象の夢を見たことはない -117ページ目

ギャル盤

おやじ買い。

LAZYgunsBRISKY
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そしてこれ!ポチっとな

LAZYgunsBRISKY
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あとはラディカルズを2枚。これでしばらく買うものはないわ。
LAZYguns~は、買ってもライブはないわけだけど、止むにやまれず。
そういえば、

2013年 2月2(土) 名古屋HeartLand STUDIO
Lucy / 木村至信BAND / カラクリドロシー / VIRBELLWIND
前売り 2000円 / 当日2500円 [D別 500円]
18:00 開場 / 18:30 開演

ていうのがある。
なお現在は、
izumiちゃん→bomi http://bomibomi.com/ のバックバンドギター
azuちゃん→Cyntia http://cyntia.jp/の正式メンバー
だとか。

この中だとやっぱり、『26times』が音的にヌけてると思った。すごい。
ハードロックテイストがこの3枚の中では一番出てるし、それも正統派アメリカンハードロック、60年代風味っていう流れの復刻をギャルバンドでここまで出来るのか?っていう驚き。というより、今どき野郎のバンドでもこういう泥臭い音を出せるバンドは探してもなかなかない。しかも当時20才とか21才だよ。マジかよと。知らんかったわ。

ギャルバンドなんて所詮色モンっていう日本のかつての音楽シーンというか今でもそういう見方があるんだけど、自分も古い人間なのでそういう見方をしていたし、まだいまだにそういう偏見が正直ある。

あきらかにそういうレベルのバンドとは一線を引いているわけで。見てる世界が違うというか。もともと、浅井氏はこういうバンドをプロデュースつもりだったんだなあっていう方向性がビシーッと示されたアルバムのように感じた。

だからといってメンバーの個性が殺されているわけでなく、逆に彼女達が浅井氏というプロデューサーを得て、自分達のやりたいことをやってて、ソングライティングとか。そういう意味で、すごくクリアで明快なアルバムだなあと。

とにかく1曲目の針を落とした瞬間から来るあの感じ。それをアナログ盤で音楽聞いてたとき以来に感じた。CDなので針はないのだけど、まさにこのアルバムは「針を落とす」っていう表現がぴったりな、キターっていう高揚感と期待感。1曲目のLiarね。今どきのナンパなロック野郎どもではこういう音は出せてない。

逆に言えば、「サカナなんとかだとか聞いてないでちゃんとしたロックを聴きなさい」なんて言いそうな昔レッド・ツェッペリンだの、クリームだのを聞いてたおっさん世代に聞かせてやりたいわけで。まあ、それは半分、過去の自分に対して言ってるわけだが苦笑

とりあえずamazonでその針を落とす感が味わえるので、ウソだと思ったらロック好きを自称するおっさんは下の写真をクリックしてサイトで聞いてみるべし。

26times/ビクターエンタテインメント

¥2,000
Amazon.co.jp

とここまで書いて『quixotic』を見に行って驚いた。これ1枚目のアルバムで深沼氏プロデュースなんだが、こっちのほうがヤバい。というか、もともとこうだったのか!!
バンドの初期衝動と爆発力はどうあってもファーストアルバムに集約されるんだなあ。なら、このラインでよかったんじゃん。インディーズバンドってメジャーに入るとオカシクなる。ダメだ、やっぱメジャーレーベル。音楽腐らせてるわ。そりゃ日本の音楽シーンもヒドくなる一方だわ。若者を腐らせるのはいつも大人なんだな。でも本物って悲しいことに日本では売れないからねえ。というかそういう音楽はファンを選ぶ。ここまで行っちゃてるとおじさん達の嗜好に近くて若いコ全般にはウけないだろうなあ。しかもおっさんにギャルバンドはいろんな意味でハードル高い!ライブなんて行けないわけで。悲しいことに。と、ここまで書いて気付く。彼女達はそういう常識に縛られた大人たちにあるいは音楽業界に「革命」を起こそうとしてたのかと。
とはいえ、ここまでハードロックではないけど、borzoiqも好きだったのだが。過去形になるのがこれも辛い話ではある。まあ、まだそういう芽はあると思っていたいのだけど。
しかしソングライティング見てて気付いた。azuちゃんってポーっとしてるほんわか系なんかと思ってたけど、彼女こそが60'sテイストハードロッカーなのか。しかも多才だし。あ、彼女がバンマスなのか。なんてこったい。そういうことだったのか。ファイナルのKiNGONSの出番のとき後ろで踊りまくって応援してたからさあ。ポップな感じなのかと。まったく…知らんかったわ。まあいいや。もうポチっと買った。

