象の夢を見たことはない -96ページ目

斎藤道三と武田信玄

斎藤道三と武田信玄。

共通点は親殺し。

武田信玄は、父・信虎に疎んじられ、最終的に信虎を駿河へ追放し、家督を相続。
斎藤道三は、下克上大名の典型なのだが、長男義龍へ家督へ譲ったのだが、ほどなくして義龍と義絶し、弘治2年(1556年)4月に長良川河畔で義龍軍に敗れ、討ち死にした。

父殺しというエディプスコンプレックスの話がある。
男の息子の心理というフロイトのお題目があるが、実は「長男に限る!」だったりするのかも知れない。その時代、長男が家督を相続するのが常態であったことを鑑みると、次男以降にとってはどうでもよい課題なのかも知れない。

まあよい。自分は長男なのでアリなのだ、この話。
というか、この二人がすごく気になる存在だった。なぜかわからなかったのだけど。
正直、自分の父親にムカついているわけで。合わないのだ、生理的に。

信長は、道三の娘を嫁に貰い、信玄に敗れている。
だけど、この中では、一番天下取りに近かったわけで。
そういえば、斎藤佑樹投手の「持っている」という言葉が有名だったのだけど。
持っていたのは、実は田中投手の方で。
持っていなかった豊臣秀吉や徳川家康が日本を統一したことを考えると、もともと「中空」の国であるのかも知れない、日本。

コアがある奴は叩かれる。出る杭は打たれる。

それはそれで明快な「ジャパン・アズ・ナンバーツー」な有り様なのかも知れない。
でも、自分は異端という奴が好きだ。棚ボタ的な有り様は唾棄すべきという心情がある。

もちろん、田中投手が棚ボタだと言っているわけではない。
それが「運も実力のうち」という日本のことわざ。他の人から支えられる。団体行動を尊ぶ、周りの人を大事にする人という称号でもあるのだろう。

結局、自分の存在というのはそういう己の根本的な感情によって支えられている。その人のあり様というか。分相応っていうのは、身分ではなくそういう「社会の中でのあり様」を言葉で、角が立たないようにあらわした日本人の無意識の総体なんだろうと思う。まあ、それは置いておいて。。

自分探しっていうのは、自分の理性ではなく、自分の感情の拠り所を見つけることだと思う。
そしてそれは海馬と密接に関わりのある扁桃体に依存する。
海馬は移動により活性化する。自分を探すために旅に出る。

そういうのって、原始的な方法論なのだと思う。
それがわかってない奴が多いけど。
直観というのはそういう性質のものだ。わからない奴には一生わからない。

ダル

おおー、ダルじゃねえか!

とつい買ってしまった。

$ニャンちゅうなブログ-ダルビッシュ

ダルと言えば、ダルビッシュじゃなく、ダルなのだ。ひよこ豆のカレーである。

しかも、一番動かされたのが、ベジマーク!なつかしー!

$ニャンちゅうなブログ-ベジマーク

インド人が日本で困るのはなんといっても食ベもの。
なにが困るって、ベジの人が多い。
だから、気軽に日本に来てくれとも言えない。

このベジマークってだからすごく重要で。
インドだけじゃなく、ベジの人は欧米では多い。
ムスリムの人たちにとってもそう。
食なんて、なかったら生きていけない基本で。

でもそれすら配慮してない。
結局、内向きの国民だから他者がわからない。
ホテルにムスリム礼拝所すらないような国。
それもムスリムの人達にはなかったら生きていけない基本だし。
「お・も・て・な・し」。意味わかって言ってんのかと苦笑。

でもやっと最近対応しはじめたところもあるらしい。
まだまだガイジンにとっては未開のファーイーストなんだろう。

稲葉山

金華山に行って来た。標高329m。

秋になったのでせっかくだから登ってやろうと。
いまだに行ったことがなかったのである。歴史好きの人からすれば「ええっ!」と驚かれるレベル。斎藤道三から織田信長あたりまでの時代、難攻不落といわれていた典型的な山城。
この山自体を天然の石垣とする発想なんだろう。なんせチャートの山塊なのだ。
海抜10mの平地からドーンと。

$ニャンちゅうなブログ-稲葉の山城

登山道はいくつもコースがあるのだけど、まあ軽装の物見遊山なので、一番楽な七曲り登山道をチョイス。ルイス・フロイスも登ったといわれる初心者コース。

岐阜公園を迂回してその南の金華山ドライブウエイの入口ちかく。民家の裏庭っぽい場所から山道へ入って行く。

$ニャンちゅうなブログ-ピクニック日和

抜けるような青空に飛行機雲がくっきり見える晴天。ピクニック日和。朝10時くらいに登り始めたのだけど、もうすでに朝に登って降りてくる人も多く。山道だとすれ違うとき、皆「こんにちは」と挨拶するのは他の国でもそうなんだろうか。

つぶらじい。山全体は、ツブラジイ・アラカシを主とした照葉樹で覆われている。
この花が咲くと山全体が黄色く見えて、それが金華山の由来らしい。

$ニャンちゅうなブログ-つぶらじい

そうこうするうちに、階段ゾーンへ投入。
もうここからは土の道ではなくなる。
一瞬で山道終わった感。短っ!

