円山応挙から近代京都画壇へ
襖絵というのは、平面である必要はない。
矩の字に配されている襖。立体させて使うことで、空間を見るものの想像力で制圧する。
2次元の絵で3次元を表す。
遠近法という回答が出てくるのが西洋だとすると、他者の想像力を借りるという方向には行かない。オランジュリーの曲面を生かしたモネの睡蓮がせいぜい行く先として最大だろう。あくまでも、己の力でというのは潔いがエゴでしかない。
他力というのは、衆生を悟りに導く仏・菩薩の力、仏・菩薩の加護のことらしい。
バカげた解釈だ。ただ、仏とか菩薩というのを自分以外の他者とか自然とか宇宙とか。そう置き換えたほうが、日本人の心情にあっているような気がする。
西洋では気が狂ったゴッホみたいな人じゃないと行きつかなかった。
他者の意識を借りること。それでこの絵は完成する。
むしろ、彼の国ではそれは文学の役目だったのかもしれない。
天龍寺の鯉魚石について、なぜそれが鯉魚石なのかを述べてある文書は少ない。
あれは、龍の頭であるが本体は水の中に隠れていて、池に尾が残っている。
そう想像してみると面白い。
まさに龍門瀑をかち割って空に昇っている龍のようだ。
果たしてこれらの岩組が夢窓疎石のころからあったのかは微妙だけれど。
さて応挙の「松に孔雀図」である。
これを美術館でわざわざスペースをとって、矩の字のまま展示したのはなぜか。
上を眺めると松の大樹とその枝に覆われた自分を感じるだろう。
日本の庭園には借景という技法がある。
円通寺、無鄰菴、正伝寺など、庭の外にある山を庭に取り込んで世界を構築する。
想像力で空間を埋めることで、見えてくる世界がある。
そうすれば、他の人が世界をさらに大きくつないでくれる。
芸術にメッセージはいらない
現代美術に文学を持ち込んだのは誰が最初か知らない。
自分がそういう違和感を感じたのは、逆に「無題」という題をつけられた作品を見たときだった。そう言えば、絵の名前を意識して絵を見たことは自分はなかったと。最も、説明がないと何を描いているのかわからない絵もあるのも確かで、だから逆に説明を求めているのに「だが断る」的なメッセージにイラッとしていたのかもしれない。ダリの目覚めの一瞬前とかだと、その題名がないとなにかわからなかった。
ただこれもザクロがどうしたこうしたという説明はいらないなあと思わないではない。
そう考えると、シュルレアリスムが最初なのかもしれない。アンドレ・ブルトンがいけないんだな。だが、アンドレ・ブルトンのナジャは、言語化できるものと言語化できないものの際を狙っているので逆にそっちのほうは文学であってもありだと思える。
自分が絵の名前を知るのは、たいてい誰かの文章からで、「ゲルニカ」は第2次世界大戦で云々とかいう強いメッセージ性を持たせることに意義を見いだした作品からだ。
メッセージというのは明確なもので言語化できる。
言語化できるのであれば文学でやればいいと思う。
津田さんは文学畑の人で東さんにしたってそうだ。哲学は芸術だけれども、文学だ。
文学なら他でやってくれっていうのが正直、自分の感想。言語化できない曖昧なものにあえて何かの色を塗ろうという人は別の表現方法を使えばいいじゃない?プロパガンダだったらなおさらで。文学や哲学畑の人をそもそも芸術監督に選んだ時点であれは破綻していたんだろう。
夏の宇宙、夜の物理
夏になると宇宙が近くなるのは確実だ。
と言い切ってみると、そういう本を読みたくなるのに理由もつくというものだ。
お盆が夏にあるのもそういう理由かもしれない。
死んだらどうなっちまうか。
宇宙を知ることとそれはつながっている、というかそこに解をもとめてしまう。
今読んでいる本
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宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門 (ブルーバックス)
886円
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重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書)
950円
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だが、剥いても剥いてもそれに対する答えはない。
いや、答えははじめから出ているのだろうけれど、納得はしていない。
キリスト教信者が進化論を信じない理由が最近ようやく臓腑に落ち始めた。
超弦理論の弦を鳴らすとオームという音がするのだろうかなんていうくだらないことを考えてしまう。科学は進めば進むほど、心はあさってのほうへ向かう。
二十億光年の孤独 谷川俊太郎
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
谷川俊太郎@ShuntaroT
富山の引網香月堂さんが、俊太郎さんのために特別に作ってくださった和菓子「近くて遠い、遠くて近い」。詩「二十億光年の孤独」にちなんでイメージされたそうです。「デザインもとっても素敵だし美味しい」と俊太郎さん。コーヒーと一緒に美味しく… https://t.co/jYgOi3KV97
2019年08月11日 17:11
きれいなお菓子だねぇ。
近くて遠い、遠くて近い。
セッション
セッションを観ている
音楽に正解はあるのか?
