象の夢を見たことはない -13ページ目

動きの中で見つける

常々、スケートと水泳は似た競技だと思っていて、それは競技している時間が似ているからなのだけれど、50mと500メートル、400メートルと3000メートル、800メートルと5000メートル、かなりタイム差はあるし、全身と主に脚力という差はあるけれど、日本人が身体能力で世界に通じるスポーツとしてはこの2つの競技があるんじゃないかと。持久力と技術的なものの双方が、日本人に合っているのではないかという。

 

その持久性についても、「出したいスピードに対して一番少ないエネルギーで出す」というところに一番のポイントがあるようように思う。ある種、柔よく剛を制すというか。それが日本人の本質で、そこを磨いていかないとこれから生き残っていけないのかもと。

 

「出したいスピードに対して一番少ないエネルギーで出す」。

これは、実は高木美帆選手の言葉で、今日のNHKスペシャルのハイライトなのではないのかと自分では思ったのだけれど、池江璃花子選手があれだけの短期間で日本選手権のトップに立てたのは、明らかに筋力と体力ではない技術によるもので、水泳にせよ、スケートにせよ、流れの中でどこで一番力を入れて、あとは抜くかということなんだろうと。

 

古武術の井桁の話ではないけれど、基本的に体は常に動いていて、だから動きの中でてこが働くポイントは常に移動し続けていて、支点をずらしながら、一番スピードが乗るタイミングで一番力を出すというのは、従来の止まった物理での考え方と全く違った考え方で運動をとらえる必要があって。

肘をこう曲げたら、一番水をとらえられるとか、こうしたら腕の振りが早くなるとか、一点主義での頭の悪い方法ではなく、流れの中でどう動かせば効率的にかつ力を使わずに、そして長く運動できるのかを考える必要がある。

 

千葉すず選手も、実は結構早くから自身の体のフィードバックでそのことに気付いていて、速く、長く泳ぐ方法っていうのは何かというのを考えていたようなのだが、イトマンが根性路線だったし、そういった意味で出てくるのが早すぎたのかもしれない。

 

もういいかげん、止まった物理で身体運動を捉えようとする頭の悪いやり方を考え直したほうがいい。もしかしたら、頭の使い方とか仕事の仕方とかも同じなのかもしれないのだけど、そこまでは今のところ難しくて考えられない。

硬直したものの見方は、システムというもので固定化されるのだが、それがもう限界にきていて、どうやったらもっと柔らかく…。楽するために型に頼るというのも、日本人のもう一つの特徴らしいのだが、もうそういうのは自分もやめにしたいのだが。。

 

ドライブ・マイ・カー

【映画『ドライブ・マイ・カー』原作ほか】村上春樹『女のいない男たち』の魅力に迫る

 

村上春樹の小説は、今考えるとミルフィーユ状になっていて、いくつものモチーフが別々の作品で使われている。特に短編において、いくつもの短編を何度も読んでいくうちに同じようなモチーフが現れる。

 

 

言葉遊びもそうで、音楽もそうで、主題もそう。

なんらかの関係性の暗示で、いくつかのメタファーが輻輳していて、それが重層的になっている。

 

ずいぶん昔に買ったのだが、それこそ最初のドライブ・マイカーを数ページ読んで、家福がみさきをやとうことにするよというセリフのところで読むのをやめてしまった。どこかで読んだような話に思えたから。カンヌで賞をとったから、あわてて読み直した。しかも、最後から斜め読みである。なのでこの書評もかなりいい加減かも。

 

この本は珍しく、本人のまえがきがあるのだが、そこである程度、短編の種明かしをしてくれている。あるいは、種明かしではないのかもしれないのだが、それらの小説をどうやって書いているのかについてふれている。そこで、彼がモチーフを立体的に眺めていると語っていた。同じものを違う角度で立体的に眺め、短編に落とし込んでいると。

 

あえてそれを受けていうのであれば、「ドライブ・マイカー」は、「レーダーホーゼン」で、捨てられた男側から見た物語なのかもしれないと。最後から読み始めてまず浮かんだのはその短編だった。ドイツ土産として妻にレーダーホーゼンを頼む男というのは、いったいどんな男だろうと考えたとき、自分にはなぜかある一人の男が浮かんだ。几帳面な人は、それを人にも暗に要求する。

 

喪失というのは、実際にはそういうことで、捨てるほうには理由があるのだが、失うほうにはそれはわからない謎である。やなぎを見間違うことはよくあることだと。そんなにめずらしいことではないのだけれど、それが当事者には深い陰を落とすこともある。やれやれ😥。っていうことなんだろうと。もっとも、当事者であるから、物語として成立するわけだけれど。誤解は、ときに深い喪失をもたらすことがあるのだ。

「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」。というのは村上春樹氏の言葉で、ぱっと見あまりに冷め切ったものの見方なのだけれど、そうでないとやってられないくらいいろんな人にやいのやいの言われているからしょうがないのだろうとも思う。

空間にコミットする

こんな綺麗な景色なのに誰もこなくなっちゃんたんだ。

日本にはこういう場所がいっぱいあるんだろうな。

 

 

やっぱりテレ東。うちでは、テレビ愛知で最近テレ東がっつり見れるのでありがたい。チャンネルはテレ東っていうのはよくわかる。

 