$ニャンちゅうなブログ-階段

だが、ここからの階段が逆にシンドイ。
まともなクッションのある靴をはいてくればよかった。
ひーひーいいながら、唯一景色が見える場所を発見。

$ニャンちゅうなブログ-長良川

流れているのは長良川。鵜飼いは、今登っているこの金華山の麓近くで見られる。
ここまで30分くらい。一休みして登る。

登り始めてから40分くらい。山門へとうちゃく。

$ニャンちゅうなブログ-山門

そこから岐阜城までさらに5分くらいか。
いい天気!

$ニャンちゅうなブログ-岐阜城

岐阜城へ入場。200円。
天守閣最上階は風が吹き抜けてちょー涼しい。

$ニャンちゅうなブログ-天守閣より東を望む

360度、遮るもののない世界。

$ニャンちゅうなブログ-天守閣より西を望む

南には名古屋のツインタワーも見える。

$ニャンちゅうなブログ-天守閣より名古屋を望む

この方角では手前を流れているのは木曽川。

なんかこの360度の景色を見てると、ここで信長が「天下布武」、本格的に天下統一を目指すようになったのもわかるような気がした。岐阜市内って中心街は道の幅も広くて、そういうところがやっぱり気質として伸びやかな感じがする。京都も近いし、いっぱつやったろか!ってなるわなあと。

とにかく気持ちの良い秋晴れの日だった。
おわり。


<参考>
歴史秘話ヒストリア 魔王が棲(す)む 魅惑の城~最新研究! 織田信長 美しき城づくり

オディロン・ルドン展

行って来た@岐阜県美術館。

JR岐阜駅から3km以上あるので歩きは無理。
バスで10分くらいだが、1時間に1本とか多くて2本。200円。
運よく待たずに乗れた。45分発。

$ニャンちゅうなブログ-ルドン展

もともと岐阜美術館にはルドンの所蔵は多い。

1840年4月20日(4月22日説もあり) - 1916年7月6日 フランス・ボルドー生まれ。
時代的には、印象派と象徴派。世紀末になだれ込む萌芽が見られる。そういう時代。
彼は象徴派の画家に入れられる。ギュスターブ・モローとか、ヤン・トーロップとか。
象徴派の文学としては、ボードレール、ランボー、 ヴェルレーヌ、マラルメなど。

少年期から青年期にかけて影響を与えたと言われるのは植物学者アルマン・クラヴォー。エッチングは銅版画家ロドルフ・ブレダンの指導とか。
そういう歴史を踏まえて観れるように工夫された展示内容。

黒の時代から、華やかな油彩、水彩、パステルの時代へ。
そこで展示物の感じが華やかに一変する。
作品は年代順に並んでて、それぞれの時代の代表作品群をまとめて展示してあって。それも含めて見やすくわかりやすい。

さすがもともと所蔵が充実しているだけある。
そんな展覧会だった。

だがしかし、いろんな意味で自分にはガツンと来なかった。
なんだか雰囲気で書いている感じで、ぼんやりしていて。
ぼんやりしてる絵が好きな日本人好みなんだろうけれど。
カタチがとらえられない、余白が好き的な。
印象派とかさ、シャガール好きだったりの。

もともと、この人ってそんなにデッサンは上手ではない。
手とか腕とか縮尺もおかしいし、へんなふうにしか描けないのを雰囲気でごまかしてるというか。かと言って、天才という感じもしない。
天才しか描けない線がないというか、感じられない。

たしかにその時代では最先端だったのかもしれないけど。
もともとなにかをコピーしてるというか、発想の源泉がわかるというか。
そしていまでもコピーされうるというか。
ほんとうのオリジナルってコピーできないんだけど。
突飛ではあるけど、予測可能な範囲にある。
それって結局、一般受けするだけってことでしかないなあって気がして。

なんか最近ナナメにモノを見過ぎなのかもしれない。うーむ。

スポーツ

独楽っていうのは回ってるから立っている。

立とうとして、形だけ真似ても立たない。

形は運動の結果、あるいは運動の状態として存在する。

カタチだけでは本当のことなどわからない。


最近、走るようになって、体幹の筋肉がついてブレなくなったのか泳ぐときも楽になった気がする。結局、自分にとっていちばん厳しい運動をチョイスするのが、本命を伸ばすコツなのかもしれない。