という問いは絵画に正解があるのかと言う問いよりも頻繁に聞こえてくるような気がする。それは、それを職業にしている人の自己顕示欲の強さやそれを職業としている人の相対量によるからかもしれない。
映画の中で彼が叔父とその息子たちと食事をする場面がある。
叔父の息子はフットボールをしている。スポーツの世界は勝ち負けがはっきりしている。彼自身は彼らより才能があるにも関わらず、それが認められない。
挙句、ドラッグで身を持ち崩し早死にするのが音楽家だと卑しめられる。
父親も彼らの肩を持つ。いたたまれなくなり、席を立つ。
ドラムというポジションはいまギターよりも難しい。
音符に正確に音を出すのであればコンピューターで可能だ。
だったらシンセで音楽なんて全部できるんじゃねえかというのがすでに1960年後半に試みられている。キューブリックが2001年宇宙の旅を世に出した頃だ。
いまはAIでさらに細かな設定が可能になっている。
オリジナルとは何か?そんなふうにを舵とることでアーティストたちは逃げ道を探した。宗教と同じで、人は救いの道を常に求める。
梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする。それが梵我一如の思想。宇宙の在り様を体現すること。それが芸術の目的である。オリジナルとかいう思い上がりに意味などない。そう紀元前にウパニシャッドにある。
それでも生きることを選ぶ。それでもオリジナルを追及する。そこにしか表現の本質はないからだ。
さて、それは仕事でも同じだと考えると、自分はいったい何をしているのかなど甚だ疑わしい限り。
コール and レスポンス
くもりのないコールandレスポンス
そういう瞬間を味わいたいよね。
2019.07/28 (日)
名古屋 CLUB ROCK'N ROLL
LAZYgunsBRISKY Tour 2019 Riot Bulb
開場 17:30 / 開演 18:00 前売 2500円 / 当日 3000円(D代別途500円必要)
LAZYgunsBRISKY
Who the Bitch
33Insanity’sVertebra
久々なのでCBCまで行ってしまったわ。
なんだか今思うと夢みたいだったな。
そうか、このときまだizumiちゃんだっけ。
入り際にタツくんにあったのは偶然なのか必然なのか。
で、なんか元気やなあ、彼とおもったら、解禁。
Monsters Of JAProck 10th Anniversary ~Decade Of Decadence Dance~
2019.9.13(金)渋谷TSUTAYA O-Crest
開場18:00開演18:30 前売1日券3500円2日通し券5000円(D別)
アルカラ
BYEE the ROUND
Jeepta
おいおい。。
しかも2日目も
9.14(土)渋谷TSUTAYA O-Crest 開場13:30開演14:00
前売1日券3500円2日通し券5000円(D別)
folca
みそっかす
LAZYgunsBRISKY
GRAND FAMILY ORCHESTRA
石井卓とジョン中村
山本パンチせいじ
Althea
連ちゃんで出る演者もご苦労様だけど
死ぬなよタツくん。
飲みすぎで。
ライブのあと、「音楽好きで演る側になって良かったなって思った。」って33ivのノンちゃんがツイッターで呟いてたけれど、そうじゃない側で、しかも場を作る側のくもりのないコールandレスポンス。いったい、いつから仕込んだのかが気になる。バイザのオオイくんは再結成する前から出ろと言われてたと。。なんかすごいわ。すげーよ。






