Rお前も一緒に愛欲天師だ。」みたいな。
それでですね、このふたつには実は違いが二つだけあるのですよ。
ひとつは愛欲天師は正悟師にはなれないということ。
これはたとえ愛欲天師長であっても正悟師にはなれない。
正悟師になれるのは菩薩師だけなのである。
しかし、これには意味が無い。
感のいい人はすでに気づいていると思うが、正悟師にはなれなくても愛欲天師から菩薩師になることは出来るのである。
それでもこれは井上に対して、お前は正悟師にはなれないけど後から来たI君や土谷や豊田の方が先に正悟師になるぞ、や~いや~い。
早くイエスマンになれ、というプレッシャーをかけることが出来る。
そしてもうひとつの方だが、こっちは大きな問題である。
それは愛欲天師は菩薩師に命令が出来ず、菩薩師は愛欲天師の支持に従う必要が無い。
というものである。
これは僕の様に誰も部下がいない下っ端の人間には今まで通りなのだが、井上のような幹部にとっては大変である。
それがたとえ麻原から直接言われたワークであっても、自分に協力してくれる人間がいなくなることを意味する。
これによって麻原からの指揮命令系統は、当然のごとくグダグダになってしまう。
もっとも麻原は教団を潰すつもりだったのだから、それでよかったのだろうけど。