象の夢を見たことはない -119ページ目

お年賀

正月からプリンタが壊れた。

インクをかえても出やしない。どーしよ、どーしよ。
修理か?今は電話したら引き取りに来てくれるらしい。
が、よくサイトを見たら、このモデル、もう部品供給は停止していた。
5年までらしい。

というわけでぇ(ざこば風)、新しいプリンタを買った。それが届いた。
ならば、古いプリンタを思う存分いじってやれと。

あっさり治った。
だがなんだか部品らしい小さなスポンジが手元に残ってしまった。
というかこいつがはずれてたのを単に取っ払ったら印刷できたのである。

$ニャンちゅうなブログ-部品

どこに入ってたのかがわからない。
教えてエプソンの中の人!PX-A650だよ。
とりあえず、小さなビニール袋に入れて机の引き出しへ放り込む。

で、今から年賀状を出す。もう松の外である。
本来なら寒中見舞いなのだが、確信犯である。

本年もよろしくお願いします。

働かないアリ

「働かないアリ」が「働きアリ」の中にいる。
イソップ物語のアリとキリギリス。
キリギリスは、なんのことはないアリの中にいた。っていう話。

働きアリ:2割程度は「働かず」 集団維持の仕組みか

毎日新聞 2012年12月29日 10時07分(最終更新 12月29日 15時57分)

こんなことずいぶん昔から知られていた事実で、よく経営関係の啓蒙書とかPHPのようなビジネス関連の書籍なんかでとりあげられていた。いわゆる2:6:2の法則。なにをいまさら?って思ってたのだけど。

昔は組織とか会社という観点でこの事実を眺めていたのだけど、はて?それって自然法則なのでは?と思いなおした。例えば、「自然界で多くみられる一見不規則な変動(カオス)をグラフにプロットするとそのグラフはフラクタルな性質を示す」っていうフラクタル理論みたいに一見カオティックなものにみえる自然も、統計学的な数学処理をするとある一定の法則の中に収まってしまう的な。集団のあり様も、システムのあり様もそういうもので。

であるならば、それを演繹してみる。
人間という集団のいかなる活動も、あるいはそれを飛び越えて人という種、あるいは生物そのもの、それらの進化と呼ばれるものも畢竟その中でのことでしかない。ならば、その中にある自分の生にいったい何の意味があるのか?生きることに目的なんか探してそれってバカみたいじゃん?

孫悟空がいくら飛んでも釈迦の手の上的な。
そして悟空は鉄の輪っかを釈迦にはめられてしまう。その鉄の輪っかにあたるものっていうのが、実は「生きることに目的があるのか?」っていう気付きだとしたら。色即是空空即是色、ことあるごとに生の無意味論っていう輪っかが僕の頭を締め付ける的な。

まあ、それだと違う寓話になってしまってまったく新しい物語が書けてしまうのだが。
孫悟空は三蔵法師と旅を続けるわけだ。生きるということは何かを考えながら。そんな物語、ちょっとおもしろそう。ロードムービーだな。

神を信じようが、人の尊厳のためにだろうが、欲望のままに生きようが、結局、個人なのよね。マスで見たところでなんにも答えは転がっていない。自分で設定しないとダメなのさ。「希望」という卑しき者たちの幻想は、実際は高貴なものの間にしか存在しないとかなんとか。それがテーマ。なんだかこのフレーズってなんにでも使えるな。今年はこれで〆ておこう。

そしてもうひとつ、
くちびるに歌を持て
これ大事よね。では、よいお年を。

ジングルベルを鳴らせ!!

