象の夢を見たことはない -139ページ目

『あなたが海を見ているうちに』 

もういいや。

主義とかどうとか。

どっぷり浸るのが必要なときもある。

それを肯定しよう。しやがれ、おれ!

昏さが必要なのだ。



from 『臨月』


なんかね、やっつけたいものがないんだけど、とにかくこの状況から出たい。

ていうことなんだね。コイツとコイツをやっつければ、次はコレだな、ていうのがモノだったり、地位だったり、場所だったり。

そういうのを見つけるのが上手い人っていうのはやっぱスゴイな。

うちのオヤジなんていまだにいろんな目標持ってるからね。

というか、自分の中で作りだせるから。

100まで生きるっていってるから。しかもそこまでやれそうなくらいで。

ベタだけどやはり夢なのだな。地道にそれを得るために一歩一歩。

そういうことみたい。

愛という名のもとに

で、愛となるわけなのね。救いは愛だ!と。園子温氏の場合。

それが『愛のむきだし』



もちろん、世界人類が平和でありますようになんていうそういう愛。
…なわけはなく。

てか、これも実話ベースだったのだね。すげえな。
なんしかコイケがさいこーだった。
ほんと詩人だわ、園子温。

愛はバイオレンスでその死とのせめぎ合いこそが生であるというか。それこそがギャグであるというか。ぶざまさこそが生きる真実だとか、んな感じ?

村上春樹の場合には、彼のバイオレンスがどこへ行くのかというのがまだわからない。それが小説家と詩人の違いなのかもしれない。結論をバシッと言いきるか、それを引き延ばし続けるかというか、それこそが詩と小説の違いというか。

村上春樹には他の小説家のように俗物で終わって欲しくはないのだけど、ただ彼も還暦すぎちゃったからなあ。そこも小説家の有り様として関門で、だいたい人生を全うした小説家の小説は、その本質が詩ではなくなる。と個人的には思ってしまっている。うーむ、その考え方もどうかとは思うが。。すくなくとも、変なふうにまとめるくらいなら、そのままずっと死ぬまで悩み続けて欲しいというか。そうなるとそれはそれでまた詩になるというか、ホメーロス的に。

そういえば、村上春樹が「小説家というのは…」と言うセリフをどこかに書いてたなあ、どこだっけかなあ?

『アフターダーク』 村上春樹

最近、園子温氏の映画ばかり見ている。

なんかやっぱりバイオレンスだというか。ここまで来てしまうともう暴力にしか救いがないというか。ガス抜きシステムとしてどこかにそういうのがある場合はまだいいのだけれど、その穴が真綿で首を絞めるように閉じられつつあるというか。たとえば絆だとか道徳だとかで。本来、もっと動物的でないと成り立たない世界である筈なのに、そのせいで自然から離れ過ぎて逆にいびつになっている。

新しいシステムによる古いシステムの一掃とか破壊なんていうのが従来のかたちだったような気がするけど、そのための参入障壁すらも強大化しているし、かといってそれを目的とすることにも倦んでしまっているというか、それによって作られる結果がまたシステムかよ!とわかってしまっている。

そんな時代には個人レベルの暴力が…って話になってくるような。
個人の物語が社会によって提供されるというか、提供されうるというような希望とかロードマップがなくなってしまっていて。そういう場合にかつて救いとなっていたのは信仰だったような気がするのだけど、そのモデルすら壊れてしまっているわけで。さらに言えば、グループによるバイオレンスもオウムでその終焉のかたちを皆知ってしまった。

そういう時代にどうやって自分の物語を作っていくかというのは、その命題の提示自体がもはや成り立たないというか。だいたい、物語というのは本来与えられるものではないし、偶然との作用で出来あがっていくもので、形があったらそれを壊すこと自体が物語になるのであって。てか物語というのは型ではなく、型が作られるまでの運動を指すのであって、つくられた型自体にはたいして意味はない。それが見えやすいからカタチが大事だと思ってしまうのだけど、大事なのはカタチではなく運動そのものだ。

なので、『アフターダーク』を読み直し始めた。

これって『1Q84』の序章だとおもってたのだけど、どうも違う。というか『ねじまき鳥クロニクル』で出会ったノモンハン事件(事件というより戦争)から、『アンダーグラウンド』を経て、『1Q84』へ続いてると個人的には思ってて、集団としての暴力がその本体なのかと思ってたのだけど、考えてみればそれらにおいて彼が興味があったというか彼が囚われているのは、実はすべて個人的な体験としての暴力なんだよなと。それが集団という形をとってたし、社会や集団が個人を壊してしまうその有り様なのかとおもってたけど、彼は基本的に自分個人にしか興味はないし、結局は個人の体験としての暴力に興味があるわけで。

むかしの彼の小説は、個人が損なわれる理由がよくわからないという、その遠い場所に暴力があったというか、それは草に覆われたりしていたり、あいまいなままだったけど、それが具体的な形をはじめて持って自分の目の前に現れた、というか自身で体験したのが、あのノモンハンでの体験だったんだと思う。

そう気付いてもう一度読み始めたのだけど、『アフターダーク』、彼の作品で短編が引き延ばされて長編になるのがよくあるようにそれが『1Q84』なのかとおもってたのだけど、いや、これだけで成り立っている世界というか、『1Q84』では行きつけないところを目指しているところがあって。

なにかこの物語には別の解決が必要なような気がする。なんなんだろうな。なにかまだカタチになってない生きているものがこの中にあるように思える。あるいは今だからそう思ってしまうのかもしれない。

プルトニウムってなんですか?

見つけにくいものですか

カバンの中も机の中も

っていうふうになんだか途中で脳内変換してしまった。



缶ジュースのフタでしたっけ? たぶんそうだと思います。

さがせば机の中にあるとおもいます。

あるとおもいます!

…ねえよ。

7.15(日)名古屋・大須ell. size
九龍 presents "Aim High vol.2"
tokyo pinsalocks、ghost note、九龍、(O.Aあり)
open 17:30 / start 18:00 ●ticket: ¥2,300 / ¥2,800(各D別)
(サポートDr.:ササキマキ from 九龍)