等身大のロマン
バーナード・リーチ、内藤礼、井上雄彦っていうのはつながっていて。
というか、自分は、自分が見たものをすぐつなげて考えようとするクセがあって。
それも暗黙知と呼べるような気がする。
マイケル・ポランニーによると、暗黙知は、
『「ゲシュタルト」は、認識を求める過程で、能動的に経験を形成しようとする結果として、生起するものであって、この能動的な形成(shaving)もしくは統合(integrating)こそが、私が偉大にして不可欠な暗黙の力とみなすものに他ならない』
と言っている。たとえば、よく「オレってラッキーなんだよ」っていう人はこういう暗黙の力をうまく利用しているんだと思う。やってくる自分の経験をつなげて、いくらでもプラスに物事を考えていくことができる。ある意味、思い込みなのだが苦笑。
それは、さておき。
バーナード・リーチも、内藤礼も、結局、ママゴトの意識で絵を描いたり、作ったりしてるんだと思う。あの伊勢神宮の総棟梁だって、根っこのところにそういう意識があるんだとあの言葉を聞いて、自分は逆にそう思った。
モノヅクリっていうけど、ものをつくる人がものを作ろうと思うのは、ただそれが愉しいからであって。それがないと続かない。あるいは、そういう気持ちを抱けない人はもの作りには向いていない。そして、その根っこは、子供のときに感じたワクワク感なのだと思う。
大人になると、それが難しくなる。
いろんなリスクだとか、生活だとかがくっついてくる。
結局、それらを捨てることでしか、そういうワクワク感は取り戻せない。
年を取れば取るほど、捨てる代償はデカくなる。
結局、二者択一でしかない。
うまく生きることって難しい。
現状維持、そして訪れるシュリンク。
それを受け入れるか、すべてを捨てるか。
だから、孤独のグルメを見てしまうわけだ。
で、来週からは、まほろ駅前。
あれが、今の男の等身大のロマンだよね。
というか、自分は、自分が見たものをすぐつなげて考えようとするクセがあって。
それも暗黙知と呼べるような気がする。
マイケル・ポランニーによると、暗黙知は、
『「ゲシュタルト」は、認識を求める過程で、能動的に経験を形成しようとする結果として、生起するものであって、この能動的な形成(shaving)もしくは統合(integrating)こそが、私が偉大にして不可欠な暗黙の力とみなすものに他ならない』
と言っている。たとえば、よく「オレってラッキーなんだよ」っていう人はこういう暗黙の力をうまく利用しているんだと思う。やってくる自分の経験をつなげて、いくらでもプラスに物事を考えていくことができる。ある意味、思い込みなのだが苦笑。
それは、さておき。
バーナード・リーチも、内藤礼も、結局、ママゴトの意識で絵を描いたり、作ったりしてるんだと思う。あの伊勢神宮の総棟梁だって、根っこのところにそういう意識があるんだとあの言葉を聞いて、自分は逆にそう思った。
モノヅクリっていうけど、ものをつくる人がものを作ろうと思うのは、ただそれが愉しいからであって。それがないと続かない。あるいは、そういう気持ちを抱けない人はもの作りには向いていない。そして、その根っこは、子供のときに感じたワクワク感なのだと思う。
大人になると、それが難しくなる。
いろんなリスクだとか、生活だとかがくっついてくる。
結局、それらを捨てることでしか、そういうワクワク感は取り戻せない。
年を取れば取るほど、捨てる代償はデカくなる。
結局、二者択一でしかない。
うまく生きることって難しい。
現状維持、そして訪れるシュリンク。
それを受け入れるか、すべてを捨てるか。
だから、孤独のグルメを見てしまうわけだ。
で、来週からは、まほろ駅前。
あれが、今の男の等身大のロマンだよね。
糧(かて)
そういえば、内藤礼さんの作品を本牧の三渓園で見たときに、もちろん最初は
「えっ?これで作品なの?」っていう印象だったのだけど。
二つの電熱器の上でよわよわしげになびくヒモ。横笛庵。
無題(母型)と名付けられていたのだが。
一回見たあと、なんだか気になってもう一回見に戻ったり。
そういう作品というのはどうもあとあとまで残るらしく。
これって、ママゴトみたいだなあという印象があって。
そういえば、ママゴトっていうのはなんなんだろう?と。
今日、「
承 井上雄彦 pepita2」てのをチラ見してたら、伊勢神宮の遷宮の総棟梁が「あのー、人間が住まうとこやなしに、神さんの住まわれる御殿をつくるんやっていう…」ことを言われていて。そこで、ハッとした。
