象の夢を見たことはない -107ページ目

るーしー

ひらがなで書くとアレだな。

泳いでいたのだけど、ムシの知らせで開演ギリギリにうっぷせっとに。

$ニャンちゅうなブログ-4月29日

急いでたので歪んだが、まあB型なのでこんなものだ。

そして、やはりしょっぱなに出てきた。大当たり。

関係者の人が多かった。

おじさんがもってたスケジュール表をチラ見というより、ガン見してしまったのは内緒だ。

名古屋の場合、テレビ局関係のライブは、ハートランドでっていうのが多いのかもしれない。

アップセットで見たのはBORZOIQ以来か。

nano sound museumがよかった。

長時間、立ったままはつらい。踊るとかしてないと腰が痛いわ。

それもあるけど、どうも、自分はちゃらいのが好きらしい。

もっとチャラくてもいいなあ。ちゃらっちゃらな感じのがいい。

やっぱ、ARTEMAええなあ。



こういうチャラいのは照明がたいへんなのだ。

今日はアップセットの照明をずっと見てたのだけど、

ここまでバンドや曲に合わせて、仕込んでるライブハウスってそうそうない。

その場で終わってしまうのは打ち上げ花火のようなもので。

それも考えるとやっぱり凄いと思う。それも毎日だからねえ。大変な仕事だわ。

気球

河合隼雄氏に『影の現象学』っていう本があって、

影の現象学 (講談社学術文庫)/講談社

¥1,050
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なにかというとめくってしまう。そういえば、村上春樹の本にも影がよく出てくる。のちのち春樹氏と何度も対談することになったのも、この本の著者にして尤もなことだと思ったのだけど、対談する前の本のほうが、村上春樹の本は良かった気がする。まあそれはいい。

この本の中に永遠の少年の話が出てくる。
いわゆるピーターパンシンドロームとか中二病とか、いろんなとらえ方があるけれど、ユング派的には、元型の一つであって、それが働いている人を指す。

自分はティピカルな永遠の少年を一人知っているが、実は永遠の少年の元型は、すべての人の心の無意識内に存在している。自分の中にもあって、全く純粋なこういうタイプの人間に対して、共鳴してしまう部分が心のどこかにある。

そういうのはもはや、理性とは別の次元にあって、もっとプリミティブなものなので、正直「痛い」のだが、「さすが、バカが必死で書いた手紙は心を打つなあ」っていうまさにその状態で。

だが、今の時代、そんなこともお見通しになってしまって。
魔術はなくなってしまった。
ように思えるのだけれど。それでも、その歌を聞いてしまう。

実は自分が聞いている歌は、言葉ではなくて、その奥にある感情で、声の中にある震えだとか、叫びだとか、アンビバレンツな揺らぎだとか、そういうものだ。プリミティブなものっていうのは結局そういうもので。言葉で測れる理性ではない。もっと、生きることに根付いているものなので、ものさし自体が違っていて。そういう場所では、理性にはなんの意味もない。

オリジナル (Original) とは、いまでは、独自のものとか、独創的とか、唯一のものという意味合いに変わって来ているけど、ほんとうは、origin、つまり元となるものであって、元となるものであるからこそ、多くの人に訴えかける。

一般の人々は、ときに気球で飛翔する若者に喝采をおくるか、あるいは逆に業を煮やして気球を打ち破るかのどちらかになる。もっとも、たいていの場合、多くの人々は地上に足をつけたままで、少年たちをあしらうのが常であると河合氏は書いている。

少年が光を求めて高く昇れば昇るほど、彼の影は母なる大地に大きく投影される。彼らにとって、それは親であり、社会であり、国である。それらに向かって彼らは、すべての悪の責任をとることを要求するが、自ら自分の影を背負って立とうとはしない。

「自ら自分の影を背負って立とうとはしない」。
まさにその有り様に対して、いままで、自分は業を煮やして気球を打ち破ろうと石を投げてたのだけど。
果たしてそんなことをする必要性など、どこにもないことに気付く。
そんなことはもうどうだっていいのだ。

指導者の素養

人って結局、自分がやっていたこと・やっていることしか教えられない。

佐山聡って、人に教えるのが天才的に上手だったと前田日明が何処かで書いてたのだけど。ミドルキックの蹴り方を教えるときに

「まず、相手の肩からピアノ線が下がっていて、その先にブロックがくっ付いてると思ってください。ブロックの部分が手にあたります。そのブロックが一番揺れるように、ピアノ線を蹴ってください」

