『エル・グレコ 神秘か理性か 天才画家の見たものは』
そういえば、先週の日曜美術館で「エル・グレコ」をやっていて。
解説がすごかったのだ。挙げられていたのは、「無原罪のお宿り」。
この絵はまず遠目から、つまりその絵がある部屋に入って来たときの印象と、近づいて見上げるように見たときの印象が全然違うらしく。
だいたい、これぐらいの大作になってくると遠目から見たときのバランスが良いように描かれるものだけれど、この作品の場合、遠目でみるとやたら構図が縦に長い。
しかも、それにしてもどうも人物像の下半身が長い。長すぎる。そして下に行くほど長く見える。

画面はよくあるXの構図なのだが、それを左側の下に向けてねじっている。だからある種螺旋が上に登って行くような動きを感じることになる。しかも手前に向かってくるようにねじれている。
こういう絵をみると、人は引き寄せられるように絵の下に行ってしまう。下から眺めたくなるわけだ。
だんだん絵の近くへ歩いていく。仰ぎ見る角度が急になるに従って、絵の上部が縮み、横幅のほうが大きく感じられてくる。そして下に立つと、やたら縦に長かった構図がすっかりと横に拡がり、下から見上げたマリア様の顔もふっくらとして、母親らしく見えるようになる。Xの軸を中心にしてねじれるように対象だった天使やマリア様の服の色も良い感じに落ちつき、上へ上へとそれが上がって行く。そしてそこで構図の意味がようやく判るわけだ。なるほど。
解説者が作家の方だった。脳にキャパシティがありそうな話し方で、タダものではないなあと。後で調べてみたら、平野啓一郎氏だった。知らん。
京都大学法学部在学中の1999年に『日蝕』により芥川賞を受賞。三島由紀夫賞選考委員に最年少で就任。なるほどね。で、2008年にモデルの春香と結婚。春佳って誰?っておもったら、こういう人なのね。うーむ、ゴージャスだ。美人の女優だったりモデルだったりって人が嫁さんっていうパターンの作家とか芸術家って結構自分的には好みな人が多い。あー知らんかったわ。今度読んでみよう。
昔、プラド美術館でエル・グレコの作品をいくつか見たことがあり、だがやはりそれはホントに「見た」ということにはならないなあと、解説を聞いていて思った。
画家の主観。それがエル・グレコを見るときのテーマだったのだ。それは画家が見たもの、感じたものと同じ目で、それを見たものを感じさせることというか。自分の目で見たように、客に見せること、自分の目と客の目が同じものを見れるように仕向けることというか。
例えばゴッホの場合、巧まずしてそうなっているっていうのがあの人の絵のコワいところで。まあ、自分の耳を切り落とすような人だから、ああいう絵が描けるのかもしれないけど、歪んでるっていうのはなんか人を引き寄せちゃうらしい。「アルルの寝室」とか。
自分もそういう目になってしまうことで、精神も絵の中へ引きずられてしまうのがゴッホの絵のコワさだと思うのだけれど、そのあたりこの人は計算して描いているって感じなのか。まあその点が正常な神経なわけだろうけど、でも、実はそうやって客に見せているものが神秘か理性か?っていうところがあって。見てるとどこかしらヤバい感じはする。そうじゃなきゃ絵なんて面白くないわさ。音楽もそうで、芸術全般に言えるけどそういう危険がないと価値なんてないとオイラは思う。綺麗っていうだけの絵なんて退屈だ。まあ、それは人それぞれか。見ててしみじみ幸せっていう絵もあるしね。それはそれでいいなあと思うわけで。
解説を聞いていて感じたのだけど、ものの見方というのは、どうしても深い浅いというのはあって、それはある種の慣れにしか過ぎないのかもしれないのだけど、知らないと一段上の見方ができない。知らないまま、美術館に行っても、なかなかそういうのはわからない。
もちろん、ほんとはじぃーーと眺めていてそれに自分で気付くのが一番なのだけど、そうそう気取ってばかりもいられない。
とかく若いうちは、「絵なんて感性でみるもんだぜ!」って粋がってたんだけど、やはり海外の美術館へ行ったときには、ツアーで回ってその美術館付きのガイドさんに話を聞いたほうがお得だなあと年喰ってから思う。まあ、そんなわけで結構もったいないことをしてきた。
自分の人生だいたいそんなものというか、そんなんばっかりだ苦笑
エル・グレコ展
http://www.el-greco.jp/index.html
解説がすごかったのだ。挙げられていたのは、「無原罪のお宿り」。
この絵はまず遠目から、つまりその絵がある部屋に入って来たときの印象と、近づいて見上げるように見たときの印象が全然違うらしく。
