おはようございます

あいこ@パーソナルヘルス解析士®です。

 

昨日のお話☆

 

さて楽器も決まり、いよいよトランペットの練習が始まりました。

トランペットパートの先輩は3人。

3年生が2人と、2年生が1人でした。

 

そのうち3年生の1人は、部全体でもたった2人しかいない男子のうちの1人。

しかも生徒会役員もされている、とても頼れる優しい先輩でした。

 

落ち着いた雰囲気で、話し方も穏やかで、まさに「できる先輩」という印象。

ただ、生徒会の活動が忙しかったこともあって、最初の頃はなかなか部活に来られない日も多く、

「あれ?今日は先輩来てないな」

と少しさみしく思いながら練習していた記憶があります。

それでも、たまに来てくださった時には優しく声をかけてくださって、

「大丈夫?音出てる?」

なんて気にしてくださる、とてもあたたかい先輩でした。

 

もう1人の3年生の先輩は、看護師さんになりたいという夢を持っていた女性の先輩。

この先輩も本当に優しくて、穏やかで、話しやすくて。

部活の時間だけでなく、普段の学校生活でも安心できる存在でした。

先輩が引退されたあとも手紙のやり取りをしていたくらいで、私にとってはとても特別な先輩の1人です。

海外の俳優さんが好きで、いろいろ教えてくださったのもこの先輩でした。

「この人かっこいいよ〜」と雑誌を見せてくださったり、

「スクリーン(だったかな?)」という映画雑誌の存在を教えてくださったりして、

当時の私は「そんな世界があるんだ…!」

と少し背伸びした気持ちで読んでいた記憶があります📖✨

 

そして2年生の先輩は女性で、この3年生の先輩2人とは小学校からずっと一緒だったそうで、

とても仲が良く、3人の間には自然な安心感のような空気が流れていました。

3人で笑い合っている様子を見ていると、

「ああ、長い付き合いなんだなぁ」

と感じるような、あたたかくて居心地の良さそうな雰囲気でした。

 

そんな先輩たちの中に、新入部員として入ったのが私ともう1人。

第一希望が同じくトランペットだった、私たちの学年で唯一の男子、O君です。

こうしてトランペットパートは

3年生2人

2年生1人

1年生2人(私とO君)

の合計5人でのスタートとなりました。

(実はもう1人女の子もいたのですが、残念ながらすぐにやめてしまいました)

 

さて、いよいよ楽器の練習が始まります。

…が。

まず最初の壁。

音が出ない(笑)

最初は楽器ではなく、マウスピースだけを使って音を出す練習から始まりました。

 

先輩が

「こうやって唇を震わせるんだよ」

と優しく教えてくださるのですが、

ぷす〜

ふす〜

空気の音しかしない。

 

頭では分かっているつもりなのに、唇が思うように動いてくれない。

何度やっても

ぷす〜

ふす〜

でした(笑)

 

周りでは少しずつ音が鳴り始めているのに、自分だけ鳴らないと、

「え、大丈夫かな私…」

とだんだん焦りが出てきます。

そんな中、一緒に入ったO君は第一希望がトランペットだっただけあって、

もともと知識も少しあったようで、

わりと早い段階で

ぶー

と音が出ていました。

「えっ、もう出てる!」

とびっくりしたのを覚えています。

 

嬉しい反面、

ちょっと焦る(笑)

でも悔しいというよりは、

「私も早く出せるようになりたい!」

という気持ちの方が強かった気がします。

それからは必死でした。

 

放課後の練習だけでなく、帰り道でも。

O君とは家がわりと近かったこともあって、一緒に帰ることが多かったのですが、

歩きながら  ぶーーー(バズィング)

また歩きながら  ぶーーー

と、唇を震わせる練習をしながら帰ったりしていました。

 

今思うとちょっと不思議な光景ですが(笑)当時の私たちにとってはそれが当たり前で、

「早く音が出るようになりたい」

その一心だった気がします。

そんなふうに、少しずつ少しずつ、

トランペットとの時間が始まっていきました🎺✨

 

明日に続きます☆

 

おはようございます☀️

あいこ@パーソナルヘルス解析士®です。

 

昨日のお話☆

 

 

さて昨日は吹奏楽部に入部した経緯をお伝えしました。

今日はその続き。楽器決めのお話です。

 

私はそれまでピアノを習っていたので、楽譜を読むこと自体にはそこまで抵抗はありませんでした。

 

