象の夢を見たことはない -102ページ目

fresh♪fresh♪fresh♪

夏の扉、開ければいいじゃない?



じぇじぇじぇ!めんこい。

そういえば、松田聖子 - 小泉今日子 - 中山美穂っていう顔の流れって、

どこに行ったのだろう?

flesh♪flesh♪flesh♪

新人の頃、沼津で3ヶ月間の研修があった。山の中にある工場だ。
ちょうど今くらいの時期だった。
研修なのでだいたい定時で終わるわけで、土日にはやることもない。ヒマを持て余していた我々は土日になると沼津の街まで繰り出して行くわけだが、そんな大きい街でもないので遊ぶ場所も限られている。そんなときに、友達と『ヘル・レイザー』を観に行ったのだった。

監督・脚本・原作がクライヴ・バーカー。今では、もはや『死霊のはらわた』なんていうのと並ぶ、スプラッターホラーの古典になっているのだが、ある意味これらの映画は笑える。なんなんだろう?色モノホラーとでも言えばいいのだろうか。

ヘル・レイザーのテーマがこれまたすごい。
「快楽の源となる苦痛、拘束と恐怖の下での道徳性」って。
設定がドM性全開なのだ。2作目以降はちょっとあのキャラクターたちに乗っ取られて、そのあたりが曖昧になるのだが、もともとは、ルマルシャンの箱と呼ばれる謎の立方体がこの映画のテーマ。

フランクという遊び人がいた。世界中のあらゆる場所にいき、あらゆる快楽を経験した先で、極限の性官能を得られるという奇妙なパズル・ボックスを手に入れる。男はそれを家に持って帰り、パズル・ボックスを解くことに寝食を忘れ没頭する。

そしてある時ついに、パズルが解けたのだが…

この箱は、例えて言えば、凝ったルービックキューブといえばわかりやすいかもしれない。それを解いてしまったものは、地獄を見ることになるのだけれど、その地獄というのは苦痛と拘束と恐怖で出来ていて、それがある種の人にとっては快楽であるというのがミソなのだ。

まあ、そんなヘンタイで笑える映画なのだが、そのパズルが解けて現れた世界がフランシス・ベーコンのあの黒いキュービックの空間そのもので。フランシス・ベーコンってホモセクシュアルでしかもどMで、ベッドに縛りつけられて痛めつけられるプレイが好きだったと。ヘンタイ極まりないのだけれど、その世界観そっくりなのだ。

パズルを解いて出てくる魔道士なんて、もうベーコンの絵から採ったんじゃないのかとしか思えない。その魔道士のトップがあの教皇なんじゃないかとまで思える。愛と欲望の教皇だ。

$ニャンちゅうなブログ-ピンヘッド

口おばけとかマンマじゃねえかと。2作目以降にはその魔道士たちがパワーアップ。また新しいのが出てきたぞ。あらたに絵にそっくりなやつもいる!もう笑うしかなく。



まあ、そんな感じで下世話な楽しみ方も出来るので、フランシス・ベーコン展、美術なんてこれっぽっちの興味がなくても、ホラー好きの人は、他にもいろいろコレってあれなんじゃないか?ていうふうに楽しめます。うーん、無理があるか笑…

たぶん、この人、他にもホラー映画に影響を与えています。あるいはSF映画とか。リドリー・スコットなんてH・R・ギーガーにベーコン参考にしろ!って指示出してたり。それはボツになったらしいけど、エイリアンの造形自体すごく似てる。エヴァンゲリオンってさらにそのエイリアンのコピーだったりとか。少なくともクライブ・バーカーは絶対ベーコン信者だと思う笑 イギリス人だし。そういや、ヘル・レイザーってイギリス映画なんだね。ハリウッド製じゃないのだ。

