ヨガについて | ○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

お絵描きはちょっと休憩中。
ヨガにぞっこんな毎日。
バンスリを吹いたりして時間を過ごしています。


哲学分野は別ブロクに引っ越しします。
http://blog.livedoor.jp/yukamangalam/

(今の私の考えるヨガについて。長いです。興味が無ければ読まないことをお勧めします。笑)
photo:01




インドに来た時から抱えていた大きな質問。

"What is Yoga?"

ふと気が付いたら、最近は問いかけなくなっていました。TTを受けていた頃は、授業でこのテーマが出て来る度にやっぱり難しい質問だなぁと思っていたけれど。
最近はすっかり納得してます。
多分、言葉にすると人によって感覚が違うのでしっくりきたり来なかったり。だから私には表現出来ない。パタンジャリがヨガスートラで言った"Yogas-citta-vrtti-nirodhah"(心の動きを止めること)でも良いし。これは完結過ぎて分かりにくいが(笑)



ヨガが宗教か宗教じゃないかと言うと。
ヨガは間違えなく宗教だと思う。

もちろん外国(インド以外)で開発された"ヨガ"と呼ばれるものの中には完全に宗教と切り離されたものも沢山あるし、インドでヨガを学ぶ外国人の中で「テクニックは学びたいが信仰や哲学には従えない」とゆう人もいた。

本来のヨガの立場から見たらそれらはヨガと呼べないけれど。
それを評価しようとするのはヨガじゃないので置いといて(笑)

ヨガ宗教と言っても、ヴィシュヌ神やらシヴァ神やらを祀る偶像崇拝では無いです。

ヨガでいう神はPhilosophical God.. 直訳で哲学的な神??笑。

インドの哲学で、神様はいつも自分の中にいます。つまり自分自身の本質であるプルシャが神様です。プルシャを日本語にすると…魂?霊魂?だけど、「自分の本質」と言った方が私的にはしっくり。

ヨガの修行が自力本願なのもそれゆえです。通常プルシャはプラクティと呼ばれるものとくっついています。このプラクティさんが感覚やら知性やら、ネガティブなものもポジティブなものも次から次へと生み出しているので、プルシャさんはすっかり包まれてしまって見えない(・・;)

その周りに付いたものを剥がしていって、純粋な本来の自分を経験するのがヨガ。

つまり、プルシャは人間の数…とゆうか、全ての生物の分存在しているのですが。

その中でも一際純粋で、いかなる不純物も含まない最高のプルシャが存在します。どんな聖人のそれよりも優れた絶対的なプルシャ。
それを言葉にしたのがOm。
それはグルのグルであり、強く念じて従うことでヨガの練習の生涯(面倒くさかったり、疑心だったり、妄想や、病気だったり)を打ち破ることが出来ます。私たちの練習を助けてくれる存在です。

Omとゆう言葉については書き始めるとこれもキリが無いのではぶいて。

纏めると、ヨガは純粋な自分自身を探すための方法論で自力本願。だけど、神を崇拝している。

ちょっと他の宗教とは違う。
ここから神様を抜くと仏教に近づくけど、仏教とも似ているようで全く違う。

そんなヨガ、
すごく好きです(笑)



ところで以前、古典インド哲学(ヴェーダ)に偶像崇拝が無いと聞いた時に
「リグヴェーダに出て来るルドラ(雄牛・シヴァ)などは?」
と質問した事があります。
シヴァ神はヴェーダに頻発に登場します。ヴェーダ哲学には神様が出て来るのでヨガとは別物だと思っていました。
先生の答えは、
「Mahaa Mrityunjaya Mantraを例に上げると。シヴァ神の事を「三つの目を持つ」と表現しているが。本来人間は誰でも三つ目のを持っているでしょ。ヨガの修行を行う事で見つける事が出来る。つまり、最終的にシヴァ神はヨガ行者の自分自身のことを指しているんだよ。」
と教えてもらった。

これは目から鱗。

なるほどー。

苦手意識の強かった古典インド哲学に興味を持ったのは、これを教えてくれた先生に出会えたからですが。
今はまだパタンジャリのアシュタンガヨガを勉強する時みたいで、しばらくはお預け。

きっと準備が出来たら、もっと深く勉強出来る時が来るんだろうな。