 

冒頭は、『鉄オタ道子、2万キロ』の第2話スーパー秘境駅男鹿高原。その中のセリフだったのだが、日本でこういうところっていうのは本当に多々あって、自分がいま住んでいるところも田舎で、近くの美杉なんかまったくこんなところなので、それほど旅情を感じれないだろう。ただ、郷愁に似た何かというのは、鉄道の旅とは切り離せない。

 

横浜に住んでいて、10年後再びそこで長期出張で住むことになったのだが、そのときは、以前住んでいた頃とは違って、どこかよそよそしさを感じた。中華街を通っても、港の見える丘公園へいっても、関内から伊勢佐木町まで歩いても、そのよそよそしさは消えなかった。なんらかの断絶が自分の中にあったのか、あるいは土地自体が変わってしまったからなのかはわからない。

世界は変わり続けていて、自分の痕跡は自分がいた場所からは消え続ける。

 

子供のころ、鉄道で沿線の街並みを見るのが好きだった。一つ一つの家の中を想像しながら、窓の外をずっと見続けた。どこにでもいる自分を思い浮かべていた。それは可能性への満足感からだったのか、ある種の変身願望だったのかはよくわからない。ただ、窓の外を見続けている間は、そんなふうに浮遊し続けることができた。

 

いまでも車窓から街を眺めるのは好きだ。そして車窓から眺める世界は子供のころに見たそれと大して変わっていないように思える。実際に、そこにいる時間と、それを眺めることというのは、似ているようで全く違う。後者には、喪失感がない。

 

テレビや映画を見ていて、まだこの喪失感を表現したものに出会ったことはない。ただ、メタバース空間では、これを表現できる気がする。ただ、それは空間にコミットすることでしか得られないものだから、空間に埋没する経験なくしてはあり得ないだろうけれど。

人工知能の歴史

全3回のブーム

第1回(1956~1970年)

<テーマ>

知能とは記号処理である。

<結果>

パズルのような決まった問題が解けるだけ、機械的に反応を繰り返すだけで実際の世界では役立たない。

これはフレーム問題と呼ばれる。人工知能が問題を解くときに枠(フレーム)を設定できないという問題。

例えば、荷物を受け取りにロボットが部屋にやってきても、ロボットは「荷物」にのみフォーカスしてしまうため、もし荷物の上に花瓶が乗っていても、まったく気にしなく荷物を動かしてしまい、花瓶を壊してしまう。では、荷物以外に注意を向けるとしてどこまでを考慮すればよいのでしょうか。上、下、近くにあるもの、キリがありません。

 

第2回(1980~1995年)

<テーマ>

知能とは知識である。

<結果>

エキスパートシステム。専門家の知識をコンピュータに入力しておく。あらかじめ枠をきめておくことで、その中でだけを処理対象とする。

だが、エキスパートシステムは人間の持つエキスパートな知識を取り出してコンピュータに入力するのが大変。言葉にできない知識など取り出しにくい知識は「知識のボトルネック」と呼ばれ、知識を得るためのコストがかかりすぎて利用されなくなる

 

第3回(2010~現在)

<テーマ>

知識とは学習である。

<結果>

ディープラーニング。そしてデータがすべてである。大量のデータをもとに人工知能が学習し、規則性を見つけていく。ただし、ディープラーニングでは用いるそれぞれのデータについて、正解か不正解かを人手で評価する必要があり、この評価に多大なコストがかかる。

現在はクラウドソーシングなどで、不特定多数の人にこのような評価をしてもらうが、ひとつの評価に1円程度はかかる。ディープラーニングには数百万規模のデータ評価が必要なので、最低でも数百万はかかる。したがって、どうやってデータを集めるか、というのと資金力の両方をクリアする必要がある。

 

ディープラーニングのデータは、オンラインゲームで集められる。

 

 

堀江氏によると宇宙産業で、半径1kmのアンテナをモジュールでロケットで打ち上げて、作ってしまうという構想があるとか。そのデータを使って、メタバース空間に仮想の地球を作って、現実の空間とマッピングさせて、ゲーム空間と実際のリアル商業をコネクトしたら、IRの誘致でぐだぐだやっている以前に仮想空間で同じレベルのことができるんじゃないだろうか。だいたい、ゲームの課金とアマゾンや楽天とか、さらに仮想通貨なんていうものも作ってしまえば、国の貨幣経済から切り離された経済空間もできてしまうだろうし。国境なんてない。

 

 

おそらく、道義的な問題やSDGSなども仮想空間では無視して突っ走ってしまう、ハードルが低いやつのほうが、最初に真水を得られる可能性が高い。やばいね。

 

BT21って何?

最近は小学生まで教えているのだが、筆箱になぞのキャラクターが描いてあって

 

 

何これ?他にもキャラクターが描いてあったのだが、教えてくれなかった。

遅れてる人の扱いだ。

どうやら、くら寿司でも人気らしい。

TATA? インドの会社しかしらんが。

 

わからんかったので、代わりにクレクレタコラを教えてやった。

 

 

キモイと評判。まいったか。

ひそかに流行るか待っている状況。

 

そういえば、このサブキャラのピーナッツそっくりのお菓子があったのだが。あっ、ナンキンマネだ、思い出した。

 

あ、これか。なるほどね。