$ニャンちゅうなブログ-教皇

$ニャンちゅうなブログ-教皇の前駆体

$ニャンちゅうなブログ-バケモノ

$ニャンちゅうなブログ-なんか

やっぱりイギリスってこういう色の感じだよなあと。これらは初期の作品なのだけど、彼がゴッホの絵を描いたりするようになって、フランスへ行くようになると途端に色が変わるから面白い。映画観てても、やっぱりその国の色使いっていうのがあって、その土地のなにかが色に影響する。空気の感じだとか。建物の色だとか。
海外で服を買って、日本でそれを着るとどうも合わないなんていう経験を昔よくしたのだけど(特にイギリスで買った服!)、ああいうのってやっぱりなんかあるんだなあと。

ロンドン行ったことがある人は、彼の色の使い方を見てると、ああ、こりゃロンドンっぽい色だなと。彼は最初、家具店の店員をしてたそうで、そういうのって身体に沁み込むんだと思う。だけども、あの色はほんとシックで素敵だ。後期の絵の色は、なんだかマティスを思い出す。ピンクとか黄色とか。みょーにフランスっぽいのである。ほんと不思議だ。

イギリスといえば、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』なんかも、ベーコンっぽい。


(音はでません)

たとえば、ベーコンの絵でいうとこんな感じ。

$ニャンちゅうなブログ-人の顔

こんなんとか

$ニャンちゅうなブログ-肉塊

こんなのとか。
しかしイギリスってなんでこう肉塊なんだろう苦笑キドニーパイとかさ。
そういえばフィリピンもエグいのよねえ。あそこもキリスト教のそっちサイドというか。

ベーコンの絵もそうだけど、ヘルレイザーにしても、ザ・ウォールにしても、どこか宗教っぽくて。なんであんな禍々しい肉塊が、頭の中で宗教と結びつくのかよくわからない。進撃の巨人もある意味そうで、あの作品に教会が出てくる感じとか、作品全体にある種の宗教的な趣きがあったりするのも同じで。人をむさぼり喰ってるのにだ。生々しければ生々しいほど。しかもなんか、様式美とも結びつくんだよねえ。ベーコンだと三幅対とか。いったいあれは何故なんだろう?

それについては、茂木健一郎氏が面白いことを言っていた。
どうも宗教体験というのは、直接的に脳に来るらしく。それと同時に解析的な脳領域も同時に働くとか。そういう全く相反する部分が働くことが、宗教体験の本質らしい。

興味のある方は以下からどうぞ。全体通して茂木氏の話が面白い。当該部分は29分くらいから。
フランシス・ベーコン展開催記念スペシャルトークイベント
(クリックでustream.tvへ飛びます)

茂木氏って書いてる本とかだとすごいインチキくさくて薄っぺらいんだけど、講演となるとすごい。脳のプロセッサーが現場で天才的に働く人なんだろう。ある意味、詐欺師属性の人というか。やっぱりこの人は生きて動いてる状態が断然いいわ。そういう人っている。

ベーコン展、豊田市美術館では、9月1日(日)までやっているので興味のある方は行って見たらいかがだろうか。夏の扉、開けてみたらいじゃない?フレッシュ・フレッシュ・フレッシュ!

以降のイベントをご参考として。というか自分の備忘録として。

6月22日(土)、23日(日) 14:30~16:30
 映画上映会 「愛の悪魔 フランシス・ベーコンの歪んだ肖像」
 ミニレクチャーつき

7月28日(日)14:00~
 舞踏公演&レクチャー 「偏愛的肉体論」
 作・振付 和栗由紀夫

8月3日(土)14:00~15:30
 講演 「ベーコンがいつもフレッシュで美味しい理由を考える」
 講師:保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員、本展企画者)

7月6日(土)、7月14日(日)、8月12日(月)15:00~16:00
 スライドレクチャー
 講師:鈴木俊晴(豊田市美術館学芸員、本展企画者)

フランシス・ベーコン展 @豊田市美術館

行って来た。

$ニャンちゅうなブログ-ベーコン展

6月8日(土)がオープニングで今日が2日目。
日曜日で天気も悪くない。
にもかかわらず、ガラガラだ。

東京の美術館とかだったらあり得ないんじゃなかろうか。
トヨタ市って美術熱ねぇぇ~。
あの入りでは、館内座っているおねえさんがたの時給も賄えないんじゃなかろうか。
というかあの方たちはバイトなのだろうか。
あの仕事は楽そうでいちばんしんどいパターン。