というような教え方をしたそうだ。自分がやってもいないことや、自分が出来ないことをあたかもさも出来るように教えようたってムリな話で。だから、教えるときは自分はどういう意識でそれをしているかを教える。型を教えるのではなく。そうじゃないと結局響かないのよね。

「完結する」

なにごとも最後までやるって自分にとっては一番のキモかもしれない。

つまり、苦手だということ。
最後までやらないと、結局それを生かせない。「完結する」。

ある人のブログを読んでいて、これはオレの課題だと。
ほんとなら、引用するわけにはいかないのだけど、備忘録として。

一つのことを、下手でもいいから、きちんと最後までやりきるということです。最後までやることで、最後がやっぱりダメな結果に終わっても、一通りのことを経験しているので、途中の作業が後々どう影響していくかが分かるようになります。また、たとえ最後の出来が悪かったとしても、最後までのいくつかの行程の中には、うまくいった、手ごたえのあった部分は分かります。それらはとりあえず置いておいて、どの部分をやり直したほうがいいかが分かるのです。これが、最後までやっていない人には絶対に分かりません。

中途半端で終わっているものが結構ある。

とりあえず、箸の持ち方は直した。ちっちゃ笑
いやさ、実家に帰ると姪っ子(blood type:A)に言われるわけさ。
彼女が5才のときから言われてて、今小学2年生なのよね。
で、2年越しくらいで直したのよ。
持ち方は知っているんだけど、自分は小指が曲がってるのね。

$ニャンちゅうなブログ-曲がっている

で、薬指にくっつかなくて納まりが悪いのよ。どうしても邪魔なのでもういいやと開き直ってたのだけど、薬指と小指、手の平にくっつけるくらい曲げればいいんだと気付き。そしてその状態で、箸を動かして食べるには手首を内側に曲げなければいけなくて、それが鍵だったのよ。鉛筆を持つ感じで箸を持ってたので。そこが根本的に違ってたのさ。意識の仕方がまるっきり違うときって型だけ直そうとしてもダメなのよね。そういうことってどんなものにでも言えるのだけど。それに2年目にして気付く。

そうそう、型だけ教えようとする人って指導の仕方が下手クソなんだということにも改めて。まあ、そんな感じで、ギターで言うとFを押さえれなくてあきらめて辞めてしまう感じなオレだったわけだけども、頑張ればなんとかなるもんだ。(←だから小さいよ)

そういうわけで、やり通すシリーズ第二弾。
いまだにペーパーバックって読み通したことないのよね。一冊もない。
なので、今再チャレンジ中。

$ニャンちゅうなブログ-ピカソ

フランス人が書いてるのでそんなに難しくないのだ。
ちなみに、自分が一番長時間英会話を習ったのはモロッコ人からだ笑 
すごい?

読み通すぞ!オー!

$ニャンちゅうなブログ-こんな感じ

4月21日の日記

もう日記じゃなく、覚書。

昼はSAKAE RUNWAYってやつに。
ファッションショーではなく、アイドリング目的でもなく。
これを貰いに。

$ニャンちゅうなブログ-LUCY

なんと5曲も入ってた。
桃の天然水は手に入らず。
ヒューヒューbyトモちゃん
飲みたかったなあ。
そう言えばたまに小室氏と深沼氏のイメージがカブる。鼻?

すごい風が強い日だったけど、晴れてよかったねえ。前は小雨だったからなあ。

で、せっかく名古屋でCD配ってたので布教活動。
メロディ響け! チャラリラ♪
ということで、ライブがうっぷせっとで。

4/29(月・祝) 池下CLUB UPSET
33lnsanity'sVertebra Presents *Primal Scream vol2*
OP/ST 17:30/18:00 adv¥2,000 dor\2,500 (D別)
<出演>
33lnsanity'sVertebra /nano sound museum
Lucy /deepNow /Qaijff
(P-CODE: 197-112) (L-CODE: 48211)

もう一回貼り付けとこう。


で、夜はZIONへ。
店長誕生日でウエルカムテキーラは店長奢りだそうで、あざす。
目当てのThe Midnight Lovers がラス前だったが、腰がもたず。ブリキオーケストラで限界。で帰った。7バンド。もうさすがに無理。引退を決意。