だいたい、これぐらいの大作になってくると遠目から見たときのバランスが良いように描かれるものだけれど、この作品の場合、遠目でみるとやたら構図が縦に長い。
しかも、それにしてもどうも人物像の下半身が長い。長すぎる。そして下に行くほど長く見える。

画面はよくあるXの構図なのだが、それを左側の下に向けてねじっている。だからある種螺旋が上に登って行くような動きを感じることになる。しかも手前に向かってくるようにねじれている。
こういう絵をみると、人は引き寄せられるように絵の下に行ってしまう。下から眺めたくなるわけだ。
だんだん絵の近くへ歩いていく。仰ぎ見る角度が急になるに従って、絵の上部が縮み、横幅のほうが大きく感じられてくる。そして下に立つと、やたら縦に長かった構図がすっかりと横に拡がり、下から見上げたマリア様の顔もふっくらとして、母親らしく見えるようになる。Xの軸を中心にしてねじれるように対象だった天使やマリア様の服の色も良い感じに落ちつき、上へ上へとそれが上がって行く。そしてそこで構図の意味がようやく判るわけだ。なるほど。
解説者が作家の方だった。脳にキャパシティがありそうな話し方で、タダものではないなあと。後で調べてみたら、平野啓一郎氏だった。知らん。
京都大学法学部在学中の1999年に『日蝕』により芥川賞を受賞。三島由紀夫賞選考委員に最年少で就任。なるほどね。で、2008年にモデルの春香と結婚。春佳って誰?っておもったら、こういう人なのね。うーむ、ゴージャスだ。美人の女優だったりモデルだったりって人が嫁さんっていうパターンの作家とか芸術家って結構自分的には好みな人が多い。あー知らんかったわ。今度読んでみよう。
昔、プラド美術館でエル・グレコの作品をいくつか見たことがあり、だがやはりそれはホントに「見た」ということにはならないなあと、解説を聞いていて思った。
画家の主観。それがエル・グレコを見るときのテーマだったのだ。それは画家が見たもの、感じたものと同じ目で、それを見たものを感じさせることというか。自分の目で見たように、客に見せること、自分の目と客の目が同じものを見れるように仕向けることというか。
例えばゴッホの場合、巧まずしてそうなっているっていうのがあの人の絵のコワいところで。まあ、自分の耳を切り落とすような人だから、ああいう絵が描けるのかもしれないけど、歪んでるっていうのはなんか人を引き寄せちゃうらしい。「アルルの寝室」とか。
自分もそういう目になってしまうことで、精神も絵の中へ引きずられてしまうのがゴッホの絵のコワさだと思うのだけれど、そのあたりこの人は計算して描いているって感じなのか。まあその点が正常な神経なわけだろうけど、でも、実はそうやって客に見せているものが神秘か理性か?っていうところがあって。見てるとどこかしらヤバい感じはする。そうじゃなきゃ絵なんて面白くないわさ。音楽もそうで、芸術全般に言えるけどそういう危険がないと価値なんてないとオイラは思う。綺麗っていうだけの絵なんて退屈だ。まあ、それは人それぞれか。見ててしみじみ幸せっていう絵もあるしね。それはそれでいいなあと思うわけで。
解説を聞いていて感じたのだけど、ものの見方というのは、どうしても深い浅いというのはあって、それはある種の慣れにしか過ぎないのかもしれないのだけど、知らないと一段上の見方ができない。知らないまま、美術館に行っても、なかなかそういうのはわからない。
もちろん、ほんとはじぃーーと眺めていてそれに自分で気付くのが一番なのだけど、そうそう気取ってばかりもいられない。
とかく若いうちは、「絵なんて感性でみるもんだぜ!」って粋がってたんだけど、やはり海外の美術館へ行ったときには、ツアーで回ってその美術館付きのガイドさんに話を聞いたほうがお得だなあと年喰ってから思う。まあ、そんなわけで結構もったいないことをしてきた。
自分の人生だいたいそんなものというか、そんなんばっかりだ苦笑
エル・グレコ展
http://www.el-greco.jp/index.html
うたうたい
握りこぶしの中に あるように見せた夢を
遠ざかる誰のために ふりかざせばいい?
若いときにはそれなりにあるんだけどさ、
いい年して歌う必要のあるものなんてたいしてないさ。
別に自分の中に歌うものがなかったらないでいいじゃねえか?と。
ムリくり歌詞ひねり出さなくたって
鼻歌でいいんだけどねえ。
そういう年になってきてるなあとしみじみ思う。
歌姫 スカートの裾を
歌姫 潮風に投げて
夢も悲しみも欲望も 歌い流してくれ
なんておもうのだけど。それじゃダメなんだろうか?
