エアロバイク
根性論は大嫌い。
エアロバイク20分。
距離にして8km超。
中学校のとき、7km超の距離を自転車通学していた。
自分の村が田舎にあったためだが。
軟式テニス部だった。1,2年生の頃はサボってた。
早生まれで他の同級生に比べて体力がなかったのか。
そのためにランニングもついていくのがやっとで。
でも、さすがに3年も通っているといつの間にか他の同級生に追いつき、何人かは追い越していた。
あぁーと。そうだったのかと。
今になってそんなことがトレーニングの力になっている。
心のほうの。
疲れていると、たかがエアロバイクでも途中で苦しくなることもある。
だからそんなことをたまに思い出しながら、エアロバイクに乗る。
エアロバイク20分。
距離にして8km超。
中学校のとき、7km超の距離を自転車通学していた。
自分の村が田舎にあったためだが。
軟式テニス部だった。1,2年生の頃はサボってた。
早生まれで他の同級生に比べて体力がなかったのか。
そのためにランニングもついていくのがやっとで。
でも、さすがに3年も通っているといつの間にか他の同級生に追いつき、何人かは追い越していた。
あぁーと。そうだったのかと。
今になってそんなことがトレーニングの力になっている。
心のほうの。
疲れていると、たかがエアロバイクでも途中で苦しくなることもある。
だからそんなことをたまに思い出しながら、エアロバイクに乗る。
北風と太陽
くだんの向田邦子さんの『眠る盃』に「ツルチック」というエッセイがある。
ツルチックというのは、彼女が子供の頃に一度だけ飲んだことのある飲み物で、世の中にこんなおいしい飲み物があったのか思ったと。でも、その正体がわからない。
友達と話していて、アマゾンのイキトスという町でカムカムの実で作ったジュースを飲んだ話となり、いままであんなおいしいものは飲んだことないと言いかけて、このツルチックという飲み物を思い出すのである。
でも、なにぶん子供の頃のことで友達に聞いても誰もそんな飲み物は知らないと。モノ覚えのすこぶる良い母親に聞いても覚えていないという。確かに家族で一緒に飲んだはずなのに。あれはいったい何だったのだろう。
で、その話を「ツルチック」というエッセイに書くのだが、これには後日談があって、その後日談も「続・ツルチック」という題でこの本の中に入っている。
「続・ツルチック」は、そのツルチックというエッセイが文芸春秋に出てすぐに全国から電話や手紙があり、たしかにそれはあったのだと。その反響たるや凄かったと。そしてツルチックというのも、やはりカムカムの実で作ったジュースのように、木の実から作られたジュースであった。という話なのだが、謎めいた人から一本の電話を貰ったことがそのエッセイの最後に書かれている。
「自分の祖父が、大阪で誰かと合同でツルチックを売り出す会社を作ることになり、宣伝材料まで作ったのだが途中で沙汰やみになってしまった。そのとき作ったツルチックの名前の入ったトランプで子供の頃遊んでいたのだが、それを送って差し上げましょう」と。そんな電話を貰った話で。
そのあと、しばらくしていつものように郵便受けいっぱいのツルチック関係の手紙の封を切って読んでいると、ある封筒の中からトランプが一枚だけ落ちてきた。
「一通の封書から、白い便箋に包まれたトランプが一枚落ちてきた。当時としてはモダーンなデザインであろう。白地に黒で「ツルチュク」と描かれたジョーカーであった。子供らしい鉛筆のいたずら書きがあり、丹念に消しゴムで消した痕があった。電話で言われた通り、それだけであった。」
そして封筒の裏を見たら、谷川俊太郎と書いてあったと。
この一文は当然、カムカムの実から作ったジュースからツルチュクを思い出したという話にひっかけた、向田邦子さんの谷川俊太郎さんに対する人物評でもあったのだけど、昨日ふとトラン・アン・ユンの『青いパパイヤの香り』を見ていて「あ、そういうことか」とやっとそのことに気付いた。そして、「あ!
」っと思ったのである。ジョーカーというのがミソだったのだと。
(はやい話が、ほんとにジョーカーだったのか?という可能性もある…。もっとも事実であってもそのエピソードをわざわざ書いているところが「らしい」なあと)
人は誰でも人に対してある印象を持つ。その印象というのは魚心あれば水心なんていう好意的な部分もあれば、蛇の道は蛇なんていうちょっと陰がかかった部分もあり、そういうのがごっちゃになっているのだけれど、とくにそういう共有している部分のうち、陰の部分が大きいことのほうがより相性として重要で。人物評でも、そういう部分があって初めて誰もが納得するような人物評になるのかもと。
トラン・アン・ユンの『青いパパイヤの香り』。
『ノルウェーの森』を映画で観てから、久しぶりに少しずつ見なおしてたのだけど、ああ、そういうことだったのねと。この人が、村上春樹の『ノルウェーの森』を撮ったのは偶然ではないなあとみょーに納得した。この二人、相当似ている。
良い映画作品というのは、そういう引き合いがないと生まれないし、映画というのはそういうものなのだろう。村上龍の小説『イン・ザ・ミソスープ』をヴィム・ヴェンダースが映画化する話があったのだけど、それが沙汰やみになったことと合わせて「ああ、なるほどそうか…」と。映画でもより芸術性が高い作品で巨額の金が動くもの(そして、その割に当たらない可能性が高いモノ)は、作品もしくは原作の作者と監督の相性が良くないと成立しない。とくに陰の部分が似てないと難しいんだろうと思う。
イソップ物語の『北風と太陽』。
この話が皆の印象に残るのは、意外と太陽の底意地の悪さというかブラックさのせいだったりするのかもしれない(苦笑)。
ツルチックというのは、彼女が子供の頃に一度だけ飲んだことのある飲み物で、世の中にこんなおいしい飲み物があったのか思ったと。でも、その正体がわからない。
