【別館】 Room No.2618 -2ページ目


病院から帰宅したのは

21時頃でした。


この時は、

ルルはもう長生きは出来ない。

綱渡りのような毎日になるだろうな

専門の病院へ行って

心身の負担をかけて

あれこれ検査や手術を考えるより

薬で心臓への負担を減らして

毎日をなるべく穏やかに過ごせるような

方向で考えよう

トリミングも、サロンへ行くのはやめて

家で自分でカットしよう

そう思っていました。


22時頃、パパが帰宅。

しんどそうに横たわっていたルルが

パッと立ち上がって

嬉しそうに尻尾を振って喜びました。

パパはそっと抱き上げて


「遅くなってごめんなぁ。かわいそうに


と言ってルルの体をずっと撫でながら

病院でのこと、

今後どうしようと思っているか

私が話をしていることに耳を傾けていました。


23時前くらいに2階の寝室へ行きました。

ルルはパパに身を預けるように横たわって

うとうとしていました。

腕枕をするような感じで

パパの腕に頭を乗せて寝ていましたが


「寝返りできなくてしんどいかな


と言って、パパは自分の体から

少し離れたところへルルを横たわらせて

真ん中にルル、

両サイドに私とパパが横になって

様子を見守っていました。


夕方に震えるような呼吸の仕方をしていたけど

その時は落ち着いた呼吸になっていたように

少し感じました。

前の日は、咳が頻繁に出て

ほとんど寝れていなかったし

今晩はゆっくり寝て

明日少しでも元気になってくれたら

そう思いながら、

撫でると起こしてしまうので

寝顔を除き込んだり

お腹がアップダウンしているのを見て

息をちゃんとしているな と確認したりして

寝れていなかった私も

一瞬寝てしまっていたんだと思います。



6月21日 1時半頃


キャイーーン!!