それはそうと、美術館は立派だった。キレイ。

豊田市美術館

なにが驚いたといって、所蔵品の質の良さ、選択眼というか。
すっきりして、スジが通ってる。
数は少なくても、良いモノだけをっていう感じ。

シーレ、ココシュカ、クリムトがずらっと並んでるのを見てすげえやと。
イケムラレイコとかもその横にあって。とにかくかっこいい。
なにげに、現代美術のいいとこどりをしていて。
地方都市の美術館のレベルじゃない。
ベーコン展をひっぱってくるくらいだからねえ。

で、ベーコンはやはりすごかった。天才肌の人が書く絵というか。
「走る犬のための習作」がかっこよくてしばらくずっと見てた。

$ニャンちゅうなブログ-走る犬

ベーコンについてはまたどこかで。
とりあえずおみやげ買った。
ニマニマしながら見てやろう。

$ニャンちゅうなブログ-おみや

この本英語の本なんだけど、図版含めすごくよくて一番売れてた。1890円。
自分の前に一人買ってて、ラスト1冊だった。
なぜかamazonだと2439円。為替が変わったからか。儲けたわ。

Francis Bacon: Phaidon Focus/Martin Hammer

¥2,439
Amazon.co.jp

めくらやなぎと空気さなぎ

村上春樹の短編『めくらやなぎと、眠る女』を再読。
その主題が『アフターダーク』と『1Q84』に続いていることに気付く。
自分が読んだのは、この本のバージョン。

めくらやなぎと眠る女/村上春樹

¥1,470
Amazon.co.jp

大幅に書きなおされているらしく。けれど題名に係る背骨なので当初からだと思う。
めくらやなぎと空気さなぎ。春樹さんの小説では、同じモチーフが同じような韻を踏んだ名前で形を変えて繰り返し出てくるのだが、まさか1980年代に既にこういう形で出て来ていたとは。なんだか、それも含めて、シュールレアリスティックな絵を見てるような気がする。

そういえば、春樹さんの作品って本当にシュールレアリズム的なのかもしれない。
日本では超現実主義と訳されているけど、なんだかあいまいな言葉だ。仏語のsurというのは、上にっていう意味だから、たしかに訳としては合っているのだろうけどさっぱりわからない。

シュールレアリズムは、その運動のリーダーであったアンドレ・ブルトン的には「瞬間の痙攣的な美」を表現しようとしていたのだけど、それは、偶然と必然の出会い頭の邂逅であって、情況依存の色合いが濃く。時間芸術ではない絵画ではその表現が難しかった。

で、結局邂逅の理由が主題となってくる。第六感的なものというか。その当時流行り出したフロイトの学説などの影響を受け、無意識だったり、予知夢だったり、夢そのものだったり、あるいは霊的な解釈も含んで展開していくことになる。
しかし、それを絵画表現しようとすると、その瞬間の事物や人の関係性を表すしかなく。なので、ダリにしろルネ・マグリットにしろ、関係性を暗示することでしか表現できなかった。

そういう流れの中で、メタファーというのが重要な主題となってくる。とはいえ、それはあまりに個人的な体験の表現だったりするわけで。ダリの場合は特にそう。アリだとかパンだとか松葉杖だとか燃えるキリンだとか。
それを見る者は、彼らの中に存在した筈の関係性を自分で探さなくちゃいけない。そこで、何かを見つけたときにハタと膝を打つ。そうか、そういうことかと。見る側のほうにその再発見が大きく委ねられている。

問いとして与えられているのは、表現者のメタファーなので、村上春樹イエローページのように共通解を見定めようとするテキスト的な読み方が可能になる。けど、それじゃ面白くないでしょ?ってことで。

打ち捨てられた手袋。とか、蝉の抜け殻。とか。そこから各人が、その本体である手や蝉を探す旅に出る。それが春樹さんの本の愉しみ方なんだと思う。結局、それらは受け手の問題に還元される。たとえ、それがダリの作品のようにエゴ丸出しの自分本位のものであっても。