そういう原始的なところにある何かなんだろうなと。ママゴト。
そういうものを作るところまでいくと、すごく単純なものにならざるを得ないというか。
常々、伊勢神宮の社を眺めてて、「なんでこんな単純な建物なんだろう?」
と思ってて。
たとえば、インドのお寺とか複雑精緻の極致で、それを石から彫り上げていて。中国のお寺の彫刻もそう。そういうのと較べると、日本の寺社建築のしょぼさが際だつというか。これで同じ世界遺産かよとそりゃバカにされるわと思ったりもしてたんだけど。
それぞれの国には、それぞれのスピリットがあって。
たとえば、日本の社というのも、もともとは磐座やそれを中心とした磐境で。磐境って注縄で結界をはった土地みたいなものだから、そりゃ残らないわ苦笑。
家というのも、そこから始まっているというか。
いや逆だな。自分たちの家から神様の住まう場所が必要だと考えたわけで。
それが豊田市美術館に展示されている内藤礼さんの作品だったりする。
あの作品を見て、それらは心の中の同じ場所にあるものだと強く感じた。
たぶん、大きな部分が重なっている。
ああ、だから「母型」なのだと。
伊勢神宮の社もひとつの母型なんだと。
それはすごくシンプルな型であって。
で、そういうところまで自分の心の中を降りてゆくと
たぶんエネルギーを貰えるんだろう。糧というか。
それは、危険な旅になるらしいのだが。
それぞれの国に散らばっているその原初的なカタチ。
それってどういうものなんだろう?
それを見つけるために旅に出たんだろうなあと。この人、すごい行き詰ってるわと。
最近の井上氏を見ててすごくそのあり様がわかるというか。同じだと。
ほんと"漂泊"してるわけで。今のバガボンドの漂泊具合なんてほとんど彼自身だ。
年もほとんどかわらないし。そういう世代なのよね。
旅したいわ。
旅って本来危険なものなんだろうね。アクシデントありありで。
じゃなきゃ、旅に意味なんて多分ない。
危険に会う旅って年をとると難しくなるのよね。
なんでも金で解決しちゃおうとするから。
まだしばらく再開は無理そうだな、バガボンド。
<参考>
内藤礼 アーティスト・インタビュー
自然が生む自然 —「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
「えっ?これで作品なの?」っていう印象だったのだけど。
二つの電熱器の上でよわよわしげになびくヒモ。横笛庵。
無題(母型)と名付けられていたのだが。
一回見たあと、なんだか気になってもう一回見に戻ったり。
そういう作品というのはどうもあとあとまで残るらしく。
これって、ママゴトみたいだなあという印象があって。
そういえば、ママゴトっていうのはなんなんだろう?と。
今日、「
承 井上雄彦 pepita2」てのをチラ見してたら、伊勢神宮の遷宮の総棟梁が「あのー、人間が住まうとこやなしに、神さんの住まわれる御殿をつくるんやっていう…」ことを言われていて。そこで、ハッとした。そういう原始的なところにある何かなんだろうなと。ママゴト。
そういうものを作るところまでいくと、すごく単純なものにならざるを得ないというか。
常々、伊勢神宮の社を眺めてて、「なんでこんな単純な建物なんだろう?」
と思ってて。
たとえば、インドのお寺とか複雑精緻の極致で、それを石から彫り上げていて。中国のお寺の彫刻もそう。そういうのと較べると、日本の寺社建築のしょぼさが際だつというか。これで同じ世界遺産かよとそりゃバカにされるわと思ったりもしてたんだけど。
それぞれの国には、それぞれのスピリットがあって。
たとえば、日本の社というのも、もともとは磐座やそれを中心とした磐境で。磐境って注縄で結界をはった土地みたいなものだから、そりゃ残らないわ苦笑。
家というのも、そこから始まっているというか。
いや逆だな。自分たちの家から神様の住まう場所が必要だと考えたわけで。
それが豊田市美術館に展示されている内藤礼さんの作品だったりする。
あの作品を見て、それらは心の中の同じ場所にあるものだと強く感じた。
たぶん、大きな部分が重なっている。
ああ、だから「母型」なのだと。
伊勢神宮の社もひとつの母型なんだと。
それはすごくシンプルな型であって。
で、そういうところまで自分の心の中を降りてゆくと
たぶんエネルギーを貰えるんだろう。糧というか。
それは、危険な旅になるらしいのだが。
それぞれの国に散らばっているその原初的なカタチ。
それってどういうものなんだろう?
