象の夢を見たことはない -18ページ目

ダム

 

日本では、ダムは高度成長期の象徴だ。

発展途上で国の電力不足を補うために作られる。

そして、その後どうなっていくのか。

 

豊富な水を利用して、水路を作り、公園を作る。

アルハンブラ宮殿がイスラムの民のオアシスであったように、インドの多くの場所において、水は貴重なもの。その貴重な水が大量にあるというのにそれを使わないというのは、考えられない。そういう発想なのだろう。

 

日本では、ダムの近くにこんな立派な公園を作ることはしないだろう。

余剰なものを楽しむ。大勢の人で楽しむ。

そういうやわらかさ。インド人ののどかさというのは、あるいはここは南インドだからかもしれないが、たぶんこれからも変わらないだろう。そんな気をおこさせる場所だった。

 

さて、ここはどこだったっけ。マイソールの近くだったな。

Brindavan Gardens

 

路地@バンガロール

 

入り口もない。故に人通りもない。

そんな路地がある。

 

ここは一体なんだったのだろう。

ストリートビューが見れない国、インド。

謎は謎のままがよい。

 

あるいは、再び路上で。

再び路上で。

祈り

 

風が吹いていたといえば、そうではなかったといえる。

 

インドでは、いまでも普通にプジャをする。

家の中に祭壇があって、祭壇にお供えをして花を飾り、プジャをする。

家に帰ると足を洗う。プジャする前にも足を洗う。

裸足で道を歩くことが、生活の中に入っている。

 

意図せず、相手の体に当たった時は、十字を切るような仕草をして謝る。

十字を切っているわけではない。口に手を持って言ってなにかの言葉を言う。

そして、相手に謝罪する。目上の人に対しては、そういうことをするのか。

なぜかとそれを問うたことはない。

死ぬまでに行きたい海

岸本佐知子さんの『死ぬまでに行きたい海』を読んでいる。

 

 

もう15年くらい前になるのだろうか、死ぬまでにしたい10のことという映画があった。

あとは世界の中心でとか。それくらいからだろうか、余命何カ月のとか、死ぬまでにという目標ぶったてるというのが、この社会のどこかでひそかに大っぴらに流れているようだ。

 

行ってみたい場所だとか、やってみたいことだとかいうのは、以外とやろうとおもえばできたりするのかもしれないが、死ぬまでに会ってみたい人という目標は、案外クリアするのが難しいような気がする。

もっとも、自分が有名人にでもなれば、できるのかもしれない。ならば、有名人になるというところがマイルストーンなのか。遠いな。

 

まあ、そんなこんなで岸本佐知子と三浦しをんに会ってみたい。

三浦しをんのエッセイのあとがきだったかで、どうやら、岸本佐知子氏が、三浦しをん宅でのオダジョーの仮面ライダー鑑賞会に巻き込まれたところくらいから付き合いが始まったのか、実は友達らしい。まるで創価学会の勧誘のアレのような巻き込まれ方だなと思いつつ、その後の成り行きはどうなったのかとおもっていたが、どうやらお互いのエッセイにそれぞれ友達として、名前は伏せていながら出てきているようだ。『死ぬまでに~』では、「あっづい」と「ガリガリ君食べたい」としかいわない友人として出てくる。と書くと語弊があるな。まあ、結構ぞんざいな扱いで書かれてはいるが、仲はわるくないらしい。

 

まあ、そんなことはよい。問題はこの『死ぬまでに~』の中のYRP野比である。

『死ぬまでに~』は、岸本佐知子さんが雑誌に書いたエッセイをまとめたもので、紀行文である。

 

“鬼”がつくほどの出不精を自認する著者が、それでも気になるあれこれに誘われて、気の向くままに出かけて綴った22篇。行く先々で出会う風景と脳裏をよぎる記憶があざやかに交錯する、新しくてどこか懐かしい見聞録

 

と本の紹介にはあるのだが、この場所がなかなか「いける」場所だったりする。死ぬまでにというより、「もうすでにキミ行ってるじゃん」と思ったりもするのだが、コロナ禍でも行けそうなところが、村上春樹氏とかの紀行文とちがって手が届く感じで良いのである。

 

そう、YRP野比の話であった。彼女が電車に乗っていたとき、ある駅を通過した。

京急の駅名で、わいあーるぴーのびという。ひらがなで書くとどこまでもまのぬけた感じになるのだが、漢字だと、「YRP」と「野比」の間で不整合がギシギシ鳴っている感がある。そして妄想がはじまるわけだ。いわく、夜になると丘から銀色に輝く球体が現れ、それがパカッとあくと、そこからゾロゾロと銀色のヌラリとした人型のものが云々。そうだ!いってみようと。

 

自分も知らなかったのだけど、ここはいわゆる…。

ということで、自分の会社員時代の最後の方を思い出した。そうかデスマという略称まで今時はついているのだな。なるほど。こわい。

なつかしきエンジニアのデスマーチあるあるまとめてみた

まあ、岸本さんの会社員時代のエピソード話からすると、彼女にはまったく用のない場所だし、その逆でもあったろう。

 

なかなかこういう場所の選択は面白い。海芝浦とか。まず名前がそそるな。自分にとって行きたい場所はどこなのか。はたして、ふむ、と考えてみる。いろんな紀行文を読んだけど、彼女の本がいちばん自分にとっては日本の旅情を誘った。気がする。たぶん。

 

はじめの一歩、もーろーた。

「敢えて危険なものに手を出したい」というのと、「これはやばくなるくらい好きになりそうだから手を出したい」というのは、食べてみるまでわからない。

 

結末がわかっているというのは、ある種のお笑いである。というのは、ホラー映画のB級作品の見方に通じているのかもしれない。それに至る過程で面白みを見出す。ゾンビ映画とかによくあるのだけれど、どうやって対峙していくかという。

 

 

それはそれで、ちょっと違う話になるのだけれど。わかっちゃいるけどやめられないという話に近いのか。

 

一回性という人生を考えた場合に、はじめから結論が見えている話に飛びつくというのは、あまりにもつまらない。だから、最初は、自分ではどっちかわからないように、設計されたのだろう。

 

危険をさける上で、はじめにあらすじを読んで安心してから映画を見るらしい。ある種の腹黒さというのは、防衛本能から来ているのだろうけど、それがきつい人とは距離を保つ。だが、なんか気になる存在だったのよ、ファースト・サマー・ウィカ。なにかが気になっていたのだけれど、そういうことだったのかと今気が付いた。

 

しかし、なんでそんなことがはじめっからわからなかったのかがわからない。

正体を確かめたいというのは、すごい衝動なのよね。

最近、二つの違いが予めわかりはじめてはいたけれど、やっぱり結果は紙一重なのよね、虎穴にいらずんば、虎児を得ず。