象の夢を見たことはない -196ページ目

棒食

『歌うクジラ』に棒食ってのがあって。

『歌うクジラ』、未来SFで、その未来では文化経済効率化運動により欲望は悪だと。必要な栄養素を満たす以上の食欲は健康にも精神にも悪いと。簡潔な食事が奨励され棒食が誕生したと。棒状になった食べ物らしく、いろんな味があるとか。
「いや、それはあり得んわ」と思ったのだけど。

今あるパラダイムをシフトして未来世界を描くことの不可能性に気付いて、ならばと未来予測というSFのそれを完全に手離してしまって、個別のなにかをデフォルメしてそこだけにリアリティを持たせるという…なので、いびつで整合性はとれてないのだけど、それを無視して突っ走って書いちまおうというスタンス。村上龍らしい思い切りの良さが味の小説なので、まあアリっちゃアリなのだが。

向現という神がかりな命名をされた薬品が『五分後の世界』にあったのだが、どうもそれに代わる品はないかとめぐらして出てきたのがこの棒食っぽいのだが…命名にしても品物にしてもあまりに三級品で安っぽく。。「なんなんだろう、この台無しな感じ?」とおもいつつ、スーパーで見かけてコレだと。

$ニャンちゅうなブログ-棒ラーメン

村上龍氏、ぜったいこれをイメージして書いたなと。マルタイの棒ラーメン。
何故か名古屋で普通に売ってた。てか九州味て…。

あれかなあ、名古屋って味には保守的だから、こういう昔っぽいのってたしかに合うのかもしれんと。オリエンタル中村とか。あのカレーって小麦粉カレーなのだが、まだ売ってるし。マルシンハンバーグとか。マルシンフーズは名古屋じゃねえか。でも中部地方ではかなりメジャー。めっさ昭和の高度成長期って感じ。まあ、三重県もTVは名古屋圏なので、かなり子供の頃からこの感じに侵されているわけだけど。なんかそういう類いの懐かしい味が結構残ってる。どこの地方でもそうなんだろうか。たぶんそうなんだろうなあ。

でも、こういう土地土地のやつっておもしろい。ソウルフードって名物で売ってる土産じゃなくてこういうやつだし。旅行先では、こんなの食べ物のほうをむしろ探したい。名古屋でも、ほんとは味仙の台湾ラーメンや山本屋の味噌煮込うどんより寿がきやでラーメンを喰えと言いたいのだが、さすがに遠くからやって来てくれた人にそれらを差し置いて食べろとは言えない感じの安さがあって…。その安さこそ味なのだが。。

今はファストフードが日本人全体のソウルフードになってきてるみたいだけど、まだこういう地方特有の安い感じのってあると思う。(マクロでモノを見過ぎるのはファッショで危険なのだが、あえて盲目的に断定するっていうのはやはり生きるエネルギーそのもので。。自らの身体で得た感覚を掘り下げて直観的に掴んだモノをまるごと描写して提示されると、どこかにリアルなモノだけがもつ冷たさが現れるらしく。自己と断絶された他者やモノそれ自体と向き合わされる感じ。自己の輪郭が他者や物自体と相対することによって明確になる。彼があいまいさを嫌うのはそれが理由で、そこが龍氏の魅力なのだが、この棒食ってのにそういうのはない。それが生まれる文脈もあまりにウソ臭くユルイ感じがする。それはともかく)

食に対するノスタルジーってやっぱり大きい。
『五分後の世界』のヤマグチという日本国地下司令部の司令官は、オムライスが好物で、地下司令部のレストランで小田桐やマツザワ・アヤコ少尉の前でそれを注文して、チキンライスがでてきて怒るっていうシーンがあって。おじいちゃんの最高司令官なのに…

結構そういうところが村上龍氏にもあるのだろうか。
これを見つけたとき、ちょっと笑ったのであった。

<おまけ>
セブンイレブンにまつながのしるこサンドが。「うわっ!」と思って手に取り、棚に返そうとおもったけど棚パンパンで…買っちまったわ。じいちゃん、ばあちゃんの部屋にだいたい常備されていて、小学校から帰って水戸黄門みながら食べた。

$ニャンちゅうなブログ-しるこサンド

これって小倉トーストだよなあと。名古屋に来るまでその存在を知らなかったのだが、小倉トースト。
どーなん、小倉トーストとか?普通に食べてる自分…ええんやろか?

