象の夢を見たことはない -103ページ目

あうとれーじ びよんど

むかしは、ヘヴィメタって色もんだと思ってたのだけど。

マシンガンズのファンの女の人に「えー、あれって色モンだよね?」

ていったら、

「違うっ!!」

と怒られ。(´・д・`) エー だってきみ、ANCHANGが好きなだけだよね。

と納得がいかなかったのだが。

打首を聞いてわかった。

これはパンクだと。ろっくんろぉぉーる!!だと。



。。。

やっぱ、いろもんかな。

あれだ、ヘアメタルとか、ヴィジュアル系とかをそっち系に見てしまう世代だからか。

そうでない世代っていう分水嶺が1970年代以降生まれなのかもしれない。

あるいは

1980年代までが色モンで(例えば聖飢魔II)

1990年代に入るとX JAPAN化するというか。

ううむ。

モーモールルギャバンとかは古い世代的には色モノなのだろうか?

ううーむ。

どーでもいいわ。

孫あるある

最近、打首獄門同好会がキている。

自分の中で。

ゴールデンウィークに帰ったとき、自分のオヤジの有り様を見て。

いやいや、あなた、それってどうなの?と

今さらながら姪っ子たちに対する態度に

自分と妹は顔を見合わせることがあり。

ぜんぜん俺達のときと違うじゃーんw

まさにこれだわと。



おそるべしまごパワー。

やはり、パンクというのは日常にあるんだわと。

政治家とか戦争とか平和とかさ謳われても、オレッちわかんねえしさあ。

納屋を焼く

冷泉彰彦氏ってこんな顔の人だったのか。JMM読んでて、もっと細面な神経質そうな人かと。ていうか本名前田文夫って。

新作『多崎つくる・・・』で村上春樹はどこへ向かおうとしているのか?

小指が1本多いっていうのが、やっぱり気になっていて。確か何処かで誰かの本で読んだのになあと。そのコは、その小指をうまく折りたたんでいてちょっと見た目にはわからない。そういう話だった筈。
ふと、夜中に『めくらやなぎと眠る女』が気になって、パラパラ。

めくらやなぎと眠る女/村上春樹

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『ねじまき鳥と火曜日の女たち』の中にあった。春樹さんだったっけ。そういえば、猫の名前がワタナベ・ノボルだったわと。猫を探して路地に迷い込む。そこでびっこをひく女の子に出会う。晴れた夏の日の午後。午睡の空気感がすごく好きな作品。

で止まらなくなり。『貧乏な叔母さんの話』を読む。
読み直してて気付いた。この人はこの時点で自分の手が汚れていたのを知っていたのだと。貧乏な叔母さんは何故「僕」から離れたのか?というか、ある瞬間に離れるわけだけど。なんてこったい、やっぱり、この人は昔から自分の喪失感の正体を知ってたのかと。これって確か、『中国行きのスロウボート』に入ってた筈。

ついでに、『象の消滅』もひっぱりだしてしまう。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991/村上 春樹

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『納屋を焼く』。
この納屋を焼くっていう話って、いつのまにか何かが失われるっていう、『レーダーホーゼン』とか『象の消滅』なんていう路線の話だと思ってたのだけど、まったく逆で。最初の「蜜柑むき」の話がミソだったのだと気付く。つまり、喪失の話のリバースになっているわけで。ポジとネガの関係というか。やれやれ、そんなことまで既に大昔に意識して作っていたとは。

この二冊の本。というか、春樹さんの本は長編ばかりがなにかと話題になるのでアレなのだけど、春樹さんのくせ者具合はやっぱり短編のほうに色濃く出てる。

村上春樹はどこへ向かおうとしているのか?っていうのが、冷泉さんの言う通り、多崎つくるの読み方としては正解なのだろうけれど、春樹さんが語る様には、意識された物語の中には、もう物語性はないと思う。とくに最近説教くさいし。そういう意図がある物語って大概つまらんくなる。

この二冊にあるような混沌が再び春樹さんの本に現れうるのか?その正体は、若さの中にしか存在しえないエネルギーの奔流なのか、それともテクニックだったのか。この後、春樹さんは、しばらくの間短編を書くのだと思うけど、そっちの内容を注視したいなあ。カオスってやっぱり素敵だ。


追記
『ねじまき鳥と火曜日の女たち』は『象の消滅』の中だった。
うーん、大丈夫か、おれ。

暗黙知の例

暗黙知の知は、「知識」ではなく「知ろうとする」ことで、暗黙のうちに物事の有り様を知ろうとすることの意味で。ある特定の事象にぶつかった場合に、包括的な全体を仮定してそこからその事象の意味を探ろうとすること。人間にそういう力が授けられていることを言う。

子供が大人たちが喋る言葉を聞いて、その意味を探ろうとする。言葉以前に、たとえば、大人が子供になにかを教えようと指さしをする。子供はその指した方を見る。もはやその時点で、何故子供が親が指し示した方を見ようとするのか?そういうことがなぜ出来るのかというのは、子供は暗黙のうちに何かを知ろうとするからであって。

それこそが、発見したり、思いついたりする力のもとになっている。
それを、暗黙知という名で呼ぶことを知らずに、
このブログで繰り返し繰り返し言っていたことを思い出した。

残酷な視線を獲得するために
http://ameblo.jp/aimis-u/entry-10354756260.html

ダリのパン籠 
http://ameblo.jp/aimis-u/entry-10701651065.html

村上龍も蓮實重彦も、この暗黙知と同じようなことを言っているんだわと改めて。
それはイメージの想起というものに繋がっている。
「イメージは生命力を持つが明確さを欠き、概念は明確であるが生命力を欠く」
暗黙知が想起するのは、このイメージである。

定番

映画のオープニングで、海上をカメラがすべっていく。
あるいは都市の上をカメラがすべっていく。
っていうのが多かった時期があったんだけど。

わかっていても引き込まれちゃうわけで。

ライブでも、バンドが登場する場面。
PAで流していた音がミュートされて、会場が暗転する。
そして…

っていうとこで、ARTEMAとフォゲミのPVがみょーに似てて。





この二つだとフォゲミのほうが大分昔なんだけど。

わかっててもさ、やっぱりアリだよなあと思う。
定番って悪くないよね。BY VAN
と思う。

定番っていうのは、よく「型」とか「形」だと思われてるんだけど、
それを最初に見たときに生じる心の動きなわけで。
感じたモン勝ちだと。

なんかフォゲミのこれはカセットテープの「マクセル」のCMっぽいんだよねえ。
なんでそう感じるのかよくわからないけれど。特に智恵ちゃんのギター。
ただギブソン・レスポールってだけでなくて。なんというか。
なぜか40代のファンがいるのは分かるというか…