知っているようで知らないのが自分の国のこと、日本文化や伝統など、外国人にやりこめられるようでは恥ずかしい。昨今、海外からの観光客や日本通の外国人が増えているのだからなおさらです。受験中心のつめこみ主義は日本文化の知識を得る機会をなくしています。鈴木大拙著の「禅と日本文化」などは外国人向けに書いたものを日本語に翻訳したところベストセラーになったのだから、外国人の方がよく解っているかも知れない。「わび、さび」について説明できる日本人が何人いるだろう、まして私は合気道をやっていますと言った後ではなおさら恥ずかしい。そこで、合気道の技だけでは日本の伝統芸の一部をかじったに過ぎないことに気がつく。日々季節を感じ、流儀を大切にしながらも芸術を外側でなく内側から感じ、生活に取り入れながら極めてきた日本人の感性、いつのまにか忘れていた美意識や暮らしの知恵を合気道を通じて取り戻してみたい。合気道を通じてそれに関連することを肉付けしていけば外国人の質問くらい答えられるようになるのではないだろうか。死ぬまでの間じっくり合気道と日本文化を探求する人生もまた面白い。
稽古で上手く技がかからないことが多いのが合気道と考えると信頼できる指導者に質問をする方が良い。質問しずらい指導者が多いのが武道の世界なので「そんなこといったって」誰もしていません。と言う返事が返ってくるのは、私の経験からあり得ることです。そこをなんとか勇気をだして質問をしたほうが良いと思います。知ったかぶりした先輩は所詮は素人なので的外れなことを教えられることが多いことを覚悟した方が良い。経験を積んだ指導者は艱難辛苦を経験しているはずなので適切な指導をしてくれることと思います。ただし、合気道の場合はうまく行かないのは受けが柔軟でないから、後ろに下がるから、俺に合わせないから、忖度しろと言う風潮があるので、そういう指導者だとしたら聞いても・・・・・なので即答できる師範を探すのも良し。
受けの取り方が、非常に硬い人〔すぐ力んでしまう〕、わざと力を入れて崩れまいとする人がいます。確かに、業を掛けて相手が崩れないのは掛け手の未熟であることに違いはありませんが、あくまで稽古ですので、正しい理法の追及でなければなりませんが、未熟な人にとって稽古にならないからです。業を掛けられている人は相手の弱点、まずいところがよくわかるものです。「例えば座取り呼吸法の稽古を私とやった場合、私が本気で抵抗したら稽古になりません。」それでいいのでしょうか、答えは違うと思います。倒れなければ私を恨んで帰って行くと思います。「稽古は基本的にゆっくりやっているので抵抗しやすいこともあります」全部倒れることは相手のためにならないし、倒れなければ気分を害して恨んで帰って行くと言う事です。「正しい倒れ方とは、相手にもしスキや未熟な点があればここは直したほうがいいよということを伝え、倒れてやることです。わざと体を硬くして抵抗するのは、自分にとっても、相手にとっても良いことではありません、あくまで合気道は理合の追求です、力を抜くところは抜く、入れるところはいれる、全部抵抗するなとはいいませんが、せいぜい一回の業の稽古で1回程度で十分です。」合気道は試合がありませんので稽古の姿勢次第で進歩が違います。稽古の時間だけは真剣な気持ちを保持してお互いに違和感の無い和合の合気道を稽古してほしいと思います。
中心線を保った移動ができるようになると、無駄なく体の捌きができるようになり、全身の力を統合した攻撃ができるようになる。統一した力は中心線を保ったままの体で、足↓膝↓腰↓背中↓肩↓手と一連の流れの中から生まれてきます。途中で途切れたら力の流れは止まってしまいます。この中心線は意識しながらの稽古により得ることができるもので、勝ち負けを競うスポーツからは理解することは難しいとおもいます。
大股に名人無し、達人と言われる人は半歩踏み込んで、一瞬の内に相手を倒すような戦い方をしている。これは、合気の踏み込みは、自然体から股関節、膝の関節の力を瞬間的に抜き、重力にまかせて床に倒れかかるがごとく右足を踏み出していく、その際、左足裏を床に粘りつかせるように働きかけることによって、斜め上方への反作用が生じる。この二つの合力として、「結果的に重心点は床を平行に移動していくことになる」と解説しています。 一人を倒した状態で次の相手に向かう。大股で前傾姿勢は強そうで強くない。左右に弱く、前に弱い、少し浮かされると簡単に倒れてしまう。気をつけよう。
2018/11/11の高崎市民演武会にて(演武は里見)
戦いのなぎなたなのに漆塗りで丸二家紋(里見氏)が描かれています。鎧も日本人の美意識を感じます。
日本人は古代から崇高な美意識をもっています。シンプルな美、引き算の美学の上に成立しています。日本化した禅の影響を受けて武道は殺人剣から活人剣に変化したように美意識の根底にある日本文化の本質的な部分の多くは芸術や芸事に融合されて今日に至っていると思います。しかし現在の日本では、西洋文明、東洋文明の影響から混沌とした状況にいると感じることが多くなりました。この混沌とした今日の日本を従来の日本に戻す方法論として真の武道という題材があると思います。本居宣長は唐心を去り大和心に帰れと言われたそうですが和合の武道である合気道を通じて「真の日本文化」を世界に発信していきたいものです。
宮本武蔵の五輪書の中に「物事は栄える拍子と衰える拍子がある、気を付けよう」という言葉があります。拍子ははずみという意味です。拍子とは間でもあります。良くない拍子が来たらそれを転じて、良い栄える拍子の方に持っていく。ではどうすればよいかというと、間を取るということ、危険なこと〔難問題〕にぶつかった場合すぐに反応しないで、少しの間をとって、自分が置かれている状況を客観的に把握し判断する。それは、この間に情報をたくさん仕入れること。そうすればより良い状況に自分を導くことができる。と武蔵は言っている訳で、武道で例えると、武道は危険に際して生きる道〔方法〕と考えると、危機一髪の窮地からの脱出は、間を取って良い拍子に転換することといえます。