友達と話していて、アマゾンのイキトスという町でカムカムの実で作ったジュースを飲んだ話となり、いままであんなおいしいものは飲んだことないと言いかけて、このツルチックという飲み物を思い出すのである。
でも、なにぶん子供の頃のことで友達に聞いても誰もそんな飲み物は知らないと。モノ覚えのすこぶる良い母親に聞いても覚えていないという。確かに家族で一緒に飲んだはずなのに。あれはいったい何だったのだろう。
で、その話を「ツルチック」というエッセイに書くのだが、これには後日談があって、その後日談も「続・ツルチック」という題でこの本の中に入っている。
「続・ツルチック」は、そのツルチックというエッセイが文芸春秋に出てすぐに全国から電話や手紙があり、たしかにそれはあったのだと。その反響たるや凄かったと。そしてツルチックというのも、やはりカムカムの実で作ったジュースのように、木の実から作られたジュースであった。という話なのだが、謎めいた人から一本の電話を貰ったことがそのエッセイの最後に書かれている。
「自分の祖父が、大阪で誰かと合同でツルチックを売り出す会社を作ることになり、宣伝材料まで作ったのだが途中で沙汰やみになってしまった。そのとき作ったツルチックの名前の入ったトランプで子供の頃遊んでいたのだが、それを送って差し上げましょう」と。そんな電話を貰った話で。
そのあと、しばらくしていつものように郵便受けいっぱいのツルチック関係の手紙の封を切って読んでいると、ある封筒の中からトランプが一枚だけ落ちてきた。
「一通の封書から、白い便箋に包まれたトランプが一枚落ちてきた。当時としてはモダーンなデザインであろう。白地に黒で「ツルチュク」と描かれたジョーカーであった。子供らしい鉛筆のいたずら書きがあり、丹念に消しゴムで消した痕があった。電話で言われた通り、それだけであった。」
そして封筒の裏を見たら、谷川俊太郎と書いてあったと。
この一文は当然、カムカムの実から作ったジュースからツルチュクを思い出したという話にひっかけた、向田邦子さんの谷川俊太郎さんに対する人物評でもあったのだけど、昨日ふとトラン・アン・ユンの『青いパパイヤの香り』を見ていて「あ、そういうことか」とやっとそのことに気付いた。そして、「あ!
」っと思ったのである。ジョーカーというのがミソだったのだと。(はやい話が、ほんとにジョーカーだったのか?という可能性もある…。もっとも事実であってもそのエピソードをわざわざ書いているところが「らしい」なあと)
人は誰でも人に対してある印象を持つ。その印象というのは魚心あれば水心なんていう好意的な部分もあれば、蛇の道は蛇なんていうちょっと陰がかかった部分もあり、そういうのがごっちゃになっているのだけれど、とくにそういう共有している部分のうち、陰の部分が大きいことのほうがより相性として重要で。人物評でも、そういう部分があって初めて誰もが納得するような人物評になるのかもと。
トラン・アン・ユンの『青いパパイヤの香り』。
『ノルウェーの森』を映画で観てから、久しぶりに少しずつ見なおしてたのだけど、ああ、そういうことだったのねと。この人が、村上春樹の『ノルウェーの森』を撮ったのは偶然ではないなあとみょーに納得した。この二人、相当似ている。
良い映画作品というのは、そういう引き合いがないと生まれないし、映画というのはそういうものなのだろう。村上龍の小説『イン・ザ・ミソスープ』をヴィム・ヴェンダースが映画化する話があったのだけど、それが沙汰やみになったことと合わせて「ああ、なるほどそうか…」と。映画でもより芸術性が高い作品で巨額の金が動くもの(そして、その割に当たらない可能性が高いモノ)は、作品もしくは原作の作者と監督の相性が良くないと成立しない。とくに陰の部分が似てないと難しいんだろうと思う。
イソップ物語の『北風と太陽』。
この話が皆の印象に残るのは、意外と太陽の底意地の悪さというかブラックさのせいだったりするのかもしれない(苦笑)。
『受ける力』
昔、実家のある三重県に住民票を置いたままだったことがあり、帰省して何回か三重の免許更新センターで免許更新したことがあった。
受付だったり検査だったりで待たされている間、まわりを見渡して、「ここにいる人たちは星座も同じだし…」と、なにか同族感と親近感のようなものを感じていた。待たされている自分を慰めるためにそんなふうに思ったのかもしれない。
実際には1つ星座が異なってたり、そうじゃない人も何人かいるわけで。
さらに言えば、占いなんて星座だけでなく、本命星と本命卦とか、四柱推命やらなにやら組み合わせればキリがなく、そりゃ何かは当たってることもあるだろうけれど、なぜかそういう場所で感じる気というのがあって。ほんと、それこそ気のせいなのかもしれないが…。
どうも地元というのはガードが下がって無防備になっていて、どこが心の弱い部分、やわらかい部分がでてしまうらしく。誕生日のある月というのもどこかそんな弱いところがバイオリズム的に出るのだろうか?
まあ、そんなふうに結局バイオリズムなどと言ってしまうわけで、そういうのを信じやすいたちなのだ。どMなのだろう。
三重県の県民性については、
三重県民は、非常におとなしく女性的で協調性があります。まとめ役といいながらリーダーになるわけでもないのですが、人と人の間に入って楽しくやるのが好きなタイプが多いのが三重県の県民性です。 また、どこか楽観的なところがあり、深刻に物事を考えるのが苦手です。何かあったら神頼み、わからないことは人任せなのが 三重県の県民性です。
と出身県別性格ランキングというサイトに書かれていて。
どこか楽観的で、深刻に物事を考えるのが苦手で、何かあったら神頼みというのが、まったくもって当てはまるなあと。実際にそういう深刻な事象に向き合ってる今、しみじみ感じてしまい。。
「この人はしっかりしている」と思う、自分とは真逆な人の本を、なんとか自分の参考にしたいと読み始める。
そんなふうにして、今、向田邦子さんのエッセイをまた引っぱり出して読んでいる。
眠る盃 (講談社文庫)/向田 邦子

