象の夢を見たことはない -122ページ目

芥流れる川

凡そものが解るという程不可思議な事実はない。解るということには無数の階段があるのである。人生が退屈だとはボードレールもいうし、会社員も言うのである。

っていうのは小林秀雄の20代のときの言葉だ。達観というのは、不思議なことに若い頃にしかないような気がする。年寄りの達観は、その人の人生のいろんなものが経験的にくっついているのでもはや達観ではなくなるっていうだけだけど。

そういえば、ススキの葉で手を切ると傷む。そういう話があった。子供の頃に実際に切った事がある人は知っている。親にススキで切るとイタイという話を聞いて子供ゴコロに納得。そういう話を親から聞いて自分の痛みを引き受けることができるようになる。経験を伴った話は重い。だったら自分のコレだってたいしたことなんてないんだとそんなふうにして耐えることを覚えていくんだろうか。

眉村卓のSFのショートショートにセイタカアワダチソウを鉢植えで買ってもらった少年がそれを大切に育てるという未来の話がある。ススキはセイタカアワダチソウに駆逐されなくなってしまっていて、そしてセイタカアワダチソウすら貴重になった。そんな未来。中学のときに読んで「そんなバカな!失笑」っていう感じだったのだけど、たしかにあの時代には外来種のそういう気配があった。アメリカザリガニだとか。時代を経るとそれも少しかわってくる。

「凡そものが解る」という小林秀雄のこの言葉をひるがえって見たとき、見える景色というのは少し違うかも知れない。経験や年月を伴わない知識に大して重みなんてないのかもしれない。

まあ、そんな感じで年寄りは思いこむのだけど、子供の世界や若者の世界はなにも大人が目が届く範囲でだけ成り立っているわけではなく。それはしっかりした実在の中にある。実在というのは不思議なものだ。それは外部にあるのではなく、本人の中にある。感覚とか感情とか直感とかそのときにその人が持っているもの。
無数の階段にある上の段にいるものは、下の段で見えていた真実を見失う。高くなって見える景色の良さに心を奪われて、足元がおぼつかなっていることに気づかない。

もののあわれというのはそういうことでもあるのかも知れない。

血液型と性格

O型の比率が高い国ほど自殺率低く殺人率高いという研究結果
 日本人は血液型と性格や相性を、占いのように楽しんでいるが、『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)..........≪続きを読む≫
<背景>
血液型による性格判断に、科学的根拠がないと聞きましたが本当ですか
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013931630

血液型と性格にかかわる遺伝子に関する質問 - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320255133

<展開>
性格や知能の50%が親からの遺伝!? セロトニントランスポーターS遺伝
http://www.excite.co.jp/News/laurier/love/E1315993918934.html

【関連ワード】
 連鎖不平衡
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%8E%96%E4%B8%8D%E5%B9%B3%E8%A1%A1

 エピジェネティクス
 クロマチン
 翻訳後修飾・化学的修飾

<結論>
「ない」というのは、現状は「ない」という意味であって、将来的に「ない」というのを保障出来ているわけではない。グレーであることを白とか黒とか言いきっている科学者は、所詮TVの世界の人だわさ。この人の場合、前に断言してたことを、次には関連は無いと言って、更にグレー判断に手の平返すようにひるがえしてるから余計にひどい。科学者の態度ではないわさ。

習慣が変われば、人格が変わる。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

なにかのテレビドラマで言っていたのだが、ウィリアム・ジェイムズの言葉なのかどこかの宗教の教えなのかはわからない。なるほどと思ったのだけど、自分のところに持ってくるときに途中から覚えてしまってて。

「習慣が変われば、人格が変わる」っていうところから妙に引っ掛かって、そこから先だけ記憶してたのだけど。悪い習慣ほど身につくんだよなあと。いろんなところでサボってしまう。そういうのはすぐ人には見えてしまう。他人のそういうのはよく見える。そりゃ運命も人生も悪い方にしか変わらんだろうと。あれ?おかしいな?と

心が起点なのだね。
心は変えられない。
変えるために行動から変えたりしてみても結局そういうのは長続きしないなあと最近思う。もし変えようとするなら、大胆に変えないとダメなんだろう。小手先はダメだわ。

