サバ州 その3
ラヨー駅がラフティングの終点ポイント。ここで着替えをして、荷物を置いていく。
一駅先のパンギ駅がスタートポイント。
なので、再度列車に乗り、パンギ駅へ。
と書いたが、もうこの辺りは記憶もあいまいだ。
海外旅行に行くと、この想い出は一生残るだろうなどど若いころには思っていたが、思い出すのは、断片的な記憶だけだ。しかも、なぜそこだけ覚えているのだろうという場所だったり、経験だったり。
写真に残した場所やそれを撮った状況などはたいして覚えていない。
パダス川のラフティングは、荷物が邪魔になることはわかっていたので、カメラすら持って行かなかった。今なら、ウエアラブルカメラなどがあるからよさそうだが、あの激流ではすっ飛ばされるので、首から掛けといて。いや、そんな余裕はなかった。
なので、この映像の彼のようには撮れない。無理。
人さまの映像だけれど、貼り付けておこう。2016年のものだから、自分が行ったころより大分新しいけれど、ラフティングに関しては同じような感じだ。
ニセコでも1度ラフティングしたことはあるけど、途中で人が激流でゴムボートから跳ね飛ばされて流れていくことなどはなかった。海外はいろいろ日本よりやばいから面白い。もう、自分は年齢的に難しいから、若いうちにスキあれば行かないと。
自分のときは、カナダ人のおばちゃんとそのどちらかの子供が同じボートにいたのだけど、自分の横にいたその子がふっとばされてボートのヘリにしがみつく。あわてて引っ張り上げる、なんてことがあった。流されても、人の方が早く流れるので、流れがゆるくなったところで、引っ張り上げたりできるらしい。
終わったあと、自然の中で食べるごはんは美味しかったねえ。
サバ州
時速60kmは出ているだろう、列車に連結された貨車とすらいえない車両の上。
鉄板の上に乗っている。
柵も囲いもなければ、掴まる場所もない、まっ平らな赤茶けた鉄板の上である。
マレーシアのコタキナバル。
軽い気持ちで現地の旅行会社に電話して、ラフティングの現地ツアーを予約した。
ホテルでピックアップしてもらい、タンジュン・アル駅へ。サバ州立鉄道の起点だった駅である。そこから列車に乗った。メインの鉄道なので、しっかりした作りのディーゼル車だったはずだ。
だが、今のっているのは完全な貨車である。しかもコンテナを直置きするような、貨車の上である。乗っているのは、同じラフティングに参加するメンバー。顔の色も国籍もさまざまだ。思い思いの場所に座り、車窓ではなく、まるごと流れていく景色を眺めている。
腕に違和感があった。
「痛っ!」。アブのようなものがとまっていた。慌てて叩こうとするが、その前に飛んで行ってしまう。変わった形をしたアブだった。今までに見たことがない。当たり前だ。ここは日本ではない。熱帯雨林の中である。人に卵を産み付け、その卵が血液をめぐり、どこかの細胞に入り込む。そんなイメージが沸いてくる。なにか、焦げたような臭いが鼻についた。
列車は森を抜け、茶色い河を渡る鉄橋の上を過ぎていく。
(どこかへ続く)
高気圧ガール
自分が大学生1年の頃、文化部の部室にクーラーなどなく、窓は開けっぱ。単館建ての3階にあったので、なかなかいい風が入って来ることもあろうかと期待したが、そうそう涼しいってこともなく。
そんな中で、さらに暑苦しい工事現場の音で始まる。
夏の部室にいると必ずかかっていた山下達郎。なつかしいカセットで。
そして夏に聞くとさらに暑苦しさのますベース。
当時はこの曲のファンキーさを全くわかっていなかった。
クリスマスと言えば、山下達郎といわれていたのももうすでに30年前。
山下達郎と言えば夏だったのにと、当時思っていたのも遠い過去。
いまは浜ちゃんの息子さんがこのベースを弾いてみたなようつべが上がっていて。
梅雨があけました。
https://twitter.com/20ct_sohjo/status/1289532909280362498
うーん全日空。gotoどころか、三重大学でクラスター発生。
そう言えば、万座ビーチの薬師丸ひろ子も大画面で観たのだったよ。
まだ沖縄、生まれてこのかた行ってないな。
お金2.0
金融経済にスワップされているお金が、実体経済に割り当てられるのは、例えばジェフ・ベゾスだったり、イーロン・マスクだったりが、資金を実際のシステム構築に投下するタイミングに任せられているのかもしれないけど、そのタイミングを制御しているんは、いったい?
換金したもん勝ちのように思えるが、それをしない理由がただの快楽の先延ばしでしかないとすると、どっかで壊れるよなあというのが「お金2.0」を読んだ最初の感想。
この本、そのままでは、よくわからんけど現代の「考えるヒント」なのかもしれない。
でも、結局会社回すには、それを担保にして銀行から金を借りてなんていうふうにしないといけないわけで、そういう実体経済との接点もなしに新しい経済圏といわれても、絵に描いたもちのような気がしないでもない。
最近、図書館で本を借りることを覚えた。
どこかの編集に携わっている人が、本を毎週何冊も買って、読んだら捨てると言っていて、そうじゃないと家に本があふれて、住む場所がなくなるからと。部屋に積んである本が崩れ始めたら、捨てるサインらしい。
だったら、買わなきゃいいということに気づいたが、贔屓の近くの図書館でFACTFULNESSは22人待ちだった。おいおい。
いつ実際に読めるのかはタイミングまちだけど、そのまえに本を買ってしまうような気がする。
図書館にだって仮想経済圏はあるのだ。部屋の大きさにだって実体経済はある。
という意味不明な理屈にもなんらかの検証は必要だが、経済学というのはどっかそういうものなのだろう。ただ、結構気持ちが楽になる本だった。

