ホーホケキョ
手帳を開くと、すでに5月が終盤に差し掛かっていて驚きます。
振り返れば本当にいろいろ大変なことになっていました。
連休は会津に行って羽を伸ばすつもりが
持参したPCがクラッシュし、納品するはずのデータ復旧に追われ
人のマシンを3日も占拠するとんでもない来客となり
連休明けはPCが入院し、私も無理がたたったのか
ぼんやりと風邪をひき、なんとなく五月病になり
修行的な初めての仕事に取り掛かり、使っていなかった脳をフル回転。
要領が悪いなぁと、弱点発見。
一山越えたかと思ったら、とどめの一撃かという歯痛の来襲。
いやはや。
それでも充実していると思いますし
どこかの庭木から、ホーホケキョと聞こえる。
本日は曇天につきジテツー日和。
やることはもう少し抱えているけれど
ここに記せる余力が生まれたならば、もう少しでしょう。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
私はたぶん、家康タイプです。
随想 120501
ご無沙汰しております。
ご無沙汰してはいけないのですが、本当は。
3月から4月にかけ、やや忙しいな、と思っていたのですが
4月から5月にかけては、こりゃ忙しいな、となってる(笑)
要領よくやらないといけませんね。ただいま色々修行中です。
でも今まで寝ていた脳を起動させているような妙な快感があります。
人は、生きているうちに脳の半分も使わない・・・といいますし
もっと使わないと!と思います。
夜明け前、うっすら空が白んでくる4時半ごろに
外では謎のアイドリング音が続いていました。
部屋の窓からは見えない生垣の向こうに、車が止まっているようです。
私は仕事をしていて、起きていたのですが
あんまり非常識な時間だから、気になりました。
それから、ぐしゃっという何かが壊れる音がして、
今度こそ変だと思い、部屋の灯りを落として外を見ると。
豪速で走り去る銀のセダン。ナンバー見えず。
夜が明けて、やはり外で話し声が。
少し向こうのお宅の前にポリスメンが来ていました。
車上荒らしだったようです。
銀色のセダン、という情報だけ伝えましたが
運転手とナンバーは見えなかった、それじゃダメみたいでした。
気付いていたのに、無念なり。
先月、髪を切りました。久しぶりに軽くなり、スッキリ。
今月、最後の親不知を抜くことになります。一番厄介なヤツです。
「連休前はやめた方がいいですね(何かあったら困るので)」と先生が。
連休後も、止めようかな。。。
それでは、本日はこの辺で。
宿題は一つずつ片付けて行きます。
Pleasantville
4月になりました。
多摩川沿いに、長く続く雪柳の並木をジグザグ歩きながら
立ち込めた春の匂いを吹き飛ばす突風に身を縮めていました。
まだまだ浮かれ気分にはさせないぞ、と言わんばかりの
冷たい風にあおられつつ、久しぶりのタマリバは気持ちよく
昔のことを思い出していました。
夏になると、花火大会のたびにここへ来ていました。
寡黙だった父が、ビールにほろ酔いになり饒舌でした。
「娘です。」と、同僚に姉と私を紹介してくれたときの照れくささたるや。
まったく懐かしい。
スカートの裾をちょうちんブルマのようにして、
ちょろちょろ小川に足を浸して麦わら帽子で遊びました。
自転車に乗ったアイス売りのおじさんが、鈴を鳴らしやってきます。
汗だくの少しよごれたランニング姿でタオルを首に巻き、
チリンチリンと涼しげな音を響かせ、どこからともなく走ってくるのです。
フルーツのキャンディーバーが食べたいとねだり、
母からもらった100円玉を握りしめておじさんに駆け寄ります。
このパイナップル味は、プール上がりと同じ味がして好きでした。
ドッジボールクラブの練習で、第三京浜の高架下で壁打ちをしました。
球技はてんで不向きだったのと、分厚い眼鏡をかけていたのとで
後輩に守られたりする頼りない上級生でした。
あまり良い思い出はありません、でもなんとなく参加していました。
同じ町内会の野球クラブのキャプテンが好きだったから?たぶん。
練習のあとで配られるファンタを振って、蓋に小さな穴をあけ
プロ野球の祝賀会のビールかけならぬ、ファンタかけをしました。
ある日、早朝ジョギングをすると言いだした父について行って
土手まで行きました。この習慣が続いた記憶がありませんが
まだ空いた道を、父と歩くのは少し特別な気がしました。
父が登場する思い出は貴重で、普段はしまわれていますが
多摩川は記憶を引き出すキーワードのようです。
高校生のころ自転車に乗って二子玉川へ出かけると
ハンズと伊東屋とソニプラと明治屋と中村屋を巡り、
ミスドでフレンチクルーラーを買って帰るのが常でした。
川を渡るだけでちょっと世界がハイソになることを知ったのは