ひらめき電球小手先って、剣道の?
あー、なるほどそりゃダメだな。
人間小ズルイのはほんとダメだ。小手先で覚えてたわ。

そんなくだらないことするくらいだったら楽しんでやることを習慣にしたほうがずっといいわ。楽しんでいる人を見るのは楽しい。そういう運命の変わり方を目指したほうがずっといいや。

ラジコンネズミ

池谷裕二氏の『進化しすぎた脳』にラジコンネズミの話がある。

進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)/池谷 裕二

¥1,050
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ネズミの脳に電極を3本さす。
1本は右のヒゲに反応を加える。1本は左のヒゲに反応を加える。最後の1本は報酬系といって脳に快感を与える部分に。右のヒゲに反応を加えたあと、右にいけば快感を与える。左のヒゲに反応を加えたあと左にいけば快感を与える。

レバーを押すとそこに電気刺激を加えるように電極を脳に差し込んだネズミは、餌も食べず水も飲まずひたすらそのレバーを押し続ける。そういう脳のポイントがあってそれが報酬系。

はたしてネズミは自分の意思にかかわらず、ラジコンのように動かされてしまう。
一方、ネズミは自分の意思で行く先を選択していると思っている。
気持ちのよい方へよい方へ進んでいるという意識しかない。
さてこのネズミはロボットか、否か?

そういう命題である。

自由とは何か?意思とはなにか?それがこの本を含めて池谷氏の本の多くに出てくる哲学命題で。その命題って、生きるっていうことって何か?っていうのにつながってくる。この本はブルーバックスで、おもに中高生用の本なのだけど、はたしてその問題を中高生のときに決着がつけられるのか?っていうところがあって。

注意深く、池谷氏の著作を何冊か読んでいくとそれに対する考え方が彼の中で深化していくのがわかる。それはすべて彼自身が生きた証なわけで。自身の研究を続けながら、そういうことを常に考えている。たぶん、それは彼に限らず誰だってそうなのだろう。

人は自分の意思だけで生きることを決定しているわけではない。
人という生きものは、それ自体で完結しているわけではなくて、食物連鎖の中にいる人、社会の中にある人、家族の中にある人、国の中にある人、地球という中での人、それぞれの因果でつながっている。自分の意思で決定したと思っていることの大半はそういう条件によって決定されてしまう。

でも、そう考えるのも極端な話であって、例えばそれをすべて神の思し召しだと考えるのが宗教なのだけど、だとすると人間の自由意思は何だ?なんていうことがあり。で、それぞれの宗教の中で、それぞれ喧々諤々があって、それぞれの宗教の教義の中で無理やり結論づけられてたり、今だに論争が続いていたりするわけで、中高生の時に決着がつくようなレベルの話ではない。

人はどうして生きるのか?
このラジコンネズミとどう違うというのか?

誰かが言っていた。答えがわからない問題は、問題の設定の仕方が間違っているのだと。答えがわからない問題を考え続けるのはばかばかしい。そういう問題は、一度立ち止まってその問題の設定の仕方を疑ったほうがいい。

あるいは、二元論的に話を結論づけようとしているから間違いであって。どんな問題でもアホの一つ覚えみたいに因果関係によってのみ結論を求めようとすることがそもそも間違いなのだ。無限ループに入ってしまう、バタフライエフェクトというか、カオス理論的に考えなくてはいけない問題だってある。インテグレーションポイントがどこかにあって、それを叩けばすべて解決!なんていうお手軽な話じゃないものもあるわけで、そういう点で動物の免疫システムのようなものも世の中にはある。システムとして全体として、なんやらうまいこと動いている。

人は何のために生きるのか?

それを考えてドツボにハマる。それもまたよし。また悪し。なんとでもあればよいし、止めたってかまいやしない。どう考えてもどう生きてもそれこそ自由な話だ。そんなふうに思う。それでいいし、そうに決まった!

ただ、深化する意思、進化する意志というものを人間は持っている。あるいはその存在に人間だけが気付いている。そんなふうに思う。それこそが人と動物、人とロボットを分けるポイントなのかもしれない。
なにかをするとき、深化しよう、進化しようと常に考えられているか?苦しいときには特に。あるいは目の前に餌をぶら下げられた時は?さて、オレはどうだ?

