象の夢を見たことはない -25ページ目

The Motorcycle Diaries

 

 

犬がいる。

子犬のときだけ、「かわいい、かわいい」と面倒を見てもらい、部屋で飼われ、おもちゃになっていた犬だ。

1歳をすぎ、大人の顔だちと体になったころには飽きられ、牧場の小屋につながれ、可愛がっていた奴には、散歩もろくにしてもらえない。

 

そんな犬が不憫で昼に散歩に連れて行ってやる。

ゴミ焼き場が散歩のコースに入っている。ビニール袋やら紙やら人の食べかすやら。燃やされ炭化したそれらを口に入れてはしがんでしがんでしがむ。

「おまえ、腹壊すから、やめろ」。いくら言っても聞かない。

ある日、ビニール袋を噛みしゃいでいたので、怒って取り上げようとしたら、とられまいとして、そのまま飲み込みやがった。焦ったが後の祭り。大丈夫なのか?死にはしないか。翌日、ビニールに包まれたウンコをした。

 

家で黒猫を飼っている。姪っ子が中学校からの帰りに道端で鳴いていたのを拾ってきたのだ。自分はその2か月前にやはり道端で黒猫を拾った。夜の山道のセンターラインの上で座り込んでいた。見なかったことにしようと思ったが、そうもいかず、引き返して拾いあげて家に連れて行った。翌日、病院につれていかず、そのまま夜勤に出かけたが、朝には死んでしまっていた。おそらく、そういうのが姪っ子の中にあって、めぐりあわせで拾ってきたのだろう。親に捨ててくると言われて、姪っ子は靴下のまま裸足でネコを抱いて家出。2時間後にめでたく家のネコとなった。

このネコも「やったらあかん!」といったことを好んでする。雨戸を閉めていると、外にいたキャツは、濡れた足でわざわざそこをめがけて飛び込んでくる。わざとしているのか。

 

バタイユによると、エロスというのは禁忌を破ることに快楽を見出すことを言うらしい。それは、ある意味死への欲求とみられてもしょうがないことだ。

種がそういう無謀なやつらの経験を記憶することによって存続するのなら、そういうやつらに異性が否応なく惹かれることは必然的な種の宿命である。

塵は塵に、灰は灰に。因果応報というのは、個体に対する法則あるいは宿命であって、種に対しては当てはまらない。種にとっては、その結果は逆転するのだ。

 

 

 

 

大人

「なんにでも答えがあると思うなよ」

イタリア帰りの古参兵が、新人兵士に言う言葉だ@オーヴァーロード

 

 

J・J・エイブラムス。よく聞く名前で最初この黒人兵の俳優の名前かと思っていた。

クローバーフィールドの製作者だった。調べたら心の旅の脚本家だった。

何歳?

 

凄く良い映画だった。ハリソンフォード主演で好きなのはこの映画と『刑事ジョン・ブック 目撃者』。人生の長い旅を続けていられる人なのだな。

 

最近の若いやつはすぐ答えを求めたがるし、簡単にそれが得られると思っている。

「なんにでも答えがあると思うなよ」。まったく同じことを同世代の人間は、最近の若いやつに思っている。世界的にそうなのだと。シンクロニシティと片づけられることに必然は多い。

 

昔、インドで若いコと飲んでいたとき、映画の話になり、アルパチーノの「セント・オブ・ウーマン」に自分の言いたいことがすべて詰まっていると言っていて、まあ、酔っぱらってもいたし、感激するとすべてが名盤になってしまうコではあったのだけど、彼にとっての真実はそこにあったのだろう。ずいぶん、其の頃から映画も進化している。

 

 

人にとっての真実はそんなに簡単に進化はしない。それは人間が人間でしかないという史実とか生物学的構造に根指している。

多くの真実があるけれど、そのときその場所で使える真理というのはせいぜい一つっきりだというようなことも誰かが言っていた。自らの中に流れる血だとか、その脈打ちだとかと同じで、同時に二つは存在できない。

 

それがあると思っている生意気な彼らに対してかける言葉は、そんなふうにならざるを得ないよなと。かつての年の離れた上司たちに自分たちの批判を聞きたかったが、たぶんそのときは理解できなかっただろう。そのとき握れる真理というのも、なにかを手離せば必ず捕まえられるというものでもない。

突然少年

BUGY CRAXONEのすずきさんが推してて2マンでの自主企画で出ることになったという突然少年。フジロックのルーキー・ア・ゴー・ゴーに出てたのを知ったのもついこの間。

