「庭のイチハツがきれいよ」と母が言うので、
実家に行ったついでに切花をもらってきました。
部屋に久しぶりに生花を飾ったら、
「ああ、花って綺麗だね」
と心からの感想が漏れ出ました。
どうして自然にこんなに美しい青紫が生まれるのか。
瑞々しく、シャキンと立つのか。
葉っぱの緑色ときれいなコントラストなのか。
感動しかない。感受性よ、おかえり。
じつは、ここ1ヶ月くらい、感受性をどこかに落としてきていました。
どういうことかと言うと、
ここしばらく、おかしなことが続いて起きました。
気づかない位のほんとに小さなズレです。
致命的ではない、「あれ?」と言う位の。
・いつもすぐに返信がある方から返事がこない
・セミオーダーしていた服が、頼んだと思っていたのと違う柄で出来上がってきた。
(お店に非はありません。ほんとに理由がわかりませんでした)
・前歯が欠けた。(歯医者さんは翌週までいっぱいで、しばらく欠けたまま)
現実が頭の中とズレている感覚です。
「こうなるだろう」と予測していることと、違う結果。
「現実がズレているな」と思いました。
そのことに気づいた日、極め付けの事象がありました。
・プリンターの印刷の色がズレて印刷される。
インクトナーを新しくしてもズレたまま。原因わからず。
もう、サインが直接的すぎます。
さらに、このままいくとズレが大きくなる予感がありました。
でもなんで?
そんなとき、妹のあやちゃんと話していたら
あやちゃんが
「いい気分でいることって意外と忘れるよね」と
話していて、ハッとしました。
「いい気分でいること」を忘れていた。
思い当たることがありました。
3月くらいから、ちょっと怖目のドラマやアニメを観てました。
怖いのが苦手なので、いつもは見ないのに
なぜか。
ドロヘドロ、今際の国のアリス、ベイビーワルキューレ、
ストレンジャーシングス、、
人がたくさん亡くなる系です。
(怖いけれど、どれも感心するくらい面白い作品でした。
特に今際の国のアリスは深かった。)
怖いシーンは飛ばしてみていたのですが(そこまでして見る)
急にくるシーンはどうしても目に入ります。
自分で思ったのは、
スプラッターがほんとに無理なので、
恐怖や痛みや不安を感じないように
無意識に感覚を閉じたのではないか、と思いました。
TEDトークでアメリカのブレネー・ブラウン教授の
「傷つく勇気」(The Power of Vulnerability)という動画
の中での、こんな一節を思い出したのです。
「人間は選択的に感情を麻痺させることができない。
心の脆さを麻痺させるとき、
私たちは喜びや感謝や幸せも麻痺させている」
私は「怖い、悲しい、苦しい」などの感情を
感じないようにしたことで、
ポジティブなものも感じられなくなっていたのでは
ないかと思いました。
感受性をどこかに落としてしまいました。
そのことに気づいてから、
怖い作品を見るのを一切やめました。
そして目の前のことを味わって、
美味しいね、嬉しいね、ありがたいね、
綺麗だね、と感じるようにしました。
そうすると生活の中でのズレがなくなってきました。
返事を待ってきた方々からはポンポンと返事が届き、
前歯も無事に歯医者さんで直してもらい、(なぜか無料でした)
違う生地で上がってきた服も、
着るのが楽しみになってきています。
極め付けは、プリンターの修理を依頼しようとした日の朝、
何もしていないのに、プリンターのズレが直ってました。
これは本当にびっくりしました。
サインが直接的すぎるww
これは怖い話を見ないほうがいいと言う話ではなく、
自分の本音との一致感が、現実の生活の中に現れていることを
私が実感したと言うエピソードです。
私は本音では怖いものは苦手なのに、
自分にそれを見せました。
だけど、身体の感覚的には、やはり無理で
無意識に感覚をとじてました。
麻痺させたというか、知らんふりをしたというか。
その結果気分を良くするものからも目を背けていた。
自分の本音は気分よく在りたいので、
感覚が薄くなると、
羅針盤をなくした船のように、
自分の本音と少しずつずれ始めたのでした。
私がズレていたから、私が作る現実もずれました。
すべて自分起点で捉えると、
現実はコントロールできないけど、
自分の内側はコントロールできるので
希望がある、と感じた話でした。
「感じる力」の大切さ。
それは、意識の力でもあるし、身体の神経の力でもあります。
食べ物は身体を作る。
目や頭から入るものは意識を作る。
ということを学んだ体験でした。






















