¥490
Amazon.co.jp
実際には、しっかりした人なんていなくて、それぞれベソを掻きながらなんとかやってるわけで。
向田さんにしても、しっかりもののようでそうではないことがエッセイを読むとよくわかる。
だから、参考のつもりで読み始めるのだけど、ベソをかいたり意地をはったりしながら生きてきた彼女が、その人生を曝け出しているところに、なんだか勇気づけられていつも本を閉じる。
向田さんがこの本を書かれた頃が、いまの自分よりほんの少しだけ上なのだけど。
こんなふうに、そのときに味がある人になれてるのかどうかは、はなはだ疑問で。
性格の違いもあるけど、彼女のように闘って泣いたり悔しがったりしないとホントに味のある人にはなれないのだろう。
受付だったり検査だったりで待たされている間、まわりを見渡して、「ここにいる人たちは星座も同じだし…」と、なにか同族感と親近感のようなものを感じていた。待たされている自分を慰めるためにそんなふうに思ったのかもしれない。
実際には1つ星座が異なってたり、そうじゃない人も何人かいるわけで。
さらに言えば、占いなんて星座だけでなく、本命星と本命卦とか、四柱推命やらなにやら組み合わせればキリがなく、そりゃ何かは当たってることもあるだろうけれど、なぜかそういう場所で感じる気というのがあって。ほんと、それこそ気のせいなのかもしれないが…。
どうも地元というのはガードが下がって無防備になっていて、どこが心の弱い部分、やわらかい部分がでてしまうらしく。誕生日のある月というのもどこかそんな弱いところがバイオリズム的に出るのだろうか?
まあ、そんなふうに結局バイオリズムなどと言ってしまうわけで、そういうのを信じやすいたちなのだ。どMなのだろう。
三重県の県民性については、
三重県民は、非常におとなしく女性的で協調性があります。まとめ役といいながらリーダーになるわけでもないのですが、人と人の間に入って楽しくやるのが好きなタイプが多いのが三重県の県民性です。 また、どこか楽観的なところがあり、深刻に物事を考えるのが苦手です。何かあったら神頼み、わからないことは人任せなのが 三重県の県民性です。
と出身県別性格ランキングというサイトに書かれていて。
どこか楽観的で、深刻に物事を考えるのが苦手で、何かあったら神頼みというのが、まったくもって当てはまるなあと。実際にそういう深刻な事象に向き合ってる今、しみじみ感じてしまい。。
「この人はしっかりしている」と思う、自分とは真逆な人の本を、なんとか自分の参考にしたいと読み始める。
そんなふうにして、今、向田邦子さんのエッセイをまた引っぱり出して読んでいる。
眠る盃 (講談社文庫)/向田 邦子

