象の夢を見たことはない -258ページ目

欲情

人は関係性に欲情する。

っていうのはどう?

モノを認識する場合、それを単独で認識することはできない。

成長するにつれ、脳細胞はその成長の触手をつむいでいくのだが、その脳細胞同士の繋がりは世界を模倣する。

赤ちゃんは自分のうんちでも食べようとする。てか、なんでも食べようとする。

脳細胞のマッピングについて、脳機能マッピングってのがある。これは体のどの部位がどれだけの部分の脳につかさどられているかをあらわすのだけれど、たとえば手の機能をつかさどる部分は足のそれに較べて、何倍も大きい。

このマッピング自身も成長に応じて変化していくと思うのだけれど。。

なんにせよ、世界を模倣しながら成長する脳細胞にとって、本能にしてもそうだけれど、繋がりの強い部分になんらかの感情的重みが付加されていくような気がする。

それは、繋がりの強さだけでなく、もう少し違う色合いのファクターがあるような気もするのだけれど。。

いずれにしろ、本能的なあるいは生物学的・遺伝的な要因も含め、人はモノに欲情するのではなく、『関係』に欲情する。

とすれば、モノをいろんな関係と切り離して見ることが、あるいは訓練で出来れば、欲望のコントロールはたやすい。

なんてね。

本質

インドの三神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァのそれぞれは、

ブラフマー 創造神
ヴィシュヌ 繁栄神
シヴァ 破壊神

知人が言うには、あるインド人がこう言ったそうだ。
これらの役割を英語で言うと

Generate
Organize
Destroy

頭を取ったら、G・O・Dになると。「ほー」ということで、酒を飲んでる場で感心。

言葉遊びなのだけれど、その言葉に囚われる弱さが人間にはある。
メタレベル化されたものから、逆に現実を見るときに本質というものは逃れてしまう。

仕事の神様は、細部に宿る。
本質というものは常に目の前にしかない。

私が知っているあるインドの会社の社長は言った。
『今のインド人は、Wit(機知)はあるが、Wisdom(英知)を無くした』と。
そちらのほうが真実くさい。

かたち

限られた数の脳細胞で世界全体を把握しようという試みは、何らかの事象を簡略化した別の事象で代替して表現する手段を脳細胞の中で取ろうとすることで決着をつけようとする。

この結果、自然現象を、あるいは身の回りに起こる出来事を、基本的な形へと象徴させようという構造的な運動が生じる。

ものごとを象徴しようとする運動は、メタレベルでの認知、スキーマの形成という二つのポイントを回転する運動によってなるが、回転する軸の軌道は、社会環境からくるトップダウン的なものと本能的なボトムアップ的なものの均衡によって決定される。

メタファー。
各人の中で形成されたスキーマは相似する。
人間の体に変化がないように、その体で捕らえられる世界というのは、それほど大きく変わるわけではない。
それは、成長と老いという過程を通しても同じ。同じ年齢世代のスキーマの相似性というものはあり、その成長の過程で・成長・変質・退化するかたちも運命づけられている。

記憶。記憶の欠落した部分は、スキーマ形成でもちいられたなんらかの事象でその欠落を補われる。
スキーマによって、おだやかに記憶は変質させられる。



オマエの輪郭をなぞりたい
昨日買ったクレパスで
時々
はみだしたりしながら

オマエの架け橋を渡りたい
登ったり落ちたりしながら
直したり壊したりしながら 佐野元春

TV部 ロス

ピピピクラブにて。

『トップランナー』で、SHIHOを見ると、ものすごくおでこが脂ぎっていました。洗顔フォームのCMもやっているのに…彼女は最近ヌルヌルした男性と結婚なさったようですので、もしかしたらそのオイリーさが伝染って…

コメンテーターが変わった?投稿過激さアップしたような汗

ますます、目が離せなさそうですドクロ

ああぁ~

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