という声に私とパパ飛び起きました。



病院で聞いた声と同じです。

ルルを見ると

目を見開き、口をパクパク開けて

手足を突っ張らせたりしていました。

パパは


「子供ら起こしてくる!!」


と言って、子供部屋に行って

長男と次男は慌てて寝室へ来ました。

病院で発作のようなことが起きた時

しばらくしたら意識は戻りましたが

この時は、病院の時とは全然様子が違い

こちらの呼びかけに反応する、

反応ができる状態ではありませんでした。

みんなが泣きながら

ルルの体をさすっていました。


私はもう

頑張って なんて言うことは出来なくて


「これ以上苦しめないで


「苦しまないで


「ごめんねごめんね


としか言えませんでした。



150


完全に動かなくなってしまい

ルルは亡くなりました。




声を上げて泣くなんて

何十年ぶりだったでしょう

こんな身を裂かれるような

辛さ、苦しみ、悲しみ…虚しさ


犬は世間的にはペットです。

でも私達、他に動物を飼っていらっしゃる

方々にとってもそうだと思いますが

大事な家族なんです。

私とパパにとっては娘でした。

自分達の子供でした。


私は21歳の時に、

父親を突然の交通事故で亡くしていますが、

犬であろうと、人間の家族であろうと

心に負う傷の深さや辛さ、悲しみに

全く違いがないことがわかりました。

もちろん人によって、

違いはあるとは思います。

でも私は大差を感じませんでした。




自分の要求を通す為に

鳴くようなことは一切なく

空気を読むような賢い子でした。

甘えたさんだけど

誰かの邪魔をすることはなく

ある時は、勉強をしている長男のそばに

ある時は、ゲームをしている次男のそばに

ある時は、テレビを見ているパパの膝の上に

そして、用事が終わって

ようやく腰をおろした私のそばに

いつもそっと寄り添ってくる子でした。


人が大好きで、

お友達のワンコのことも大好きで

近所の方々にも可愛がって頂きました。


「犬は苦手なんやけど、ルルちゃんは大丈夫〜」


と言って、可愛がってくれる方もいました。



たった2年5ヶ月しか生きられませんでした。

一緒に過ごせたのは約、23ヶ月。

でも私達は

何度も家族で話し合って

犬を飼う覚悟を決めてお迎えをして

毎日、惜しみない愛情を注いでいました。

誰かは興味がない、世話をしない

ということもなく

みんなが同じレベルでお世話をし、

10数年しか生きられないことを考えると

毎日が貴重なんだと思って、

ルルが座っていても、歩いていても

ごはんを食べていても、寝ていても

うんちをしても、おしっこをしても

どんな瞬間も愛おしくて仕方のない日々を

家族みんなで重ねてきました。


ルルがすでにシニア期に入っていたら

色々と覚悟は出来ていたり

納得できる部分もあったかもしれない

飼う時にいつかお別れがくることも

もちろん承知の上でした。


私は父の件があってから

衝撃、ショックをなるべく避けたいが為に

いつもありとあらゆることを想定して

生活をしているところがあります。

やっぱりねわかってたよ。

と、言ってやり過ごせるように

心に予防線を張るクセがあります。

だけど、今回のことは想定外過ぎました。

そしてあまりにも展開が急過ぎました




つづく








酸素室でしばらく時間を過ごして

状態が少し落ち着くのを待って、

胸のレントゲンを撮ることにしました。

出来る限り、ルルの精神的負担を減らす為

長男にX線防護衣を着てもらい

看護師さんと一緒にレントゲン室に入って

ルルの体を支えてもらいました。

撮り終えるまでに

またさっきのような発作が起きたら

どうしよう?!と

藁にもすがる思いでしたが

なんとか無事に撮影が終わりました。


ですが、

この後の記憶が色々曖昧なんです。

レントゲンが終わった後

私はどうしてたのか、

ルルはどうしてたのか

思い出せないんです。

たぶんこの辺りから

私の脳みそはキャパオーバーに

なってしまったんだと思います。


レントゲンの画像が出来て

先生に呼ばれて、


・心臓がおかしい

・心肥大になっている

・気管もその影響でおかしい

・年齢から考えて、先天性の可能性が高い


・肺にも影?腫瘍?

    肺ガン?か何かわからないものが写っている

    肺の一部が機能していなくて

    壊死しているのかも

    エコー、MRICTじゃないと

    何なのかはっきり断定できない


・この病院で診るのは難しいから

  詳しい検査や治療は、循環器専門のとこに

  行った方がいい



いろんなことをたくさん言われて

説明されたけど

私が理解出来て記憶にあるのは

上記の内容だけです。


この後、私と長男でルルの体をさすり、

優しく声をかけながら

なんとか心電図をとりましたが

機械から出てきた用紙に

心不全 と記載されていたのは覚えていて

その心電図の結果も

色々説明されていたんですけど

私の記憶には残っていません


夕方に家を出て、

こんなにも状況が変わってしまったこと、

家に一人で置いてきた小学生の次男にも、

仕事で帰りが遅くなっているパパにも、

全く何も伝えられていない状態で、

病院でお会計を済ませて携帯を見たら

2人からLINEと着信がたくさん

パパには長男が電話で

少し話をしてくれたんですが

「なんでそんなことになってるん??」

と、状況が飲み込めない様子で、

次男は私達が帰宅してきて

疲労困憊の状態と、

ルルのぐったりした様子を見て

ただ事ではないと察知したようでしたが、

私は次男にどう説明したのか

その記憶もあまりありません

ただ、病院の帰りの運転を

気をつけないと と思いながら

必死にハンドルを握って、前を見て

帰宅したことは覚えています。




つづく










これは、6月20日の18時過ぎの様子です。

お昼過ぎに、病院の先生に
「様子見て〜」
と言われましたが、
この状況で一晩過ごすことが不安でたまらなくて
19時前に病院へもう一度連れて行きました。
なんとなく1人で連れて行くことに抵抗があり
ルルも病院に向かうまで
少しでも気分が落ち着けられるように
高2の長男に付き添いをお願いして
助手席で抱っこしてもらって迎いました。

先生が
「ちょっとしんどそうやし、心拍もえらい早いな…
心電図とってみるわ」

と言われ、私達は診察室から待合室へ出ました。
イスに腰掛けてすぐくらいに

キャイーーーーン!!

キャイーーーーン!!

と、聞いたことのないような叫び声がして
私と長男はびっくりして立ち上がりました。
すると診察室の扉がすぐ開き
看護師さんに
「中へ…」
と言われて入りました。
先生は、
「挿管の用意してー!」
と、他の看護師さんに指示していました。

ルルはぐったりしていて
意識が朦朧とし、失禁していました。
病院のスタッフはみんなバタバタとしていましたが
私と長男は目の前で起こっていることが
衝撃的過ぎて受け入れられず
声も出せず、震えながら
そこに立っているのがやっとの状況でした。

