家族経営の農業経営者に不利な法改正です。いわゆるブランド農作物であるいちごのあまおうなどについて、
出来た農作物から種を取ったり継木していた事が許諾制となり、新たに種や苗を購入して農産物を作らないといけないのです。
種や苗経費が新たに必要になり、何百、何千万になった場合、経営を圧迫し、農家を辞めざるを得ない経営者がたくさん出る事が予想され、日本の少ない農家がさらにいなくなる事で日本の食糧時給率が下がりますから、国民の健康と命に多大な悪影響が予想されます。
この法律は外国に日本の優良農産物の無断使用を禁止する法律という名目で改正されますが、外国に対しての牽制をするその前に日本の農家を廃業に追いやる可能性が大きい悪改正になると見られます。
わたしもわからないのでYahoo知恵袋で種苗法について質問したところ、ようやく悪改正であるとわかりました。一部の農家のつちかってきた大事な技術を捨てさせてしまう法改正だったのです。
種苗法改正の実際ですが、
●米、馬鈴薯、甘薯、ネギについてブランド品種である登録品種の自家採取が許諾制になる。
●温州みかん、りんご、ぶどう、いちごについてブランド品種である登録品種の継ぎ木による増殖が許諾制になる。
との事です。許諾制という事は文字面からは計れませんが、禁止に限りなく近い印象です。
日本農業共同組合の具体的分類表はこちら
この具体的な2文を読んでもわかりませんね。農業の実際を知らない人は意味がわかりません。
それもそのはず、農家の人に聞いた所、今の農家では種の遺伝子情報を一回にかぎり優良な品種にするというF1品種が一般的になっています。家庭菜園用のホームセンターで購入する種や苗もF1です。購入した年以降の農産物の出来はバラバラです。一回しか優良作物はできません。
スーパーの大根がどれもこれも同じぐらいに太く丸々太ってるのはそれがF1として遺伝子情報を優良になるようにタネが欠け合わさっています。
つまり、一般的な農家は今、種と苗を作る企業から種と苗を購入しています。
しかし登録品種を育てる農家はF1を育てる必要がありませんでした。それはブランドである自分の育てる農産物の存続が農作物の命だからです。
親株を伝染病にさせず、種ができるまで健全に育てる事、これは言葉で書くよりも細かな努力と忍耐が必要の工程のようです。
つまり登録品種を作っている農家さんは今までやってきた手順を踏み、例えば馬鈴薯の種芋を健全に育て、手元に用意できる技術があっても、種苗法改正後は種芋を利用できず、新たに種芋を購入しないといけません。
いちごのあまおうも同じく、種、苗からの農作ができる技術がいらなくなります。
それは、種苗を病気にさせずに育てる高い技術をわざわざどぶに捨てるような事です。何故、手元にある種苗を継承していく技術を捨てなければいけないのか。何故、種苗の使用技術、高い技術の自粛しなければいけないのか疑問です。
そういった技術を捨てる事を法改正で決めることは、農業の大きな支障になります。ただでさえ人手不足なのに、その古い技術でやっとやっている農家を守るべきだと思います。法改正は見直すべきです。
また、種苗を育てる日本の高い技術と同じく、新たなブランドを作りたい零細企業の人には圧倒的に不利でもありそうです。農作業のかたわらで開発する事が出来ません。研究室のあるような、完全なブランドを作る体力のある大企業に、その道を譲る事になります。登録品種を作る事は認められていますが、種苗を作る土壌がなくなります。
まるで日本の農作物がとても美味しいから、その根幹を壊してしまえ法改正に見えてきました。
続く
※自分なりに種苗法改正についてまとめましたが、もし事実と違う事がありましたらご指摘ください。
磁北は8度ぐらい左に傾いているから、家の中心と中心から見たそれぞれ東西南北を左に8度傾けてから、分ける。
その東西南北のそれぞれの中心を通る正中線に、
東なら情報のイメージの雑誌や情報にまつわるものを、西なら叶ってほしい物の写真を、南なら植物などの鉢植えを、北ならお酒などを置いたりしたと思う。
方位に対しての効果は必ずあると思ったから、この際だから、お願いしちゃっおうと思った。
家の中心の方に向けてその写真や、お守りを置いて行った。つまり中心に正面がくるように内側に向けて貼っていた。
お守りとは、その時の願い事である写真や、一陽来福というお守りで、お守りは家のある方角に張り付けると金運が付くというものだった。そのお守りは効果があったと思うので、また買ってみたいと思う。
しかし現在磁北と地図上の垂直線を北とする真北説についてどちらにするかは気学の宗派に分かれていると言うが、しかし磁北がだんだんずれて真北に近づいているという説もまたあり、どちらなのかがわからない。
さておき、お守りを飾るというのは、儀式的な意味合いがあって、それを行うことで無意識にそうであってほしいと全体的に自分に向けてお願いをすることなのかもしれないと少し思った。