 

 

まあそんなあおりで見に行った。

名古屋のHUCK FINN。久しぶりに行ったらやはり1本筋を間違う。最近そういうの多いのはだいたいからして、ライブハウスの場所がそういう場所にあるからだと気づいた。

 

1Fはやはり締まっていてああやっぱりそうなのねと。何回かここでアコライブを見たのだけれど。街の時の流れはそういうものだと感傷にさえ慣れてしまうほど年を取ったことだ。

 

そんなこんなで始まったライブ。

なぜHUCK FINNなんだろうと思っていたら、爆音だった。そうかそういうことかと一人納得した。彼らはフォークっぽいと勝手に思ってたし、実際そんな曲の方が多いのだけど、一番ワクワクしたのはやはりラストで演奏しなおした火ヲ灯ス。

 

がっつりコア。歌詞はどうでもよかったし、ボーカルの大武くんもまともに歌ってはいない。彼らの本来はそっちだと確信したし、そういう音を彼ら自身が確信犯で演っている。音が重層的でしかも走っていた。HUCK FINNで演る意味。

 

最初はのび太くんっぽい風貌からそっち系だと思っていたんだけど、全然違った。

ライブハウスの物販で見る彼はちょっとショタコン好きが溺れそうな妙な色気があったのだが、フロントマンはそういうのがないとダメなんだろうとそこでまた妙に納得した。

 

ドラムが変わるそうで、あーやっぱりそうかと思ったりもし、全体としてはこれからの不安もありつつなバンドだけれど、BUGYもドラムは変わったし、WASH?もこないだそういうのを見た。だからどうだということはないけれど、願わくばこの先が見たいバンドであると。自分が一番気に入ったのはカニくんのギター。あとでブログを知って読んだらあーそういうコだったのかと、ライブ会場で彼らの演奏のあと、何度も目が合った気がしたのは偶然ではなかったのかも知れない。

 

この世界

自分が小学生の頃、給食はパン食でたまにマーガリンがついていた。

そのマーガリンには、一言豆知識がついていて。

いわく、『ミツバチはダンスで蜜のありかを教える』だの『らくだのコブの中にあるのは養分』だのと書いてあった。

 

高校のときその話になって、「『チータは時速120kmで走る』って書いてあったけど、あんなん個体差無視してんで」と友人が言っていて、ああそうだなと思ったことを未だに覚えている。要は個体差の話より、なんでチーターの足の速さの豆知識だけ彼も自分も鮮明に覚えているのだろうということだ。

 

滝沢カレンが好きなタイプは足が速いコだと言っていて、ある調査では全国20〜60代の女性668名に調査したところ、4人に1人が「小学生の頃、足が速い男子が好きだった」と回答したそうだ。

 

NHKのプラネットアースを録画していて、疲れているときには何度も観ている。

ゴビ砂漠に雪が積もっている。

冬には-40℃にもなり、雪も積もる。子供の頃にはそんな光景を見せられたことはない。砂漠といえば、サハラ砂漠で熱いと相場が決まっていた。

植物が育たない。暑いから、寒いから。分かりやすさというのは罪だと思う。

宗教の嘘はそこに集約されるのかもしれない。

 

 

ただ、世界はそういう提示を常に人に対して行う。

圧倒的なものというのは魅惑的で常に神秘に満ちている。

ボヘミアン・ラプソディ

ちょっと歯ぁ出すぎっちゃう?原口あきまさかと。

 

 

もうちょっとカッコよかったんだけどなあと思わないでもない。

 

ほれな。

 

最初あまりに評判がアレだったので逆に避けてたのだけど、BUGY CRAXONEの#いいかげんなTVですずきちゃんがすげぇ語ってたんで観てみた。

 

ライブバンド自認してる人なら最後のウェンブリー・スタジアム。

ありゃぁ、やヴぁいね。降りてきちゃうね、何かが。確実に。

 

ただ、なにより、全然知らなかったのだ。QUEENの詞があんなに良いとは。。

誰もが知っている歌を量産するというのは改めて非凡なことだと感じる。

 

曲を煮詰めていく過程が垣間見えるのだけれど、それよりなにより最初のフレーズなんだろう。筋のよいモノが生まれるのは。やはりなんにでも最初にポイントがある。すべてはそこにあるのだ、おそらく。それは、この宇宙の成り立ちの秘密と同じ。