ただし——

吹奏楽についてはほぼ知識ゼロ。

どれが向いているのかなんてまったく分からない状態でした。

 

そんな中での楽器希望。

理由はとてもシンプルで

かっこいいからSAX希望(笑)

音も好きだったし、見た目もなんとなく大人っぽくておしゃれで。

 

ところがサックスは人気楽器。

定員はたったの2人でした。

しかもそのうち1人はすでに決まっていました。

 

というのも、

その年の3月に卒業した先輩の妹さんが入部していて、楽器を持っていたので即決定。

つまり実質、残り1枠。そこに希望者4人。

どうやって決めるのかと思ったら——

まさかのじゃんけん(笑)

 

適性とか唇の形とか歯並びとか、

音の出しやすさとかを見る学校もあるそうですが、うちの学校はとてもシンプルでした。

 

じゃんけん一発勝負。

そして私はあっさり負けました(笑)

 

あの瞬間の「あ、終わった」

という気持ちは今でも覚えています。

さてどうしよう。となったわけですが、

ここで少し学校の事情があります。

 

昨日も書いた通り、

私の通っていた中学校は3つの小学校から生徒が集まっていました。

そのうち人数が一番少なかった小学校には、なんと吹奏楽部があったんです。

 

つまり——

経験者がいた。経験者はやっぱり強い。

当然ながら優先的に楽器が決まっていきます。

 

クラリネット・フルート・トロンボーン

 

人気どころはどんどん埋まっていって、

残っていたのは大きい楽器か、ちょっと難しそうな打楽器。

しかも私は当時、ひょろひょろで

がりがりで体力もあまりないタイプ。

 

チューバやユーフォ、トロンボーンを見ると

「絶対ムリそう…」という印象しかありませんでした。

 

そんな中、1枠だけ空いていた楽器がありました。

それが——

トランペット🎺

しかもその当時、ちょうど好きだった推しがやっていた楽器。

もうこれは「運命かもしれない」くらいの気持ちですぐ立候補しました(笑)

そしてそのまま滑り込みで決定。

こうして私はトランペット担当になりました。

 

正直なところ最初は

細いし、肺活量もあるわけじゃないし

腕力もないし本当にできるかな?と思っていました。

でも「とりあえず決まった」

という安心感のほうが大きかったのを覚えています。

ちなみに今でも「トランペットやってたよ」

と言うと、かなりの確率で

えーーーーーーっ!?と言われます(笑)

 

どうやら私のイメージは

フルートとかクラリネットとか

そっち系らしいです。

でも個人的には実はトランペットより

フルートのほうが大変だと思っています(笑)

息のコントロールも繊細だし音を出すのも大変だし。

 

そんな私は、現在も幽霊部員ではありますが、

社会人の吹奏楽団体に所属しています。

 

人生って不思議ですね。

あのときじゃんけんに勝っていたら、

もしかしたらサックス人生だったかもしれませんし

こんなに続けてなかったかもしれません。

そう思うとトランペットとの出会いも

ご縁だったのかもと思います。

 

明日に続きます☆ 

 

 

おはようございます

あいこ@パーソナルヘルス解析士®です。

 

昨日のお話☆

 

 さて今日から中学校に移ります。

 

行くことになった中学校は、3校の小学校から生徒が集まる、

当時の私にとってはとても大きく感じる学校でした。

1学年が7クラス(ひとつ上の学年だけ8クラス)。

1クラスがだいたい40人くらいだったので、学年全体では300人弱。

 

それまでの小学校は、学年の顔ぶれはだいたい分かっているのが

当たり前だったので、「知らない人の方が多い」という状況はちょっとした衝撃でした。

廊下を歩いていても、同じ学年なのに誰だろう?と思う人ばかり。

中学校ってこんなに人数が多いんだ、と少し圧倒されたのを覚えています。

 

しかも通学距離もぐっと伸びました。

 

家から小学校を通り過ぎて、さらにその倍近くの距離。

ちょうど自転車通学にはならないギリギリの距離で、

毎日30分くらいかけて歩いて登校していました。

 

だんだん友達と合流しておしゃべりしながら歩いたり、

逆に一人でぼーっと考え事をしながら歩いたり。

今思えば、その30分は自分の頭の中を整理する時間でもあった気がします。

 

うちは母が免許を持っていなかったので(正確にはペーパードライバーで、

引っ越しのごたごたの中で更新を忘れてしまったらしいのですが)、

送り迎えという選択肢はありませんでした。

 