先生が言うには
心電図を取る為に体を横にしようとしたら
この状況になったと…。
5分ほどしたら、ルルの意識が戻り
挿管はせずに済みました。

私と長男の顔を見ようとしているのか
そばへ行きたいと思っていたのか
診察台の上で伏せていたルルは
助けを求めるような目でこちらを見てきて、
私は小さな声で名前を呼びながら
何度も体をさすってあげるしかできませんでした。
その後、口の中を診て
チアノーゼを起こしている状態だったので
酸素室のケージに30分〜40分入っていました。
私と長男はその前にずっと座っていましたが

何でこんなことに…
何がいけなかったんだろう…
これからどうすればいいんだろう…

考えるとどんどん涙が溢れてきて
長男も、震えと鳥肌が止まらない状態ながらも、
そんな私の手を
黙って握ったり、さすったり、
ケージの中のルルに
声をかけてくれたりしていました…。



つづく…






このお話は長くなりそうなので
記事をいくつかに分けようと思います。
楽しい話ではないので
心が弱っている方にはおすすめできません…。

ただ、ペットを飼っていらっしゃる方々に
何らかのカタチで
この話が役立てば…と思っています。

私自身、この話を記事にすることを
考えてはやめて…を繰り返し
頭の中、心の中を整理するまで
まだまだ時間が必要な状況であり、
文章をうまくまとめられていないかと思いますが
お付き合い頂ける方に
読んで頂ければと思っています。












6月19日、
ルルのトリミングの日でした。

体調に異変はなく
いつもと変わりない様子だと
なんの疑いもなく、
この時は思っていました。







とてもかわいく仕上げてもらったのですが
迎えに行った時、
咳込む様子が見られました。

連れて帰ってからも
40分〜1時間ごとに咳込む状態で
この時は、
トリミングで洗ってもらった時に
お湯やシャンプーを
飲み込んでしまったのかな と考えていました。

結局そのあと夜中もずっと
同じような間隔で咳込んでいたので
翌日、6月20日の朝一番に
病院へ連れて行き、経過を話しました。

検温をしても熱は無く
誤嚥かな〜?とのことで
抗生物質の注射や点滴をしてもらい
気管支拡張剤の薬をもらって帰宅しました。

その後、先生の指示通りに
お昼頃この薬を飲ませました。
だけど、
咳が落ち着いてきたのと入れ替わるように
ぐったりし出し
体を小さく震わせながら
息をするようになりました。
お腹より少し上に耳を当てて心拍数を測ると、
10秒で30回
15秒で43回
1分で180回
と、すごい頻脈になっていました。
私は慌てて病院へ電話し、
この気管支拡張剤に
副作用として頻脈が出るのか確認しました。
先生は電話口で即答することは出来ず

「ちょっと待って…」 

と言い、本めくって調べている様子でした。
すると、

「あー… 0.1%とかくらいの確率で
そういう場合もあるみたいやな…
心臓が元々悪い子なら
用心しなあかんと考えることもあるけど…
とりあえずじゃあ、その薬は一旦中止しよう。」

という返事でした。
その電話の直前に
咳をして、床に飛んだ唾液が
少しピンク色になっていて血が混じっていたので
そのことも併せて問い合わせましたが

「人間でも、
鼻をかみすぎたら血が混じるのと一緒で
丸一日咳をずっとしてて
喉の粘膜が傷んでるんやと思う。
朝に点滴もしてあるから、ちょっと様子見て〜。」

と言われ、不安が消えないまま
私は電話を切りました。


トリミングに行くまでは
体調に何も変わりがなかったので
施術中にむせたり、
咳をしたりするようなことがなかったか
サロンに電話で聞いてみましたが、
お湯やシャンプーを飲み込んでしまって
むせたりすることはなかったし、
施術中もおとなしく、
暴れたりする子でもないし、
もちろん、転落などの事故もなかった と。
ただ、お迎えの時に咳をしていたのは
トリマーさんも覚えている との事でした。