春樹さんの長編は、いろんなところで過去の短編や長編と部分的につながっているので、今読み返すと新たな発見ばかりだ。長編が出るたびに、過去作品を読み直すのはちょっと無理だけど、ある程度長編の流れが見えると、過去の短編作品がかなり面白く読み返せる。だから、短編集は、一冊で何度でもおいしかったりする。ある意味、ただの謎ときなのかもしれない。ただ、それでもいくらかはその人の経験に還元されるんだと思う。それは、その人がいかにその作品にコミットしたかに依存する。そんなことは何にでも言えるか。。

少し話を変えよう。

前に、春樹さんと河合隼雄さんの対話から、春樹さんが持つ自己(セルフ)に対するイメージの話を引っぱり出して書いたのだけど。

<村上春樹の考える自己(セルフ)>
春樹:外界からセルフを押すんですね。外界からの圧力。それに対してエゴが押し返すというふうに捉えていくと、日本の戦後文学は以外にわかりやすく読める側面があったわけです。この力のいなしかたで、それぞれのスタイルができてくる気がしたんです。…。そういうふうに読んでいくと、やっぱり夏目漱石の時代とは変わってきてるんだなと実感できた。でも現在そこからまた更に、小説は大きく変わってきている。…
簡単に言うと、葛藤をフリクションとして捉えるのでなく、セルフという自我を含んだもうひとつ大きいエリアを自分の中に設定することで小説を書こうとしているんじゃないかと。

$ニャンちゅうなブログ-春樹のセルフ

河合:このセルフの中には[it]をうまく込めてあるというふうに考えたらいいんじゃないでしょうか。エゴの周りにこれをこめてね。それがやっぱり自分と考えて、うまくやっているというふうな考え方をしてもいいし。
春樹:一種のトワイライトゾーンとして設定してるわけですね。
(『こころの声を聴く―河合隼雄対話集』河合隼雄 新潮文庫)

これって、日本の現在の文学について語っているようで、実は春樹さん自身のことなんじゃないかと思う。春樹さんの文章を読んでて、なんだか掴みどころがないフワフワしてる感じがするのは、彼のまわりに張り巡らされた空気感のせいのような気もしていて。まどろっこしい会話も、よくわからない比喩も、彼が現実を便宜的にやりすごそうとする膜であって、彼の葛藤の実際のところは膜の中、トワイライトゾーンにあって見えない。そのせいで、読者はうまく距離感がつかめない。彼の立ち位置がわからない。自分のいる位置を明確にしていない。三人称で書かれている文章が多いのもそういう理由かも知れない。なにものにもコミットしてない。だから読んでて浮遊してる感じがするというか。

同じ村上でも、村上龍とはまったく逆で。だから対比が面白いのだけど。

めくらやなぎの中で眠る女も空気さなぎもなんだか、彼そのもののような気もする。現実との間に膜を作って、トワイライトゾーンの中に潜んでいる。結局、その人の描くものはその人自身の投射だ。
そのトワイライトゾーンは、彼自身の中にあるのだけど、彼が認識する「外側の世界」でもある。だから、ときどきそれが内側なのか外側なのかわからなくなる。だからトワイライトゾーンなわけだけど。あの映画みたいに、そこではなんでも起こり得るというか。

age out (米俗)

なんかさ、野郎どものバンドをライブハウスで見てるんだけど、

たかだか、ようつべのこの映像を

たかだか映像だよ?

現場ですら越えてくるヤツラがいないって

どういうことなのさ?

と思う。キャリアとかさ、マジ関係なくて。

ライブハウスで5000円とかチケ代取るバブリーなロートルバンドとか

なにさまだよ!と思われてもしょうがないよね。



izumiちゃんが、ちびまる子ちゃんぽくって良い。

やっぱ、この年齢の女のコって最強なんかもしれん。

集中力と持続力と直感。

てかエロすぎ。激ヤバだわ笑