¥490
Amazon.co.jp
実際には、しっかりした人なんていなくて、それぞれベソを掻きながらなんとかやってるわけで。
向田さんにしても、しっかりもののようでそうではないことがエッセイを読むとよくわかる。
だから、参考のつもりで読み始めるのだけど、ベソをかいたり意地をはったりしながら生きてきた彼女が、その人生を曝け出しているところに、なんだか勇気づけられていつも本を閉じる。
向田さんがこの本を書かれた頃が、いまの自分よりほんの少しだけ上なのだけど。
こんなふうに、そのときに味がある人になれてるのかどうかは、はなはだ疑問で。
性格の違いもあるけど、彼女のように闘って泣いたり悔しがったりしないとホントに味のある人にはなれないのだろう。
本日かき氷食べ放題~!!!
キーン!!!
CNrules 今日伝説の中野MOON STEPでGIG ります♪なんと本日かき氷食べ放題~!!!
キーンとなりてー!!!とうきょうー遠っ。
クリスピー!!!!あ、それっ、クリスピー!!
もキーン

CNrules 今日伝説の中野MOON STEPでGIG ります♪なんと本日かき氷食べ放題~!!!
キーンとなりてー!!!とうきょうー遠っ。
クリスピー!!!!あ、それっ、クリスピー!!
もキーン
でっかいどー北海道
そうか、この週末くらいがラベンダー見頃なのか。
あ
そうだよ、考えてみりゃこの連休だった!

6年前、札幌の友達のうちで昼に、「そうだ、富良野、行こう」的に思いつき。
レンタカー借りてぶっ飛ばした。
十勝岳、美瑛富士のバックとの対比がすごく壮大な感じで。

ラベンダーだけじゃなく、いろいろ。ファーム富田。
で、美瑛までさらに。

ケンメリの木の時点で夕方だし。
そこから旭川まわって札幌に。結構無茶な行程だった
でもそういう時のことの方が良く覚えてる。
楽しいことって結局そういうときにしか出会わない。
道間違ったりとか、それも想い出。
ていうか北海道で車の事故が多いのわかる。
知らず知らずにスピード出てるし、景色が壮大だからスピード感なくなるし。
しかも道は広い。
ええなあ、夏の北海道。
ウニとか、ウニとか、ウニ
とか。
あ
そうだよ、考えてみりゃこの連休だった!
6年前、札幌の友達のうちで昼に、「そうだ、富良野、行こう」的に思いつき。
レンタカー借りてぶっ飛ばした。
十勝岳、美瑛富士のバックとの対比がすごく壮大な感じで。

ラベンダーだけじゃなく、いろいろ。ファーム富田。
で、美瑛までさらに。

ケンメリの木の時点で夕方だし。
そこから旭川まわって札幌に。結構無茶な行程だった

でもそういう時のことの方が良く覚えてる。
楽しいことって結局そういうときにしか出会わない。
道間違ったりとか、それも想い出。
ていうか北海道で車の事故が多いのわかる。
知らず知らずにスピード出てるし、景色が壮大だからスピード感なくなるし。
しかも道は広い。
ええなあ、夏の北海道。
ウニとか、ウニとか、ウニ
とか。