2012.12.24(月) 名古屋UPSET

新宿心音会板谷祐・高木フトシ
~ジングルベルを鳴らせ!!~
*FOOD付き 開場18:00 / 開演19:00 ADV 4,000 /DOR 4,500


土曜日にチケット買いにUPSETへ。Sel'mってバンドの開場前だったのだけど、若いお客さんがもう並ぶために来てた。誰?と思って後で調べたら、あーこりゃ人気も出るわなと。ばりばりのビジュアル系で音もカッコいい。昔の彼らはこんな感じだったのかと。
そんな感じでチケットを手に入れ、この時点で26番。

$ニャンちゅうなブログ-チケット

スラット@UPSETで会場売りしてたからなあと思いつつ。
当日はエレベーターつき。

$ニャンちゅうなブログ-エレベーター

お年寄りにもやさしい仕様でありがたい。開演10分前くらいに余裕なつもりだったのだが、入ったらもうフロアのテーブル席は一杯で、フロア後ろの席も埋ってて、談笑しながら食べたり飲んだり。出遅れたわ。
会場はいつもよりクリスマス仕様に!
てか、あのツリーはなんだ!前回はなかったぞ!と。

10分押しくらいで板谷祐氏登場。
うぬ、ギターが違う?新しいんじゃね?エレアコの響きもなんだか増しているようで、しばらくギターばかり眺めてた。そしていつものようにフロアの後ろから野郎どもの合いの手が入るわけだ。ヒューヒュー。イケイケなわけだ(そうかイケイケって死語なのか苦笑)

でも知らない曲が多くていまいち自分的には腰が落ちつかない感じで。
LC関係は少なくて、いやLC33はあったな。あとプカプカ。その2曲でやっと自分的に落ちついた。だいたいLC1、15、22、33以外の曲知らないで来てるっていうのも自分どうなん?と汗 スラットも行ってないし滝汗

それとは別になんか今日は歌声がいがらっぽい気がする。そういうのもあり。スラットのツアー、ハードだったしなあとおもったら、もう花粉でヤラレテタらしい。鼻つまると夜口で息しちゃうから咽喉やられちゃうもんなあと。でもあいかわらずのビブラートなわけで。何曲やったのかわからなかったけど、いつもの2マンよりぜんぜん少ない感じで終了。あれ?って感じで終わってしまった。

で転換時は、フードに突撃。おでんを横目にとりあえずチキンを。ソースがこれまた辛い感じでなかなか。てな感じで食べてたら、舞台の幕が開いて高木フトシ氏登場。
フトシ:食べてる?
客:食べてる食べてる。
て感じのゆるい感じで始まった。

曲なにやったっけ?というか新しい曲知らない。最近関東ばかりなので流れがよくわからないってのもあり。Undergroundで始まった気がする。
ぜんぜん聞いたことがない曲がKeep it carefullyとあの花をっていう新曲?
そのあとthe life is a beautifulから何曲かだったのか?これも知らないのだ。

で、Star fall。この曲は湘南レディオで聞いて、音がバリバリに割れてたんだけど、ヤバいと。この曲ヤバいと。フレーズはどこかで聞いた気がするのだけど2度聞かないとわからない人なので。それで衝撃を受けたのだ。目つぶって聞いてしまった。鳥肌モノだった。OUTSIDESEVENなのね。searching for a heartとmoon light feverしかサンプルがないので、どんな曲なのかなとは思ってたのだけど。声がすごく伸びてて。自分的にはこの曲だけ聞けただけでもう満足。

その後は、昔もうイノセントはいいよってお客さんからここUPSETで言われてたイノセント笑。自分得だった。でオレの曲暗い曲ばっかだからなあ、あ、そうだ、クリスマスに合う曲あったって言って始めたのがUnbirthday。いやいやヲイヲイそれはどうなの?と。あ、そういやその前に、No angel's here,,,とか。もうアレだな。キリストとかお構いなしなわけで笑 
で、Days earlierやって、ラストがDevil inside。悪魔がインサイドなわけで。冒涜の限りを尽くしていたわ。メリークリスマス!MCはさみながらなんだかんだ結構な量を聴けた気がする。

んで高木氏はけて、しばらく歓談タイムで、ラストに出る筈のケーキがここで登場。いやー、たしかにさ、ケーキがあったら持って行きたくなるよね。わかるわ。みんなも目の色かわってて特に女子!結構でかいケーキだったのに、一瞬でなくなってた。
「いや、まだナカイさん力作のビーフシチューがぁ~、自腹寸胴の立つ瀬がぁ~」と心の中で思っていたのだけども笑 ケーキは遠慮してた野郎どもはしっかり頂きましたとも。いやー、あれはマジで美味かった。