単純に

まあ、あれだ、人生の無目的性に飽き飽きしてんだと。
贅沢な話でスマソというヤツなのだね。

おもしろおかしく生きて、雨の日には車を磨いてっていう。
そういう生き方。いいすなあ。
五木さんってそう考えると粋なおっさんだったのだが、なぜ?

バブルのときのこういう小説って辛気臭い「歎異抄」より夢があってよいと個人的には思うのだが。もう書いてるほうも飽きちゃったのか。もしくは売れないのか。

雨の日には車をみがいて (角川文庫)/五木 寛之

¥504
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車が好きっていうただそれだけを追求したらこういう本になるのだと思う。
ただ単純に。そういうのっていいなあ。あと、女の人が好きっていう…。
とはいえ、そんな中にある哀愁や哀感。それが男のロマンだね。

集英社文庫より角川文庫のこっちに馴染みが。なつかしい安西水丸氏、なんだかあの時代のどーでもよい感じの勢いがあってよろしい。ノスタルジー?まあでも、集英社版の表紙のほうが内容に近いけど。うーん、ワタナベノボル…

ところで『しをんのしおり』は相変わらず買えず。チラ見してるとおもしろい。このまま買わずに置くというのもアリなのかもと思い始めた。
手慰みに『月魚』を買ったのだが、これまたBLだよ。
手慰みって書いてみたが、字面がアレだな。
自分が読みたいという女性作家の人は高村薫にしろ、しをんちゃんにしろ。。まったく。
さび抜きならぬ、BL抜きでお願いしますといいたいのだが、それだとおもしろくなくなるのだろうか。せめて、リヴィエラやまほろくらいで止めて欲しいのだが。お?あれか?嵐とか売れてる原因もBLなのか?考えてみれば。じゃあ、エグザイルもそうなのか?

ところで、その『しをんのしおり』だが「次元五右衛門チェックシート」なるものがあるらしく。どっちがオタ乙女的にそそるかという。
その次元のほうなのだが、

ルパンに対するアンビバレンツな感情があり、女あしらいがうまい社交家のようで実は鬱屈した性格の、次元大介


狙っているのはこれなのかとBYEE the ROUNDのベースのオオイくんを見て。
(PCの人は右欄でPV参照可。次元ヒゲね→しかし、アナザーガール・プリーズて)
オオイくんのTWITTER自白見て「まさにっ!まさしく…」て感じが。
オオイくん曰く、ベースは鬱屈してるのだと。変態なのだと。そうか、ヘンタイなのか…。だとすると、次元ファン=ベースプレイヤーファン=ヘンタイが好き?

でもさ、しをんちゃんってヲタ乙女系だぞ。ん?だとすると嵐ファンもみなそうなのか。すげえぜジャパン、エキゾチッッック(←崩壊)
ていうかそんなヲタな時代がくるなどとバブルの頃にいったい誰が思ったろう。世界は予測不能で、これからもそうであってくれと切に願う。
だが、今よりもうちょっといい加減な時代がいいなあ、やっぱり。

FOUR GET ME A NOTS

まえまえから気になってたのだが

このバンドが入場する時のテーマ曲って、やっぱりいいね。

テンションアガルあげ

バンドの音とのギャップ萌えってやつ。大事ね。

しかもガーリッシュなとこがさらにぐぅ~。

声はどこかで聞いたことあったのだけど、そうか浅田香織だったのか。

YouTubeBonnie Pink Forget me not

今日のフォゲミ御飯

もはや、おじいちゃんが孫のカオを見に行く感じである。

きょうもやはりHUCK FINN。
ちなみに一階では木村世治さんが。おおっ!