つづく…








⚠️ネタバレ若干あります⚠️

⚠️無駄に長いです⚠️

















9/26から始まったアリーナツアー。

なぜか地元、大阪城ホールでの公演が無く

サンドーム福井、ガイシも考えたけど

日程的に無理でショック

12/16が、ようやく迎えた

私的、明日コン初日でした。

アリーナツアーなのに

ドームのみの参戦という… えーん

だけど、どこで見ていたとしても

テンションが上がる瞬間が

誰しもにあったのでは と思えるような

演出に配慮を感じる素敵なドームライブでした。



2011128日のMステを

たまたま見ていて

その数分のパフォーマンスで

完落ちした私。


京セラドームでの

Seoul Osaka Music of Heart

初の生神起を体験し

長居でのa-nation

TONE

TIME

TREE

WITH

Begin Again

そして今回のTOMORROW

ずっと参戦してきました。

こうやって振り返ると

トンペンになって

かなりの年数が経ったんですね~ガーン

もうすぐペン歴丸8年。

9年目に入ります。



私のファンとしての熱量は

TONEの頃と比べたら

変わったとは思います。

生活環境の変化というのもあるし

年月を経て、

滾るようなエネルギーだったのが

キャンドルの灯りのように

穏やかなものになって、

いつもずっと消えることなく

私の頭の片隅で、

心の中で、

暖かく灯り続けているような

そんな形で今は落ち着いています。



今年はざわざわすることも色々あって…

トンペンとしては

またまた悩ましい時期もありましたショック

だけどライブに行ってしまえば

年々進化している、

(ツアー中にも進化し続ける)

2人に

あっという間にがっつり気持ちを引き戻され

年月が経ってもブレないモノに

改めて気づかされ

また心を鷲掴みにされるのです。


アルバム内の楽曲の歌詞にも

彼らの想いや信念が

散りばめられていて

それをライブで体現することで

ステージで答えを出す。

ステージで納得させる。

それが東方神起のやり方。


ついて来い!! と言わんばかりに

2人が放つオーラが

レッドオーシャンのエネルギーと

融合するオープ二ングは

何度経験しても鳥肌モノです。

まさに、〝Showtime〟の始まり。

想いがひとつになる瞬間 です。


〝Showtime〟などの歌詞を借りながら

自分の感じたことを

しばらく書いてみようと思いますが

結局私の書いていることって

内容的には、前ブログの頃から

重複してる部分がとても多いんです。

それはある意味

2人が何を1番に大事に考えているかというのが

昔から変わっていない

ということでもあるんだと思います。



日頃から2人を支えているスタッフ。

楽曲、詩を提供してくれた方々、

振り付けをしてくれた方々、

関わってくれている全ての人への

感謝、信頼、敬意の想いを胸に

ステージに立ち

まるで命を削るようなハードなライブ…。

想像を超える、

壮絶な辛さや苦しみ

終演後の達成感は

まるで1公演ごとに

出産をするかのようだと

私的には感じています…



そんな想いや覚悟をしっかり汲み取り、 

ユノとチャンミンのプライドである

ファンの笑顔の為に、

200人を超える

ツアーを支えるクルーの方々は、

惜しみなく知識、知恵、を注ぎ

神業のような技術を組み合わせ、

最上級のステージを提供してくれるわけで、

それは、仕事や役目を超えた愛であり

そのおかげで

2人がより一層輝き

温かいライブ、愛溢れるライブに

なっているんだと思います。




曲ごとに  とか

構成のこととか

書きたいことはたくさんあって

キリがないんだけど、

とにかく、

チャンミンが出てきた瞬間から

ずーっとかっこよくって、

カメラで抜かれる度に

色々仕掛けてくるもんだから

私の周りはチャミペンさんが多いのかな?

と思っていたけど

よく考えたら

ユノペンさんをも

揺さぶる勢いだったんだと思います。

だって、私がそうですからアセアセ

毎年チャンミンの進化には

驚かされてる気がします。



1番興奮したのは

O正反合ですよね〜…

まさかセトリに入ってるとは思ってなくて

私の中ではTIMEの日産でだけ披露された

幻の1曲で

いつかライブで見たい曲の上位にあったので。

割とここ数年は声を発することなく

大人しく参戦してたんですが

久々に

ワー キャー言って騒ぎましたにやり


意外によかったのがTriggerアップ

CDで聴いてるだけの状態と

ライブで肉付けされて見せられるのとでは

こんなにも印象が変わって

こんなにもかっこよくなるんだ!と

強く感じたのはこの曲でした。

ユノも見たい

チャンミンも見たい

ダンサーさんも見たい

どこを見ていいかわからなくなって

困るナンバーであります。

バンバン撃ち抜きながら

ドームを奥へと進むパフォーマンスは圧巻ですキラキラ



長くなってしまったから

そろそろ〆ないとアセアセ


そんな素敵なライブ、

有り難いことに1/19に再び行く予定です。

1/20のオーラスは

WOWOW参戦の予定ひらめき電球


この楽しみをエネルギーにして

残り僅かな2018年

頑張って乗り越えていこうと思いますアップ

いつも不義理な私で申し訳ないですが

まだここで繋がってくれている方々に

感謝していますラブラブ

2018年も、2019年も

みなさんにとって良い年でありますようにキラキラ


長くまとまりのない記事に

お付き合い下さり

ありがとうございましたお願い