舞台上はそのあと、ナカイさん交えてユルいトーク。スラットのツアーの話とかで盛り上がり。なんかもう、悲しいくらい年齢ネタねにひひ。スターだよ?ロックスター。おじいちゃんじゃーん!って感じでみんなで大笑いして。

で、恒例のセッション。とおもってたら演歌あり、モノマネありのタスクワールド全開。もう紅白なんだかモノマネ歌合戦かっていう年末特番バリなわけで。フトシ氏に至っては、トナカイのツノつけてきた時点で全壊していたと言っても過言ではない。なんだかもうどうなん?と。あのHATE HONEYのボーカルがだぜ?と。かつてのファンに見せてやりたいわけだ。ここにいた人達にだ笑



まあでも、だいたい実はそういう感じだろうとあの頃から皆知ってるわけだけど笑。
HATEのMCでもその片鱗がくっすーな感じだったので、ラストの名古屋しか知らないけど、そんときも結構みんなにイジられてたのだチョキ 

で、ジングルベルを鳴らせ!!は、来年もデフォルトになったみたいで、ナカイさんはツリーも買っちゃったし、ここにいる人は予定を空けておけと。彼氏彼女ができようが来いと。来年は、みんな舞台に出て一発芸をやるとか、モノマネ大会しようかとか、料理は寿司でフトシ氏が握るとか。ネタはナカイさんが市場で買ってくるって話に。なんだかエライことになってきたよ。

ダンディズム

OUTSIDERで、前田日明氏が大会の冒頭挨拶でこんな言葉を言っていた。

“平等”という卑しい者たちが抱く幻想は、
じつは高貴な者たちの間にしか存在しない


高貴という言葉にひっかかってよくわからなかったのだけど、選手たちは拳ひとつで自分の力でその高貴な者への扉を開こうとしているというふうなことを後に続けていて、今それを字にしてみて初めて意味がわかった。

この言葉は松岡正剛氏のトークショーでも言っていたらしく
Report 連塾ブックパーティスパイラル「本の風」速報 - セイゴオちゃんねる

ホスト:五木寛之 ゲスト:安彦良和+前田日明 なんてすごい。
で、彼の中ではこの言葉は、林房雄・三島由紀夫『対話・日本人論』に続いているのね。三島か。なるほどそういうことかいなと。

人様のブログだけど、備忘として
林房雄・三島由紀夫 『対話・日本人論』 を読む | パリの断章


ソウイエバ、ジユウトイウコトバニオキカエテモイイナ。
“自由”という卑しい者たちが抱く幻想は、じつは高貴な者たちの間にしか存在しない

OUTSIDERという高貴な者たち。自営業者もやはりアウトサイダーだな。

遊ぶのにも体力がいる

最近剥きだしの自分に会ってない。
とアウトサイダーを観ていて。

土曜日のマスターズ練習会のメインは
200m×1 3:20
100m×2 1:40
50m×4 50
←ここでリタイヤ
100m×2 1:40
200m×1 3:20

限界だった。先々週もダメだった。物理的に今の体重では無理ってことでマシントレーニングすることにした。なので土日ともマシンとプールの両方はしたのだけど。

でもやはりあのとき心が折れたわけさ。そういう事実は変わらない。
そういう逃げを何度も繰り返すと、自分と付き合うことに疑問がわいてくる。
動物的な反射で自分にぜんまい巻いて動き続けてるだけ?
そういう人生ってなんかどうなのよ?

と思いながらも、やはりそれは生きていくことと同じで。
どうあったところで、泣かんければ強くなれないっていうのは、たぶん死ぬまでそのような気がする。

剥きだしの自分ていうのは心が折れた自分とは別モノなのか?
いや、たぶん同じだろう。そのときに自分を見てみないふりをしてるだけでしかない。
一瞬一瞬に逃げないことが剥きだしの自分ということ。たぶんそういうこと。

遊ぶにも体力はいる。
遊びですら逃げてしまうヤツがまともに生きているなんて言えない。