それを見つけるために旅に出たんだろうなあと。この人、すごい行き詰ってるわと。
最近の井上氏を見ててすごくそのあり様がわかるというか。同じだと。
ほんと"漂泊"してるわけで。今のバガボンドの漂泊具合なんてほとんど彼自身だ。
年もほとんどかわらないし。そういう世代なのよね。
旅したいわ。
旅って本来危険なものなんだろうね。アクシデントありありで。
じゃなきゃ、旅に意味なんて多分ない。
危険に会う旅って年をとると難しくなるのよね。
なんでも金で解決しちゃおうとするから。
まだしばらく再開は無理そうだな、バガボンド。
<参考>
内藤礼 アーティスト・インタビュー
自然が生む自然 —「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
ハコものビジネス
日本って、いつになったら文化が成熟するんだろうと
こういうのを見ると思ってしまう。
Tears for Fearsは若手の誰かわからないけど Oleta Adamsは八神純子さんとか。
「あまちゃん」でも思ったけど、今を逃すとちゃんとした歌を歌えるポップシンガーがいなくなるかもしれない。東京オリンピックの頃は、もう人材いなくてムリかもねえ。
ロンドンでもニューヨークでも、これからの季節は夜が長くなって、ミュージカルやらオペラやら劇場やら。観劇の合間には、バーラウンジで一杯ひっかけたりとか。
もっとも、そんなことができるほど日本のビジネスパーソンはヒマではないけれど、逆に定年でヒマになったオトコドモが文化を作るほうへ流れていっても良い筈なんだけど、焼き物とか音楽とか。
ライブハウス借りきってパーティしたりとか、いま渋谷axなんかも無くなったりしてるんだが、シニア世代にハコを貸すための道筋をつければ、違ったビジネスが出来るのにとか思う。
ライブも正直、8時開場、8時半開演くらいにしないと社会人には無理な話で。
なら、思い切って昼と夜で店自体変えてしまえばいいのにと。
「あまちゃん」のリアスみたく。
店長も違う人雇って。
なんて勝手な想像をしてしまう。
こういうのを見ると思ってしまう。
Tears for Fearsは若手の誰かわからないけど Oleta Adamsは八神純子さんとか。
「あまちゃん」でも思ったけど、今を逃すとちゃんとした歌を歌えるポップシンガーがいなくなるかもしれない。東京オリンピックの頃は、もう人材いなくてムリかもねえ。
ロンドンでもニューヨークでも、これからの季節は夜が長くなって、ミュージカルやらオペラやら劇場やら。観劇の合間には、バーラウンジで一杯ひっかけたりとか。
もっとも、そんなことができるほど日本のビジネスパーソンはヒマではないけれど、逆に定年でヒマになったオトコドモが文化を作るほうへ流れていっても良い筈なんだけど、焼き物とか音楽とか。
ライブハウス借りきってパーティしたりとか、いま渋谷axなんかも無くなったりしてるんだが、シニア世代にハコを貸すための道筋をつければ、違ったビジネスが出来るのにとか思う。
ライブも正直、8時開場、8時半開演くらいにしないと社会人には無理な話で。
なら、思い切って昼と夜で店自体変えてしまえばいいのにと。
「あまちゃん」のリアスみたく。
店長も違う人雇って。
なんて勝手な想像をしてしまう。
くまんばちの飛行
Flight of the Bumblebee。
若いころはコレを見て。
才能と研鑽が俗物をぶっとばす。
そういう感じが好きだったのだけど。
いわゆる変身願望。ヒーローの欲求。
あるいは、中二病。
今はこれってそういうことじゃないのかもと。
自分の部屋のピアノが家主によって封印されて、ピアノが弾けない。
困るに困って。「あ
、あそこだったら弾けるかもしれない」っていう。
その人の根源的な欲求。生きることそのもの。
そういう日常生活そのもの。
それを満たすこと。
ただ一番シンプルなそこ。
もちろんすばらしい演奏ありきだけど。
技術が自分自身を実現するための何かではなく。
世界を表現するために、
あるいは息をするために、
ただ必要であったというそれだけの理由。
そういう理由で技術はそこにある。
それだけのために身につける。
そんだけ。
本人がそれを必要とする想い。
それを抱かせるのがプロデューサーだったり、
上に立つ者の役割なんじゃねえの?と。