なので、雨の日も、風の日も、雷の日も、とにかく毎日てくてく歩いて通学。

 

しかも学校の手前にはちょっとした坂があって、これがまた地味にきつい(笑)

 

夏は汗をかきながら登り、冬は冷たい風に向かって歩きながら登り、

今思うと、この毎日の積み重ねで体力はかなりついたと思います。

  

そしてクラスは1年4組。

 

担任は体育の男の先生でした。

ちょうど赴任してきたばかりだったようで、

どこか少しぎこちなくて、先生自身も学校や生徒の様子を

探りながら関わっているような印象がありました。

 

生徒の方も新しい先生に少し様子を見ながら接している感じで、

クラス全体がまだ固まりきっていないような、そんな空気だった気がします。

 

3校から集まったと書きましたが、生徒の割合はだいたい4:4:2くらい。

 

なので、同じ小学校から来た子も思っていたより多くて、

完全にゼロからのスタートという感じではありませんでした。

知っている顔を見つけるとちょっと安心したりして、

中学校生活の最初のハードルはそこまで高くなかったように思います。

 

そして、中学校といえばやっぱり部活動。

 

転校先から戻ってきたあと、

妹が小学校のスポーツ少年団に入ったのですが、

実はその競技は私も「引っ越しがなかったら入りたかったな」と思っていたものでした。

 

バレーボールです。

 

なので中学校では、まずはバレー部を見に行ってみようかなと思っていました。

 

ただ、そんなタイミングで、私がピアノを習っていることを知っていた友達から

「吹奏楽部行こうよ!」と声をかけられて。

 

私自身も、なんとなくバレーか吹奏楽かどっちかかなぁと思っていたので、

じゃあ声をかけてくれたし、とりあえず吹奏楽部から見に行ってみようかな

くらいの軽い気持ちで見学に行きました。

 

少し迷いはありましたが、なんか楽しそうだったのと

先輩方の熱烈な歓迎により、気がついたらそのまま入部する流れになっていました(笑)

 

結局、バレー部の見学には一度も行かないまま。

しかもバレー部はスポーツ少年団で経験のある子たちが

そのまま入部している感じだったので、

今から入っても追いつける気がしないなぁ。。。

という気持ちがどこかにあったのも事実です。

 

でも今思うと、このときの「なんとなく」の選択が、

その後の自分の人間関係や経験、そして人生の流れに大きく影響していくことになります。

 

その話はまたおいおい。

 

明日に続きます☆

 

 

 

おはようございます☀️

あいこ@パーソナルヘルス解析士®です。

 

昨日のお話☆

 

今日はもう一つ余談です。

 

学校ではもちろんクラスのお友達と

おしゃべりしたり、休み時間に遊んだりしていたんですが、

学校が終わって家に帰ってからの時間は、

ほとんどと言っていいくらい、

近所に住んでいたMちゃんと一緒に過ごしていました。

 

Mちゃんは私の一つ下。

学年でいうと一個下だったのだけど、

なぜか私は同級生よりも、

Mちゃんと過ごす時間のほうが圧倒的に多かったです。

 

まず単純に家がすぐ近くだったこと。

それから幼稚園も同じで、

物心ついた頃からなんとなく一緒にいるのが当たり前、

そんな関係だったことも大きかったのかなと思います。

 

学校から帰ると、

「今日どうする?」なんて約束しなくても、

気づいたら一緒に遊んでいる、

そんな毎日でした。

 

外で遊ぶときは、とにかく全力で。

近所の空き地や道路で走り回る。

 

私が一時期どハマりしていた一輪車も、

最初はふらふらしながらだったのに、

気づけば二人で「どっちが長く乗れるか」なんて競争したりして。

 

あの頃の、あの無邪気なエネルギーって、

今思うと本当にすごいなと思います。

 

そしてもうひとつ大きかったのが、

Mちゃんの家にファミコンがあったこと。

 

うちにはなかったので、

Mちゃんの家に遊びに行くと、

それだけでちょっと特別な時間でした。

 

なかなかクリアできないステージで

「次やっていい?」「もう一回だけ!」なんて言い合ったり。

 

ゲームの内容以上に、

一緒にいるその時間そのものが楽しくて、

気づけばあっという間に夕方になっていて、

「そろそろ帰りなさい」と言われるまで居座っていた気がします(笑)

 

 

学校とはまた違う、

もっと素の自分でいられる時間。

たぶん私にとってMちゃんは、

ただの近所の子とか友達というよりも、

どこか“安心できる存在”だったんだと思います。

 

