ずっと訪問したかった場所(石田会館) | 悠悠閑閑な日々のブログ!

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普段ほとんど雪が降らない地域に住んでいるので、こういった積雪の景色を見ると感動しますねえ。
 
 
 
前回、に続き長浜エリアの観光です。
 
ランチの後に訪れたのはココです。
石田治部少輔、つまり石田三成出生地です。
 
 
 

ここは三成が生まれた屋敷跡で、後ろの建物は石田会館です。


石田三成資料室には、石田三成像や三成の生涯を描いた絵巻パネル等を展示しているのですが、開館時間が合わず入れませんでした。

 
 
 
う~ん、こんなお顔じゃなかったような・・・
いや、直接お会いした事はないのですが(笑)
 
 
 
石田会館の敷地が駐車場になっているので、車を停めて近くの供養塔へ来ました。
 
 
 

 

関ケ原の戦い後、石田屋敷やお墓まで徳川方に破壊されました。


村人たちが五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を拾い集めて、八幡神社の境内の端にひっそりと埋めて祭ったのが石田神社です。

 

三成は徳川の世では悪者とされているわけですが、善政を敷き地元の人々から尊敬されていた事がよく分かる話ですね。

 
 
 
三成の辞世の句
筑摩江(ちくまえ)や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり
 
大意
筑摩江(琵琶湖東北端)の夜の漁で灯る篝火も日が昇れば消される、その篝火と同じ運命の我が身だなあ。

悲しい・・・
 
 
 
現地にやって来て分かった事は、東側には織田が浅井から奪取し秀吉を城番とした横山城跡があります。

もし織田の侵攻が数年遅かったら、三成は浅井の家臣として(秀吉と?)戦っていたのでしょうねえ。
 
 
 
さて、石田会館から車で数分東に走った所にあるのは・・・
 
 
 
観音寺です。
 
 
 
ココを上って行くと本堂です。
 
 
 
本堂、鐘楼、惣門が重要文化財に指定されていますが、秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた三成と出会った事で有名な寺です(三成の三献茶の地)
 
 
 
 
有名な寺なんですが、我々以外誰もいないので貸切状態です。
 
 
 
三献茶に使用された井戸もあります。
 
 
 
観音寺の後は姉川古戦場跡と国友鉄砲ミュージアムに行こうと考えていたのですが、予定の時間が過ぎていて・・・
う~ん、残念ながらこれらは次回(いつだ?)にして、さあ帰宅だ!
 
ところで、雪なし県から来た私は高速のチェーン規制の表示を見て焦りました。

タイヤチェーンなんて持ってないし、あっても取り付け出来ない太いタイヤなので。
 
 
 
幸いな事にチェーン規制はなかったので無事走れましたが、南側じゃなく北側に向かって走っている私がいました。
 
続く・・・
 
 
 
おまけ画像
 

私のリュックに付けているストラップ。

当世具足鎧袖(がいしゅう)をモチーフにしたもので、お気に入りの旗印入りです。

 

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世界に一つだけのオリジナルパーカーです。
 
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パーカーと同じ紋のタオルです。
 
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どちらも、もったいなくて使っていませんが(笑)