押しつけじゃなく、餓えだよねと。
そしてそれは上に立つ人間自身の餓えでもあって。
じゃなきゃ無理だよと。
そしてそのときの世界との一体感。努力も含めて。
今の自分だったら、たぶんそこかな?と思う。
生きている意味が見つかる場所。
祝福とか。
それはキリスト教的に与えるものじゃなく。
ただ人の間に自然に生まれるものだと。
そんなふうに思う。
若いころはコレを見て。
才能と研鑽が俗物をぶっとばす。
そういう感じが好きだったのだけど。
いわゆる変身願望。ヒーローの欲求。
あるいは、中二病。
今はこれってそういうことじゃないのかもと。
自分の部屋のピアノが家主によって封印されて、ピアノが弾けない。
困るに困って。「あ
、あそこだったら弾けるかもしれない」っていう。その人の根源的な欲求。生きることそのもの。
そういう日常生活そのもの。
それを満たすこと。
ただ一番シンプルなそこ。
もちろんすばらしい演奏ありきだけど。
技術が自分自身を実現するための何かではなく。
世界を表現するために、
あるいは息をするために、
ただ必要であったというそれだけの理由。
そういう理由で技術はそこにある。
それだけのために身につける。
そんだけ。
本人がそれを必要とする想い。
それを抱かせるのがプロデューサーだったり、
上に立つ者の役割なんじゃねえの?と。
押しつけじゃなく、餓えだよねと。
そしてそれは上に立つ人間自身の餓えでもあって。
じゃなきゃ無理だよと。
そしてそのときの世界との一体感。努力も含めて。
今の自分だったら、たぶんそこかな?と思う。
生きている意味が見つかる場所。
祝福とか。
それはキリスト教的に与えるものじゃなく。
ただ人の間に自然に生まれるものだと。
そんなふうに思う。
100MILES
Spiral Lifeの曲で一番好きなのはやっぱりこの曲。
音楽で、正直詩なんてどうでもいいっておもってるんだけど。
それは、音楽を現実世界にトドメようとするアンカーだ。
わずらわしいと。
内藤礼さんが、こんなことを言っていた。
「アートは人間の言葉の領域とは、必ずしも重ならないところにあるものなので、言葉でアートについて語るのは非常にむなしいし、あの、なんていうんですかね、矛盾してむずかしいことではあるんですけど、なんとか言葉をさがしてみます」
アートという言葉は安っぽくて大嫌いなのだが、それを敢えて使うのはこの人の羞恥心だったりする。まあ、それはおいておいて。。
言語化できないことを敢えて言語化する際に、浮遊感が発生することがある。
それが、たとえば、渋谷系だったり、フィッシュマンズだったり、スパイラルライフだったりの一部分になってたり。
境界線にある浮遊感というのは、どこにも縛られない。言葉であって、言葉でない。マージナルにある表現というのは、浮遊感だけでなく、いろんな要素が混合しているように思う。アンビバレンツな要素だったり。そういうケイオティックな部分。そしてそこからどこかへ飛び出ようとするベクトルを強く感じれるナニかが好きだ。この女の子がかざす花のような何か。
音楽で、正直詩なんてどうでもいいっておもってるんだけど。
それは、音楽を現実世界にトドメようとするアンカーだ。
わずらわしいと。
内藤礼さんが、こんなことを言っていた。
「アートは人間の言葉の領域とは、必ずしも重ならないところにあるものなので、言葉でアートについて語るのは非常にむなしいし、あの、なんていうんですかね、矛盾してむずかしいことではあるんですけど、なんとか言葉をさがしてみます」
アートという言葉は安っぽくて大嫌いなのだが、それを敢えて使うのはこの人の羞恥心だったりする。まあ、それはおいておいて。。
言語化できないことを敢えて言語化する際に、浮遊感が発生することがある。
それが、たとえば、渋谷系だったり、フィッシュマンズだったり、スパイラルライフだったりの一部分になってたり。
境界線にある浮遊感というのは、どこにも縛られない。言葉であって、言葉でない。マージナルにある表現というのは、浮遊感だけでなく、いろんな要素が混合しているように思う。アンビバレンツな要素だったり。そういうケイオティックな部分。そしてそこからどこかへ飛び出ようとするベクトルを強く感じれるナニかが好きだ。この女の子がかざす花のような何か。