空中浮揚⑤ | 法友(とも)へ

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ダルドリーというのはオウムを語る上で絶対に外せないキーポイントであり、僕もダルドリーが起きなければ出家はしていませんが、空中浮揚となると全く話が違ってきます。


僕は麻原が空中浮揚をしているところを見たことがありません。


また、麻原以外の誰かが空中浮揚をしているところも見たことがありません。



自分の体験で言えば、クンダリニーヨーガの極限修行のときにあると言えばあるかなという程度です。


どうしてそんな曖昧な表現になってしまうのかと言うと、空中浮揚はいつ浮いたのか自分で分からないんです。


気が付いたら浮き上がっている、そんな感じです。




それは究境の瞑想のときに起こりました。


まあ、瞑想に集中しているので他のことにはなかなか意識が向かわないんですが、そのときは違和感を感じていました。


そこで、この違和感の正体はなんだろうなと考えてみたら、どう考えても床がないんです。(笑)



床がどこかへ行ってしまったかのように、蓮華座を組んでいる脚を支えているものが何もありませんでした。


何だこれは、一体どういうことだと思っていると、ドスンと音がして身体が床に落ちました。


実に不思議な感覚でしたね。


アパーナ気のように下から突き上げるような感覚は全く無い。


ウダーナ気のように上へ引っ張るような感覚も全く無い。


気の力でどうこうというのではなく、重力が無くなって浮き上がったかのようでしたね。


これが風(ルン)ということだと思いますが、それは気とは全く違う別次元の何かという気がしますね。