そういう感じがいいんだよね、板谷祐氏。
まあ、高木フトシ氏とはそういう意味でまったく逆なのだ。
てか、ほんとはどっちもけっこういいかげんなんだけどね。
でもどっちも自分にとっては生粋の「うたうたい」なのだ
ここにさらに森重氏がいたら、紅白の白組はこの3人で完勝レベルなのだが。
トリは3人でXの紅を熱唱 ビジュアル系ファン失神だな
で、おいちゃん歯ぎしり オレにもやらせろ的な笑
また、あの漫才があるのかしら。
☆ 12月24日(月・祝日) 池下UPSET 18:00開場 / 19:00開演
新宿心音会板谷祐・高木フトシ
~ジングルベルを鳴らせ!!~
*FOOD付き \4,000(別途:ドリンク\500)
さて寸胴をナカイさんは買ったのか?ビーフシチューは出るのか?
遠ざかる誰のために ふりかざせばいい?
若いときにはそれなりにあるんだけどさ、
いい年して歌う必要のあるものなんてたいしてないさ。
別に自分の中に歌うものがなかったらないでいいじゃねえか?と。
ムリくり歌詞ひねり出さなくたって
鼻歌でいいんだけどねえ。
そういう年になってきてるなあとしみじみ思う。
歌姫 スカートの裾を
歌姫 潮風に投げて
夢も悲しみも欲望も 歌い流してくれ
なんておもうのだけど。それじゃダメなんだろうか?
そういう感じがいいんだよね、板谷祐氏。
まあ、高木フトシ氏とはそういう意味でまったく逆なのだ。
てか、ほんとはどっちもけっこういいかげんなんだけどね。
でもどっちも自分にとっては生粋の「うたうたい」なのだ

ここにさらに森重氏がいたら、紅白の白組はこの3人で完勝レベルなのだが。
トリは3人でXの紅を熱唱 ビジュアル系ファン失神だな
で、おいちゃん歯ぎしり オレにもやらせろ的な笑
また、あの漫才があるのかしら。
☆ 12月24日(月・祝日) 池下UPSET 18:00開場 / 19:00開演
新宿心音会板谷祐・高木フトシ
~ジングルベルを鳴らせ!!~
*FOOD付き \4,000(別途:ドリンク\500)
さて寸胴をナカイさんは買ったのか?ビーフシチューは出るのか?
夜曲
石垣りんさんの詩に「おやすみなさい」という詩がある。
東海テレビのクロージングにずいぶん昔に使われていた詩で。
確かクロードチアリ氏のギター演奏をバックにした詩の朗読だった。
おやすみなさい。
夜が満ちてきました
潮のように。
ひとりひとりは空に浮かんだ
地球上の小さな島です。
そんなふうにはじまる詩だ。
女の人が書いた詩だなあと特に思うのはその中でこういう部分。
人は布団に入り
眠ります。
濡れて、沈んで、我を忘れて。
濡れて。沈んで。我を忘れて。か。
女の人ってそうなんだなあと愛しく思うわけで。
そして自分も子供の頃はそうだったなあということを思うわけである。
もちろん彼女も子供の頃はそうだったと思って書いているわけで。
「ああ、そうなのか、そういうことか!?」と今それにハッと気付いた。
大人はいろいろめんどくさいなあ。
今夜はいかがですか?
中島みゆき 夜曲
東海テレビのクロージングにずいぶん昔に使われていた詩で。
確かクロードチアリ氏のギター演奏をバックにした詩の朗読だった。
おやすみなさい。
夜が満ちてきました
潮のように。
ひとりひとりは空に浮かんだ
地球上の小さな島です。
そんなふうにはじまる詩だ。
女の人が書いた詩だなあと特に思うのはその中でこういう部分。
人は布団に入り
眠ります。
濡れて、沈んで、我を忘れて。
濡れて。沈んで。我を忘れて。か。
女の人ってそうなんだなあと愛しく思うわけで。
そして自分も子供の頃はそうだったなあということを思うわけである。
もちろん彼女も子供の頃はそうだったと思って書いているわけで。
「ああ、そうなのか、そういうことか!?」と今それにハッと気付いた。
大人はいろいろめんどくさいなあ。
今夜はいかがですか?
中島みゆき 夜曲
FUKUSIMAから来た小さな天使
タイムリミットに向けて走りだした少女は
空に向けて機関銃を撃ち続ける
気にいった服は
着たそばから脱ぎ去って
彼女の欲望は
もはや彼女自身と重なって
彼女自体がアイコンとなる
虚しさと充実の両方を知ること
一瞬の光を求めるものは同じだけの闇を覗くことになる
痛みも悲しみも自分の肌に
そういう人をNACOで見てた。
空に向けて機関銃を撃ち続ける
気にいった服は
着たそばから脱ぎ去って
彼女の欲望は
もはや彼女自身と重なって
彼女自体がアイコンとなる
虚しさと充実の両方を知ること
一瞬の光を求めるものは同じだけの闇を覗くことになる
痛みも悲しみも自分の肌に
そういう人をNACOで見てた。