オーラの正体
「オーラの正体」
★その人物に関する物語性を伴った情報がその人物のオーラを形作る。
とは村上龍の言葉だ。
だがしかし、その人の情報など知らずにいたとしてもオーラを感じることはある。
無名の人に、たとえばコンビニでたまたま見かけた人に、ライブ会場の客席にいた人に、レコード店で出会った人にオーラを感じることはある。
自分のフレームから「外れている」、あるいは、「超えている」。そう直感すること。
仕草、目配せ、リズム。体が発する情報は、言葉などよりもっと豊潤なものである。
情報というのは物語性を持つ。あるいは、ある物語性のもとに情報は集約されていく。
物語とはなにも言葉で語られるだけのものではない。イメージや音などを含んでいる。
その集約のベクトルが、あるいはフレームが問題で、自らのフレームに納まりきらないものも、自らの知識うんぬんを超えたところである種のフレームを形作っている。あるいはベクトルを持っている。
それは、言語化され得ない自らの経験から来るものなのか、もしくは先天的な無意識から来る本能的なものなのか、判別することは難しい。個人的なものなのか、あるいは社会的に醸成されて体に染み付いたものなのか、あるいはもっと人類にとって共通なものなのか。。
いずれにせよ、人が情報を集約する際の方向性、それを物語と呼ぶのであればそれは情報よりもより根源的な人の中にあるナニモノかである。
それに人は心を震わせるのであって、決して情報にのみにふりまわされているわけではない。
情報というものは外部から与えられるものだけでなく、自らのなかにあるものも含めるのであれば、言ってることは同じなのか。。
まあ、いいや。寝ます。
★その人物に関する物語性を伴った情報がその人物のオーラを形作る。
とは村上龍の言葉だ。
だがしかし、その人の情報など知らずにいたとしてもオーラを感じることはある。
無名の人に、たとえばコンビニでたまたま見かけた人に、ライブ会場の客席にいた人に、レコード店で出会った人にオーラを感じることはある。
自分のフレームから「外れている」、あるいは、「超えている」。そう直感すること。
仕草、目配せ、リズム。体が発する情報は、言葉などよりもっと豊潤なものである。
情報というのは物語性を持つ。あるいは、ある物語性のもとに情報は集約されていく。
物語とはなにも言葉で語られるだけのものではない。イメージや音などを含んでいる。
その集約のベクトルが、あるいはフレームが問題で、自らのフレームに納まりきらないものも、自らの知識うんぬんを超えたところである種のフレームを形作っている。あるいはベクトルを持っている。
それは、言語化され得ない自らの経験から来るものなのか、もしくは先天的な無意識から来る本能的なものなのか、判別することは難しい。個人的なものなのか、あるいは社会的に醸成されて体に染み付いたものなのか、あるいはもっと人類にとって共通なものなのか。。
いずれにせよ、人が情報を集約する際の方向性、それを物語と呼ぶのであればそれは情報よりもより根源的な人の中にあるナニモノかである。
それに人は心を震わせるのであって、決して情報にのみにふりまわされているわけではない。
情報というものは外部から与えられるものだけでなく、自らのなかにあるものも含めるのであれば、言ってることは同じなのか。。
まあ、いいや。寝ます。

。あく抜きがいるとばかり。。その日に食っときゃよかった。