$ニャンちゅうなブログ-huck finn

フォゲミなのである。チエちゃんを見に行く。

$ニャンちゅうなブログ-はーい

が、隣のダイエーでばったりチエちゃんに出会う。
が、向こうは知るよしもない。まだ見ぬおじいちゃんなので。
かなり妄想入ってるなあ。まあ、いいや。

で、さすがに3回も来てると「あ、このコたち知ってるわ」ってコたちにも会うわけで。まあ、自分からすれば娘みたいな年齢のコたちなので、やはり秘かにおじいちゃんのように愛でている。あと、オジサンもなぜだか多く。。彼らは前の方にいつも。関係者の人なのか?未だによくわからない。今日は前の方、かなり盛り上がってクラウド・サーフィン派手にやってたし。ケガとかだいじょうぶだったろうか。

そういう自分もおじいちゃんなので、やはり一番うしろで眺めていたのだが、ツアーをまわっていただけあって、ライブもこなれて来て、お客さんもかなり増えて、ここ3回のHUCK FINNのライブ(6月、9月、11月)ではダントツにガッツリ盛り上がってた。
盛り上がってる若いコを後ろで見てるのはホント楽しい。
そんな感じだったので、今日は若いコのエキスを存分に浴びたのであった。

しかし、あいかわらずフロントの二人は恥ずかしがりだねえ。
アベちゃんが喋ってたよ。

あと、なにより驚いたのは、石坪くんの帰る用意の素早さ。
いや、まだSpecialThanks、アンコール中やって。
しかもやたら高そうなマイケルジャクソンばりの皮ジャンを着て、黒のこれまた高そうなリュックを背負って物販に…。
いや、高いでしょそれ。じーっと観察してしまったわ。さすが王子。

今日の盛り上がり方みてるとなんだかメインストリームに乗ったみたいで。
おじいちゃん的には一安心なのだった。
しかし、アベちゃんのドラムはほんといい。

せっかくなので、もう一回押しとこ。



おしまい~ϵ( 'Θ' )϶

コミュニケーションの夢

「コミュニケーションは人間の夢だと思います」

というのはチョン・ユンチョルの言葉だったと思う。
映画「マラソン」のテーマなのだけれど。

『海獣の子供』4巻目突入。

$ニャンちゅうなブログ-4巻

これは壮大な物語ですね。知らんかったわ。

今、並行して村上龍の『歌うクジラ』を読んでいて。
同じようにクジラの歌というのが全体の物語の重奏低音となっているのだけど、坂本龍一氏がRVRで「まだ人間というものの評価は地球の歴史のなかでは審判されてはいない。」と言っていて。。これはだいぶ前なのだけど。
彼の言うことを理解したつもりだったのだけど、『海獣の子供』を読んで、「ああ、そういうことも含めてなのか」と彼の言葉に対する理解の幅が少しだけ拡がった気がする。

言葉というコミュニケーションツールを手に入れることによって、人が得たものと失ったもの。
村上龍は小説という表現手段で、情報の伝達という機能に特化したそのツールを先祖返りさせようとしているのではないかという気がしてきた。とはいえ、それは今まで多くの作家が試そうとしてきたことなのかもしれないが…。村上春樹だってそうだし。

コミュニケーションとは一体なんなのか。
コミュニケーションというそれ自体の意味が、言葉を持つことによって変質してしまったのではないか。「コミュニケーション」という言葉によって定義されてしまったことで、抜け落ちてしまったなにかを探してそれを復元しようという試み。すべての作家は、もともと暗黙的に、あるいは映像作家にしても、画家にしても、芸術家といわれる人たちが目指しているのはそこで…音楽もそうなのだろうか?

伝えられるのは情報ではない。では一体なにを…。
そういうことが、実は『海獣の子供』のテーマの一つでもあるらしい。

うーぬ。世界はエライことになっているのだね。知らなかっただよ。
とあいかわらず勝手に先走るオレ。
ははっ、気のせいかもね。だが、そのうちに…。