象の夢を見たことはない -21ページ目

風のつよい日



when wind blows. 


ラストレター

 

 

獅子舞が来た。

毎年この時期に回って来る。収穫が終わった秋祭りの時期だ。

太鼓と笛の音。

 

そういう季節感が岩井俊二の映画にはある。

それは1年の間の季節だったけれど、年を経ることで長い人生の中の季節感もどこかしら感じるようになってきた。

 

獅子舞というのは、ある種の押し売りのようなもので、断るのも忍びなくてしょうがなく毎年、お布施と米を収めるのだが、そういうある種のフックというのも彼の映画の中にはあって、それが映画を前に進めていく。そういうところも昔から変わらない。

 

子役のコたちがいい、打ち上げ花火のときやら、円タウンのときやら、まあキャラが立っていたりする。

村上春樹と岩井俊二。ずっと昔から読んだり、映画を見たりしているけれど、なにか村上春樹のほうは、そういう若さが少なくなってきている気がする。

おそらく、若さというのは茶目っ気なのだ。

いのちの現場

草刈りをしていた。

3mほどの斜面が田の端から端まで続く。

で、下は用水路になっている。

 

このときはヒモではなく、チップソーで刈っていた。

そこはだいたい毎年マムシが一匹いるという場所で、そういう場所は決まっているらしい。

 

刈ってたら、なんだか丸い塊が転げ落ちていく。

後でその瞬間見たものを思い出しつつ、眼の前に像を結んでみた。

どうやらソレだったのかもしれない。

 

ヘビというのは、にょろにょろ動いたり、マムシの場合、30cmくらいは飛びかかってきたりするらしいのだが、それ以外に、斜面をとっさに動こうとする場合、毬のようになって転げ落ちることが出来るらしい。

たぶん、奴のどこかをぶった切ってしまったのだろう。

用水路へ転がり落ちていった。

 

 

鹿が入った跡。

小鹿だとなんもわからず柵を飛び越えてしまうことがあるらしい。

見に行ったけど、発見できず。

昼間だけ、柵の一部を2か所ほど開けておいた。

次の日、そこから覗いている小鹿を見たと近くの田のオヤジから。

 

一週間くらいのうだるような晴天のあと、稲刈り。

コンバインで下手から刈りはじめ、残りはこの田の3分の1になったころ、

そこから小鹿が飛び出してきた。

逃げたと思っていたのに、まだここにいたのか。

カラカラに乾いている田の中でどうやって水を確保できていたのか。

 

野生というのは、人間とは、もはや別物。

たぶん、想像が出来なくなるくらいそれは遠く離れてしまったのだろう。

ファクトフルネス

最近twitterで、よく人のリツイートに「いいね!」を押してしまう。

その人のフォロー先をチェックして、自分でもフォローしてみた。

そうすると見る量が増えるのだが、マンガも同じで読むスピードを上げると、好みや良いもの・悪いものの差がひときわ見えてくる。

 

質を上げるのは量であって、それ以外にはない。

その事実は今のようなインターネット時代になって、ひときわ顕在化し、共有されはじめてきている。ということに、NewsPicksあたりの著者の傾向をみて気づく。

 

量を増やすためには仕組みが必要で、スワイプだったり、マンガが持っている構造だったりする。それは、表層とか認識に現れるものとは全く別の次元にある。

 

なんだかそんな無駄なことを考えているうちに人生が終わってしまうのは、まったく表層に囚われていてちゃんと生きてない証拠だな。

 

生きるのに必要なのは、覚悟であって。

覚悟とファクトは別物。

 

落とされない小論文

 

 

<要旨>

良い答案とは

「問題の意味を正確に理解して書いている」

「具体的で、抽象論に逃げていない」

「簡潔で話の筋道が通っている」

以上がすべてである。

 

<読む方の至便性から考えれば>

英語のスキミングで長文を速く読むための “本当に役に立つ” 3つのコツ

 

参考

<指導する際の指摘ポイント 12の減点要因>

https://www.lifehacker.jp/2018/02/book_to_read_test.html