似て蝶シリーズ その1

相対性理論で思い出した。

個人的に似ているとおもっているギターフレーズシリーズ

相対性理論『LOVEずっきゅん』 と Foals『Hummer』
時期的にこういうギターピッキングが流行っていたんだっけ?
もっともそれだけでなく、どちらもエレクトロっぽい浮遊感を持ちながら、どこかあさってのほうへイッてしまっている感じが好きだ。

THE DUST'N'BONEZ 『CONFUSION』チリヌルオワカ『ホワイトホール』 
ギターリフがもうあれだ、リスペクト系だ。しかもおかずにしている感じがいい。というか無理やりなイントロ笑。何故そこから来る?的な。ダスボンはもうやらないだろうから、それを見越しての復活コール的なものなのか。こういうフレーズ使ってます的な感じで、おいちゃん率いるスラバンおじさん軍団と若い衆との交流的なものがあればオモシロイのにと思うのだけど。繋がり的には、戸城→高木フトシ→YANA→Hisayo→ユウ→メンバーとか。

最後に、これはどうかと思うのだが、KiNGONSとTHE→CHINA WIFE MOTORS。
栃木県宇都宮と大阪府堺市。 青春ポップロック系と下町パンクロック系なのだけど、なんだかどこかが似ている。KiNGONSは演奏スタイル的に女のコファンが多くてTHE→CHINA WIFE MOTORSは男のファンが多いのかなあ、主戦場も違うしファン層もかぶりそうにないのだけど、二組ともどこか懐かしい感じがするロックンロールなんだよね。この二組はしかもMCが楽しいバンドだから、アラフォー・アラフィフな世代の人も娘にひっぱられてライブにくればいいのにと思う。基本ライブって同じ系統のバンドでっていうのが多いから、対バンしてないかもしれない。観てみたい対バンの一つ。でも名古屋だと難しいかなあ。ん?KiNGONSってハックでライブしてるってことはやっぱパンクなのか。たしかにこの黒塗りはそうだなあ。

なんせライブで一番観たいのはファン同士が化学反応起こして、しかも老いも若きも混ざってのお祭り騒ぎっていう。ええ年こいたおっさんがライブ会場に足運んでる理由はホントはただそれだけなんだよね。

KiNGONS 「WONDERFUL GIRL」


THE→CHINA WIFE MOTORS「baby alright」

しんくろにしてぃーん

そうかひらめき電球

シンクロニシティっていう、偶然の共時性っていうのは、

『世界』と『自分』がシンクロしてるっていうことじゃなく、

『自分』と『自分自身』がシンクロしてるってことだったのかと。

世界は自分であって、自分が世界なのだと。

自分が認識している世界は、結局自分に過ぎないのだという。

認識論という意味でもこれは合っていると思うのだが。。

とはいえ、それはそれで奇跡であるわけで。

…ということを信じたいsao☆



でも、実は
フツー フツー わりとフツー♪
なことだったり汗 なんかそんな気がするドクロ

語感と日本人

宮沢賢治の童話は、オノマトぺと謎の単語。
例えば、イーハトーブ。

『人は語感でいい・悪いを決める』っていう本からそれを拾ってみる。

人は語感で「いい・悪い」を決める (KAWADE夢文庫)/感性リサーチネーミングラボ

¥570
Amazon.co.jp

 … 舌の付け根から中央にむかって力が働き、強く前向きに発音するため、「いの一番」「一生懸命」「一途」など、ひとつの方向にいち早く脇目もふらずに突き進む印象をつくります。

 … あたたかい息と口を開放させる明るい印象があります。適度の乾きと空気感。

 … たしかな着実感。た行の音はつばのしぶきが飛ぶのでにぎやかな音でもあります。

 … 唇を破裂させるようにはじくので、膨れ上がって飛び散るにぎやかさとパワフルで元気なイメージがあります。

新しい言葉を作る場合、こういう語感を考えたほうがいいわけで、そういう言葉の語感がどのような感情を呼び起こすかっていうことを無意識のうちによくわかっていた人なんだろうと思う。

人の名前を考える場合も、画数じゃなくて語感のほうが今の時代は大事なんじゃないのかなと。昔のように書き物をする時代じゃなくて、話し言葉の時代になってて、漢字は縁遠くなり、音に情緒が乗る時代になってきて、そんなふうに世間が変わって来てるからのキラキラネームなんだと思う。

