象の夢を見たことはない -24ページ目

困りごと

鹿の鳴き声が聞こえる。

 

田舎では鹿は神の使いではなく、害獣である。

先日も夜10時ごろ、塾からの帰りで鹿をひきかけた。

田舎ではよくあることだ。

 

実際によく聞くのは、ひきかけた話ではなく、ひいた話。

ぶつかって、車の修理代に20万かかったとか、そのあとピンピンして鹿だけ走り去ったとか。もっとも、野生のシカは、逃げたあとどこかで死んでいるのかもしれないが、そこまで追跡した話は聞いたことはない。

 

いまの季節だと、田植えしたあとの稲をたべられる。いま、5月の連休に植えた苗は、ちょうど水面から20cmくらい。それを食べる。耕した田に、回りの田の具合も考え、水の算段をし、苦労して植えて、生育具合を見回って、そういう苗を簡単に食べてしまう。生長点を食べられる。鹿は夜行性である。夜、田んぼを車で走ると目が赤く光っている。サファリパークにすればいいと思えるほど、秋になるとさらに数が増える。彼らは一度場所を覚えると必ず、次の日もやってきて、昨日の続きから食べ始める。あっち、こっちと食い荒らすことはなく、丁寧に列に沿って食べていく。だから、鹿が入ったかどうかはすぐにわかる。

 

鹿をひきたくはないので、ブレーキを踏んだ。

心臓はバクバクいっている。

スピードを緩めた先を鹿はトコトコ走っていく。

まだ、若い鹿だ。子供だろう。

そのまま10数メートルしょうがなく鹿の後ろをゆっくり走る。

そのあと、彼もしくは彼女は路肩の草むらに消えていった。

 

鹿の目は、牛の目もそうだが、まじかでみるとつぶらでかわいらしい。

困ったことだ。

 

 

tokyo pinsalocks

まだ、コロナの影がなかった2019年11月に東京高円寺highで。

 

wash? / my funny hitchhiker / BAZRA

 

というのを見に行ったときに、客席でHISAYOちゃんを見かけた。近藤さんとか奥村氏とか、観に来てたのかもしれない。カウンターでビール頼んだとき、横にきれいな人が立った気配がしたのでチラミして二度見してしまった。「近藤さんの関係ですか」と思わず声をかけてしまう。けど、そのあと自主企画のエイリアンキッチンがあったので呼ぶことになっているWASH?絡みで打ち合わせでもあったのだろう。ちなみに、BUGY CRAXONEのすずきさんも会場にいたのだけど、たしかBUGYもそのあとWASH?だったかBAZRAだったかと対バンだったか、自主企画だったかの予定があったはず。

 

まあ、そんな感じでいまならもういいだろうと、個人情報を書いてしまったが、そんなふうにライブ会場に誰かがいたら見てしまうわけで。

 このときも、自分は邪魔にならないように最後尾くらいで見ていたのだけど(踊っていたとも言うが)、さすがに評判がよかったツアーだけあって、ラストのWASH?では疲れて腰もしんどくなってきた。

なので、壁にもたれて見ていたのだが、なぜかHISAYOちゃんが眼の前にずっと立っていた。ので静かに観察。170㎝の自分より高かった記憶があったが、靴が高くなかったからか、それほど大きくもなく、むしろ肩や腕も華奢だった。で、flood of circleは見たことがないんでわからないが、gheeeではしゃべらないし、おとなしい印象があるのだが、実はtokyo pinsalocksのMCではしゃべることもあって、それを観にいったこともある。しゃべる姿が貴重だという出し渋りっぷりは戦略としてありだなあと。

 

 

バンド活動ってどんなふうなのか、ライブでの終わった後の話とか、楽屋での裏話とか、いろいろ発信しはじめているバンドとかが、この機会に多くなってきていて、そういう話はいろいろおもしろい。

 

ちなみにこの会場でHISAYOちゃんとすずきさんが会話をするのは見ていない。と意味深に書いてみよう。楽屋で会ってお互いに挨拶はすでにしてたのかもしれない。ライブ会場はいろいろあるので、おもしろい。そういうのも含め、現場じゃなければだめなのだ。

音も産毛が揺れないと心までとどかない。揺れる空気を感じに行ってるわけで、音だけじゃないんだよね。だからライブ会場がなくなると困るのさ。

今年の夏にはいろいろ行けてるといいのになあ。

 

 

いろいろあるけどみんなでがんばろうぜ。

 

 

新・蜘蛛の糸

筒井康隆の「おれの血は他人の血」の中で、いまだに覚えているのは、やくざの抗争に否応なく巻き込まれたサラリーマンの主人公がやくざの世界に対して吐いた言葉だ。

 

借りばかりが増えていく。

 

いつのまにか、絡みとられて不用意に金を受け取ったばかりに増えていく借りという呪縛。受け取れないとつっかえそうにも返せないほどに泥沼にはまっていくのは、この世の縮図だ。人はこの世に生を受けたときから、保護なしでは生きては行けない。ごはんを与えられ、愛情に甘えなければ、数日で死んでしまう存在。

 

そのみっともなさを受け入れること。

それが大人だという像があったのだけど、本当はそうではなく。

サイコパスがいまの世の理想系。サイコパス爆誕。

借りなど、自身の意識の問題でしかなかったのさ。

神などはいないから、バチなどあたろうはずもない。

 

ヤノマミ族が、1日3時間ほどの労働をすれば食べていける豊かな土地にいるように、現代の日本もそのような土地にはからずもなっている。ヤノマミ族では殺人をするほど集団内の地位があがっていく。彼らの中で、殺人を犯したもののほうが複数の妻を獲得し、子供の数も3倍以上になるという。そしてそういう繁殖能力の高い男はサイコパスの特徴と酷似している。(「サイコパス」 中野信子著)。

 

ヤノマミ族の神話

天は精霊の巣でワニなど多くの精霊がいて、人間も死ねば精霊になる。最後に男はハエやアリとなり地上へ戻る。女も別の虫になる。 人間として地上で生き、天で精霊として生き、最後は虫となって消える。

 

善も悪もないフラットな世界観。どこか量子力学っぽい。多元宇宙論と古い部族の神話を洗いなおせばなにかでてくるかもしれない。あるいは、そんな科学が求められている時代なのかもしれない。

 

はー、どっとはらい。

 

 

若者用と老人用

人はしゃがまないと高く飛べない。

 

そう昔聞いた覚えがある。

それは、正しそうに聞こえる。

だが本当にそうだろうか。

 

人は助走しないと遠くへは飛べない。

 

走っていないとチャンスはない。

最近はそっちのほうが正しいと思う。

 

若者用の格言と老人用の格言はおのずと違う。

カラスの勝手でしょ

知らんかった。

今年自分にとって最大のヒット。

 

 

DT殺すセーターというより、早過ぎて止まって見える扇風機の羽根のように

一周回った渡辺直美にyoshikiを見たわ。

はえぇぇーと。

ガウディと70年代の融合だわ。

作りたいし、踊りたい。