<そしてここからは Ryo が感じたこと。>
なぜ浮浪者たちは定職に就かないのか?
なぜもっとましな生活をするために頑張らないのか?
生活保護に甘えて楽をしているのか?
これらが僕が浮浪者に抱いていたイメージだ。
あいりん地区の現実はおそらくみなさんが思っている以上、少なくとも自分がネットで調べて想像していた以上に複雑で残酷です。
以前のブログにも載せましたが、新世界地域とあいりん地区ではまるで別世界です。
上を見上げれば高いビルはなく地面を見ればゴだらけ。まわりを見渡せば髪の毛がぼっさぼさで肌の真っ黒な浮浪者しかいない。
さらに、浮浪者たちは真昼間から酒を飲んでいたり、奇声を発していたり、同じ行動を永遠に繰り返していたりと一般人からすると近寄りがたい。
あいりん地区に踏み入れると誰もが感じる独特の異臭。夜は電気の数が以上に少なく18時を回れば真っ暗である。
まるで映画で政府がその地区だけあえて遠退けているかのような異様な感じだった。
正直僕はもうこんなところ入りたくもないし、近くを通ることもまして浮浪者が食べるような飯(yoheiが経験のためにと食べたがっていた)など食べたくなかった。
Yoheiのようにバックパッカーとして海外を旅したりした経験もない、僕からすれば当たり前であった。おそらく多くの人は僕と同じように思うのではないだろうか。
実際に三日目にあいりん地区の飯を買って一口食べてみた。Yoheiはすんなり食べていたが僕は、まずいという理由以外の理由で喉を通らなかった。
あいりん地区とは第二世界大戦後、住所を持たない在日の人や部落?の人たちが集まってきた場所で日本の成長期、雇用の需要が大きかった時日雇いの労働者がこの地区からスカウトされていった。今では全盛期の三分の一ほどではあるが日雇いの労働の需要が存在しており、全国から未だに集まってきているようだ。
以前には警察署を放火したりと危険な事件が起きたりしていて、現在も治安はかなり悪い。
こんな最悪の土地にYoheiは興味を持っていたのだ!!
・・・・・なぜ
これが僕がこの旅の前半に抱き続けていた疑問である。
なぜ・・・・・?
Y「浮浪者が食べている飯食おうぜ」
R「もう無理」
Y「あいりん地区散歩しようぜ」
R「もうしたじゃん」
僕はもうあいりん地区は今までの想像通り汚い浮浪者の街でそれで自己完結していた。
そんな中、同じ安宿に泊まっている外国人バックパッカーとのロビーでの会話は実に楽しかった。
外国人と話しているとこのホテルに泊まっている浮浪者であろう人たちとも話す機会が何度となくあった。
彼らは自分が浮浪者であるといった負の感情がなく、自分が生きているということに実に誇りを持っていた。
だから僕も自然と普段話している人と同じように話をしていた。最初あいりん地区をみた時の僕なら浮浪者=冒頭にかいたような負のイメージでおこがましい話だが対等になど話せなかったであろう。
Y「あいりん地区についてもっと知りたくない?」
R「え・・・・。」
Y「あいりん地区もっと散歩しようよ」
R「・・・・た、確かに、浮浪者が実際どんな生活を送っているのかなぁ?」
こころの中にふと疑問が湧いてきて、Yがなぜわざわざ大阪に行きしかもあいりん地区の近くのくそ汚いホテルに泊まりたかったのか、なんとなく分かった気がした。
R「よしちょっと、あいりん地区散歩してみるか!」
ということであいりん地区を再び散歩することになった。
二度目のあいりん地区
以前と違った感情で実際に見てみると、そこにはあいりん地区独特の社会があることに気がついた。
想像以上の人の数、その社会内での階層、多様な人たち、あいりん地区内の経済、シェルターなどだ。
ロビーの浮浪者?との出会いで、同じ目線で考えられるようになると、彼らは堕落や弱さという理由だけでここにいるのではないのでは?
と思った。もちろんその理由でここにいる人たちも多いと思うが・・・
うつ病や家庭環境など様々な理由もあると思った。
僕自身、人間はどんな理由があろうと自身のちからで解決できると思うが、そうでない人がいるということを認める?というか・・・そういった人もいるのだと思った。
大阪といえば経済都市、成功者がいれば敗北者もいる。僕は成功するために最大限努力するし、追い込まれても絶対諦めない。がしかしそういった人たちもいる。大都市の近くにこういったところがよくあるということを以前、本で読んだ気がする。
これでバランスがとれているというか・・・
都市の近くに風俗街があったりするのも関係あるのかな?
あいりん地区には飲み屋街があるがそこは都会の居酒屋と同じような雰囲気だった
どこか昭和の雰囲気の残る、昭和は知らないが、そんな街にも人間の社会は存在しているのだなと肌を持って感じた旅だった。
浮浪者に自分たちの方から少しでも興味を持って、行き過ぎた偏見というフィルターを取っ払ってみれば、そこに解決への糸口がみえると思った。