プリンスエドワード島より愛をこめて -1141ページ目

カルチャーショック・2

カルチャーショックを受けた国、インドに続き、ミヤンマー



ミヤンマーもインドに近いものがありました。

インドの様には物乞いはいなかったように思いますが。

やはり、貧しい国でした。

でも、物をとても大事にしていましたキラキラ



決まった時間になると、停電になり、電気を節約したり。

日本でずーっと昔に使われていたバスが再利用されていたり。

色々な物がとても原始的でした目


長距離バスバス に乗ったときのこと、

そのバスは貨物バスも兼ねていて、足元には袋に入ったお米がびっしり・・・

日本人の私としてはお米に袋の上からとはいえ、足を乗せることに抵抗がありましたが、仕方がありませんあせる

山の中で、今にも壊れそうな橋を、ボロボロのバスで慎重に渡られたときは、生きた心地がしませんでした。ガーン

そして、途中で後ろの窓ガラスが落ちてしまって、そのまま走ったり、えっ

他の窓もボロボロでびゅーびゅー風が入ってくる中、大雨雷が降ってきたり叫び

エンジンが故障してバスが止まってしまい、運転手さんが修理をして、なんとか再出発、というハプニングがあったり・・・ショック!

「もうどうにでもなれ~」という気持ちになりましたが、ありがたいことに、何者かに守られていたのか(ありがとうございます!)、無事に目的地まで着いたときにはほっとしました得意げ



この国で、ある時、現地で知り合った方の家族の家に泊まらせていただく機会がありましたニコニコ

お母さんは学校の先生、お父さんは弁護士、子供2人とも大学に通っているらしいので、ミヤンマーでは裕福なおうちなはず。お金

でも、おうちには余計なものは何もなく、とても質素な家でした。

ただ、1つ目立っていたのは小さな子が夢中になってやっていたテレビゲームくらいでしょうか。

たぶん、戦前の日本ってこんな感じなんだろうな~と思いました。

でも、人々は穏やかで、心は豊か、というように感じました黄色い花



物はあふれているけれど、複雑な問題の多い日本ショック!

国が発展して、便利になって、豊かになって、でも人の心はどうなんだろうはてなマーク

そんなことを考えさせられました・・・



大学生の2人は 「日本に行ってみたい」 と言っていたけれど、彼らが日本に来たら、それもかなりなカルチャーショックをうけるんだろうな~得意げ

あの家族がみんな元気でありますように虹