だからこそ、

一緒にいるのが当たり前すぎて、

特別だと気づくこともなかったんですよね。

 

私が中学生になって、

部活にのめり込むようになってからは、

自然と一緒に遊ぶ時間は減っていきました。

 

さらにMちゃんがお引っ越ししてしまったこともあって、

気づけば会うこともなくなり、

そのまま距離ができてしまった感じです。

 

でも今振り返ると、

実の妹とはまた違う、

でもそれ以上に近い感覚で、

 

本当に“妹みたいな存在”だったなと思います。

 

社会人になって就職したあと、

たまたまMちゃんのお母さんが

職場に来られたことがあって、

 

そのときに

「Mちゃん、結婚して元気にやってるよ」と聞いたときは、

なんだかすごくほっとしたのを覚えています。

 

ただ、それももうずいぶん前の話。

 

今どこで、どんなふうに過ごしているのかは分からないけれど、

あの頃と同じように、

どこかで笑って元気に過ごしてくれていたらいいなぁと、

ふと思い出して、懐かしい気持ちになりました。

 

明日に続きます☆


おはようございます

あいこ@パーソナルヘルス解析士®です。

 

昨日のお話☆

 

 

さて今日はちょっと余談です。

 

小学校4年生のとき、私の中ではひとつのターニングポイントがあったなと感じています。

その頃、通知表の先生からの所見欄の内容が、ある時を境に180度ガラッと変わっていたんです。

 

ただ、不思議なことに「何がきっかけだったのか」が本当に思い出せなくて。

出来事としては何かしらあったはずなのに、その核心の部分だけがぽっかり抜け落ちているような、そんな感覚があります。

 

うっすら覚えているのは、その時期に

「会話ってどうやってするんだっけ???」

と本気で悩んでいたこと。

 

それまで普通にできていたはずのことが、急に分からなくなったような感覚で、人と話すことに対してすごく緊張したり、怖さを感じたりしていた気がします。

 

そのストレスからか、気づいたら10円ハゲができていて、「そんなに自分はダメージを受けていたんだ」と後から気づいた、というような状態でした。

 

今振り返ると、子どもなりにかなり強いストレスやショックを感じていた時期だったんだろうなと思います。

 

 

 

ちょっと話は変わるんですが、

私はもともとスピリチュアルとか、目に見えない世界が好きなタイプで、これまでいろんなことを学んだり、セッションを受けたりしてきました。

 

占いやエネルギーワーク、ヒーリングなど、その時その時で「気になる」と思ったものには割と素直に触れてきた感じです。

 

その中で、少しマニアックかもしれないんですが、

「タイムウェーバー」のセッションを受けたことがあります。

 

さらにその中でも「トラウマタイムライン」というものを体験したことがあって、これがなかなか興味深かったんです。

 

簡単に言うと、

「過去のトラウマになった出来事が起きた可能性のある日付」を割り出してくれて、そのポイントに対してヒーリング(調整)をかけていく、というような内容でした。

 

そこで出てきた日付を見て、かなり驚いたんです。

 

というのも、

ちょうどその「3年生の終わり頃〜4年生の初め頃」にあたる時期の日付が、ピンポイントで2日も出てきていたからです。

 

まさに、私の記憶が曖昧になっているあのタイミング。

 

ちなみに、そのほかにも2〜3日ほど日付が出てきていたんですが、そちらに関しては年もバラバラで、

 

「あ〜これ、確かにこんなことあったな」

と自分でも思い出せる出来事に対応していたんです。

 

その体験があったことで、

「全部が全部正しいとは言い切れないけど、少なくとも自分の中の記憶や感覚とリンクしている部分はあるな」

と感じて、私の中ではそれなりに信ぴょう性が高いものとして残っています。

 

 

自分にとって都合が悪いから思い出せないのか、

それとも当時あまりにもショックが大きすぎて、記憶としてあえてぼやけさせているのか。

 

今となっては、そのどちらなのかも正直よく分かりません。

 

でも、少なくとも

「何かがあったであろうこと」だけは、いろんな角度から見ても間違いなさそうだなと感じています。

 

そして同時に、こういう形で過去にアプローチする技術や考え方があることにも、純粋に驚きました。

 

こうやって別の角度から浮かび上がってくるのも、なんだか不思議で面白いですよね。

 

 

 

ということで、今日はちょっとした余談でした。

 

明日に続きます☆