2012年11月23日(金) at. 柳ヶ瀬 ants

$ニャンちゅうなブログ-ヤナガセ

岐阜までボムファクトリーを観に行ってきた。
THE BROTHELSとsolid red style。多分今池3STARで去年見たきりだったので。そのときはG4Nがメインだったか。なのでそれも楽しみ。

岐阜駅で降りたのは初めてだったけど、高層マンションがどーんと建っていて。思ってたよりスゴイ。名古屋まで快速で20分ちょっとだものなあ。そりゃこうなるわ。ハイハイ三重の負けですわ。でかくて綺麗な駅だし。2Fがメインで1階まで降りたらダメなのね。駅から柳ヶ瀬 antsまでは徒歩で15分ちょっと。

てくてく歩く。繊維街がメインストリートにあってやはりシャッターが下りていた。名古屋の繊維街もそうだけど、夜はやはり寂しい感じ。左に折れて右に折れてさらにてくてく歩く。目印の十六銀行だ。地図を取りだす。まだ先だった。遠い。ゆっくり確認しながらだったので店まで20分くらいかかった。

店に入ると明らかに客層は若い。ヤバいなあ。まあいいや。聞いたらボムは9時50分からだと。終電チェックしてこなかったわ。名古屋に帰れるのだろうか。

入ったら3バンド目でちょうどsolid red style。久々に聴いた。Defthlineの頃も何回か見たけど楽曲がいいなあと。演奏も安定しているし。ギターの音やリフが好みなんだな多分。あらためてそう思う。MCをKO→SK氏が取ってることがあって、なんだか落ち着いてるし。ああそうか彼が一番年長なのかと。うーむ。年月は過ぎ去るのだなあと感慨深かった。

地元のBABYLON SiXX666は初見。ギターがメタル入ってて、ビジュアル系っぽい要素もあるしで、コアメタルなのか。若いコたちでやはりおっちゃんはそれ系はもう年でついていけん。けど、ロックンロールもやるらしく。One night rock starは結構好きかも。

そしてTHE BROTHELS。前一度聞いたときもいいなあと思ったのだけど、さすが地元で主催バンドだけあって人もいっぱいで。やはり人が多いと楽しい。ファンの女のコたちが元気なバンドはやっぱり勢いがあっていい。とすっかりおじいちゃん目線で後ろ壁際で重ねて置いてあった椅子に座りながら眺める。腰がもたない。年だ。

柳ヶ瀬とか豊橋とか飯田とか。やはりコア系は地元バンド主催でその場所の知人友人が来るライブのほうが人の集まりがよいし、彼らが時間気にせず遅くまでいられるので、休日なんか特に名古屋でやるよりずっといいのかも。
今日のDJはAPiTACO氏。というかだいたいいつも自分が行くとAPiTACO氏なのだが選曲がいいのだ。全然曲知らなくても踊れる。CDにまとめたやつ欲しい。転換中にDJブースの周りで踊っているコがいるのを見るのは楽しい。

そしてボム。もう押してて時間ないからどこまで聴けるかわからないけど、途中まで。前回豊橋ではsolid red styleが呼び、今回は岐阜でBROTHELSが呼びと、バンドのメンバーにやたらファンが多いわけで、おかげでこうやってこっちで観れるわけでありがたいことだなあと思ふ。しかし、いっつもおもうのだけど、男ばっか笑。音で好き嫌いっていうのが女のコの場合すごくあって、コア系の場合はそういうのはすごく顕著。ボムの場合、お祭り系コアっていうのとは対極にあるヤカラ拳つきあげ系だから、舞台前はいつものようにバンドメンバー率高し。濃いわ! DOWN、DISCORD、AWAITED TIMEなんていう定番系とVIPER、ALLRIGHT、INFECTEDていう新しめの曲をいつもの安定感で。でINFECTEDの途中で退場。

冬の地方のこういうライブ終わったあと一人っていう。。人寂しい人恋しい感じがそれはそれで良かった。Mだな。名古屋最終は11時45分くらい。地下鉄乗るので11時30分の快速がギリ。

なつかしいAWAITED TIMEを貼っておこう。