つまらない先入観のある大人になってしまってからでしょうか。
余談ですが、雪柳の花言葉
「愛嬌」「気まま」「自由」「殊勝」「静かな思い」だそうです。
新年度ということで、どこか慌ただしく日々に追い立てられ
気付けば一週間が過ぎていました。
今年は遅いと言われた桜も、ここ数日で一気に開花し
満開はもう目前といった様子。
宿題の原稿書きを土曜日のうちに済ませて、
少し気持ちにゆとりが生まれたから、お花見でもしたい日曜日。
どこかで咲いた花の匂いが甘くかおり
次第に彩りだす世界に、心がうずき出す「春」。
新たに誰かに出逢う予感と、懐かしい再会を果たす予感、
何かが始まり、動き出す気配にそわそわします。
モノクロだった世界が次第にカラーになっていく・・・といえば
「カラー・オブ・ハート(Pleasantville)」という映画がありました。
モノクロドラマの舞台である架空の町、
Pleasantville(愉快な町)で暮らす住民が
「現実の世界」から紛れ込んできた若者二人の巻き起こす騒動を通じて
生きている世界には「色」があることに気付いていきます。
モノクロだった映像に部分的に色を加えていくことで
人々の心の変化や、感情の高まりが表現されていて
その世界観に次第に引き込まれてしまいます。
今の時期に観たくなる一本です。
爪を磨こう
並んで歩くときは、左側に立たないと落ち着かないのです。
だからいつも右手をあなたの左手と繋ぎます。
人ごみの中でぶつからないようにと、自然と抱かれる肩に
照れくさくお礼をいいながら安堵しています。
泣きたいぐらい、好きかもしれません。
この複雑な「好き」という感情は上手く説明しにくいのですが
たぶん、男であったり女であったりするより先に
引き合ったり呼応しあったりする感覚が心地よく
「ちょっと他にない」貴い存在なのだと思います。
そこに「在る人」そのものが、住み慣れた故郷のようにやさしく
洗いざらした服のように柔らかく、母の味のように懐かしい。
素のまま包み込んでくれる安らぎは
かけがえの無いたからものです。
ほとんど嬉しい浮かれた気持ちのなかにほんの少し、
言い知れぬ切なさが紛れ込んでくるのは
あまりにも素敵な今日が終わろうとしているからです。
あなたが私の爪のカーブを確かめるように指先を撫でるから
次に会える日が来るまで、爪を磨いて待つことにします。
文字に、行間に
新月のころ、手帳に記した「to doリスト」に
“友人と会う”というものがあって、
しばらく連絡を取っていなかった相手が少し減りました。
声をかける方もかけられる方も、互いの引き合うタイミングがあるらしく
旧友への連絡が滞ったままでいたのを気にしていたら
不思議な磁力がはたらいたようで
何年ぶりかにメールをもらい、今度は声をかけられる方になりました。
なかなか連絡せずにいて久しぶりに繋がると
もっと早くメールすればよかったねと、お互い同じことを言うから可笑しい。
でも忘れていなかったし、途切れていなかったのは伝わります。
ああ、連絡しなくちゃなぁ・・・と思いながら夜が更け、朝が来て
一日毎に同じことを繰り返し、蓄積されていったブランクも
ほんの数行のことばが吹き飛ばしてしまいます。
友情というのは
がちがちに縛らないくせに、するりと抜けることはないロープ。
それぞれ別の土地にいて、違う道を行き、それなりに奮闘している間
少しおざなりになってしまっても励まし合い、信頼していられる。
文字に、行間に、彼女の温度がありました。
無常
ごうごうと飛沫を巻き上げる滝の上に焦点を合わせて、
水の速さと一緒に自分の目線も動かしていくと
流れ落ちていくはずの水が、一瞬だけ止まって見え
・・・たと思っても
またすぐに、見失ってしまいます。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
などと思いながら、マイナスイオンの只中にいました。
世界は無常ばかり。「常に変わりゆくもの」であふれていて
変わらないものなど、ただの一つも無いのかもしれません。
たとえば「不変の愛」を誓っても、極論それは真実ではなく
理想でもなく、愛は変わっていくものだと思う方が自然です。
無常なのは自然の摂理なのですから。
混同してしまいがちですが、無常と無情とはちがいます。
安住の中にいると変化することに不安を覚え
「ずっと変わらずにいたい」と、願望を口にしたりします。
それでも、変化は悪い方ばかりに進むものではなく
今よりもっと良い方に変わっていくかもしれないことも
見落としてはいけないように思います。
不変の愛だなんてつまらないことを言わないで
生きている限り、もっともっと愛は増やしていったらいいと思います。
もうすぐ、桜の花が咲きます。