「あんぱんまん」っていう言葉も、口を大きく開ける「あ」行の音と口を閉じる「ん」が交互にあって口の発達途上にある幼児にとって発音するのが楽しい音だから子供にうけるんだっていうのを光浦靖子がバラエティ番組で言ってて、さすがEテレによく出てるだけのことはあるなあと。

そういえば、池谷裕二氏が「直感」と「ひらめき」について、「ひらめき」というのは「答えがわかってもその理由がわからないもの」で、「直感」というのは「答えがわかったあと、なるほど!と理由がわかるもの」で、「ブーバキキ問題」というのは「ひらめき」だとか『海馬』に書いてたのだけど、こういう理由づけができるのであれば、それってひらめきじゃないんじゃないの?っていう気もする。それはさておき。。

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(ブーバ/キキ効果 from wikipedia)

「日本語は、音と関係のない様子を表す擬態語が豊富であり、英語ではこれをJapanese sound symbolism(日本語の音象徴)と呼んでいる。(from wikipedia)」そうで、言霊についても、実はただ単純に、語感が含む感情や感覚について日本人が他の国の人より敏感だからっていうことから来ているのかもしれない。

宮沢賢治の童話を読んでいると、「なんだか、目にはみえない生きものがこのなかに潜んでいるなあ」と感じることがあって、それは決まってこういう擬態語や擬声語やら「くらむぼん」なんていう謎の言葉が入っている童話で。つかめそうでつかめないっていうのが、その生きもののカタチなんだろうと思う。

マンガにしろ、水墨画にしろ、そういうのが日本の文化にあるのは、省略されたものから全体を補って見ようとする心の動きが日本人の場合には多分にあって、「イメージは生命力を持つが明確さを欠き、概念は明確であるが生命力を欠く」というユングの言葉どおり、固定されることなく揺れる、脳内にある種の運動を起こさせる、あいまいである分、複数の神経回路でそれを把握しようとするような動きをおこさせるものが、そのモノの正体なのだろう。そしてそれを愉しむことに風情を感じるというか。

まあ、それがあいまいさを好む日本人の弱点でもあって、明文化することを嫌うが故に西洋的な学問が真に根付かない理由でもあるのだろうけど。形を作る力が弱いから、批評や評論はできても哲学者と呼べる人はほとんどいないわけで。印象派の絵が好まれるのもそういうことで。

青山二郎は「魂があれば、カタチに出る筈だ」と言ってたけど、魂というのはカタチじゃなくて運動に出るのだと思う。運動といっても、対象物が運動しているわけではなくて、自分の脳の中の複数の神経回路がそのカタチを捕らえきれなくて固定されずに運動しているっていうことで、そういう動きを起こさせるものが宮沢賢治の童話の中にある。あるいは、ゴッホの「カラスのいる麦畑」の中にいる。陶磁器のカタチの中にそういう運動を見ているんだと思う。

自分の中にそれはある。だから飽きない。

$ニャンちゅうなブログ-カラスのいる麦畑
(カラスのいる麦畑 from wikipedia)

そういうことをクラムボンのシカゴを聞いていて思った。

そういえば「なぜVロックのボーカルはみんなビブラートをつかうんでしょうか?」っていうのの自分なりの答えは、「それは日本人だから」。西洋音楽ではビブラートはただの装飾だけど、日本人にとってはぜんぜん違う。固定されずに揺れる感情やら感覚やらをそこに見出すわけで、日本人はそういうのが大好物なのだ、正直おいらはVロックってわこうどの演歌なんだと思う苦笑。Xじゃぱーん!!日本人よのぉ。「天城越え」なのだ。そういえば祐ちゃんも演歌好きだなあ。Vロックってうたうたいの宝庫なのよね。だから紅白に出てもいいと思うのだが。メタルの「ギュワーン」って揺れるあのギターも演歌なのだ。←それは偏見

『クラムボンは死んでしまったよ………。』

クラムボンって宮沢賢治の詩に出てくるものだったのか。

いま、ネットでその詩というか童話だ、を読んでいろんなことを思い出した。

子供の頃のことだ。

家の前には川が流れていて、川と言っても家々の間を流れている生活の川。

野菜屑やら、ときにはへびも流れてくる。

沢ガニが、石垣から顔を出している。

そういう川だ。

小学校は築90年を超える木造だったけど、今は鉄筋だ。

川もコンクリートで固められてその上をなけなしの水が流れている。

小学校のとき、自分の学年は54名。

今鉄筋のその学校に全校生徒は54名もいない。

過疎の村になってしまった。

やまなし。もう戻れない。

でもそれでいいんじゃないかな。