05/05/2013 ヤマ | ○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

お絵描きはちょっと休憩中。
ヨガにぞっこんな毎日。
バンスリを吹いたりして時間を過ごしています。


哲学分野は別ブロクに引っ越しします。
http://blog.livedoor.jp/yukamangalam/

ヨガの練習はアサナ(体操)でもプラナヤナ(呼吸法)でも無い。

真実を経験すること。


ではその方法は?それは瞑想の中にある。パタンジャリが説いた8つの段階のように、順番に練習しなくてはいけない。

1つ目はヤマ。(自戒)

なんでヤマが必要?
それは、真実を経験する為に、まずは心を純粋にしなければならないから。不純な状態では、何も真実を見ることが出来ない。

ではヤマとは?
それは、自分の心を純粋にするプロセス。これが無くては、いくらプラナヤナを行っても何も起こらない。

一つ目のアヒムサを例に上げると。
アヒムサとは非暴力?

では無くて、自分自身と、自分の身体に敬意を払うこと。

例えば、肉を食べたとすると。その肉は何日か前に動物を殺して得られたもの。動物を殺す瞬間に苦痛が産まれる。その苦痛を口から体内に取り込み胃で消化したら。自分の身体に苦痛を取り込んでしまう。


また、例えばワインを飲む時。
多くの人は渋ったような顔をしながら「んーー上手い。」と言う。
舌は縮まり、顔の筋肉を中央に集めて緊張させる。
これは本当に身体が喜んでいる反応? 心(citta)は欲しがっていても、本来の自分の意には反している反応を反射的に行っている。


自分の身体は全て食べたものから作られている。だから、良いものを選んで食べなくてはいけない。
このように、自分自身に敬意をはらう行いがアヒムサであり、全てのヤマ。

胃に敬意を払い、消化の良いものを胃の半分だけ食べ、30分後に1/4四分の水、残りのスペースはいつも空気で満たしておく。

(これを含め、全てを忠実に実行するのは日常社会では難しい。だから、ほとんどの人は本物のヨギでは無くてパートタイムの生徒であり先生にしかなれない)

もちろん、食べる物だけでは無くて。自分の身体と心にネガティブなものを吸収しないために。


瞑想をする時、心は純粋でポジティブであり、濁りの無い状態でないと何も得れない。だから、心にネガティブなものを取り込まないようにする。それがヤマ。

そう思うと、アヒムサ以外のヤマもすんなり入ってくる気がする♫