07/02/2013 関係 | ○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

お絵描きはちょっと休憩中。
ヨガにぞっこんな毎日。
バンスリを吹いたりして時間を過ごしています。


哲学分野は別ブロクに引っ越しします。
http://blog.livedoor.jp/yukamangalam/

関係

先生と生徒の関係。

本当に大切。

カマルは本当に生徒の事を常に考えてくれる先生。
特に精神的な信頼関係を築く為の努力は絶対に怠らない。

先生としての生徒との接し方を教わると、全て私がしてもらってきた事ばかり。まんまとカマルのテクニックにハマってたんだと笑ってしまう。

そして、アジャストを習いながらカマルの伝えたい事が分かってきてるので、自分自身の練習も修正されてきてる。

カマルのアサナはトラディッショナルなアシュタンガのアサナと少しづつ違う事がいくつもある。昔はそれに困惑したけれど。説明を聞くと、本人はヨガマーラに書かれているようなグルジの教えにすごく忠実。
それを分かった上で、安全性と効率を考慮して初心者向けに少しアプローチを変えるのは、生徒が呼吸に集中しやすくするため。少しでも早く快適に練習出来るようになるため。
瞑想と同じで、まずは快適なポジションを築いて呼吸を整えることで、始めて自分自身の内側を知るヨガの経験に近づけるから。

だからアサナは怪我をしたり、将来的に問題が出るような間違った方法で行ってはならない。
身体を快適にするものでなくてはならない。

身体を壊すことは、プラナヤナや瞑想の実践の妨げになりうるから。本来のヨガの目的に背いてはならない。

そして、身体の構造に矛盾のなく集中出来る練習方法を生徒に叩き込むのは、いつか生徒がシャラを離れても1人で練習を出来るようにするため。
シャラやスタジオでの1時間半か2時間の決められた時間に制約された練習は勧めたくない。好きな場所で1人で、生徒の快適な呼吸のリズムで時間の制約無く練習出来るようにするため。
初心者は必ずグルの元で練習が必要だが、先生は生徒が自分自身で練習出るように導かなくてはならない。ヨガはその人自身のパーソナルな実践でなくてはならないから。

それがカマルの信じる考え。
だからマイソールでグルジが教えていた方法と違う事も言う。
それが本来の(古典に忠実な)ヨガに近づける道だと信じているから。カマルのオリジナルではなくて、常にヨガはパタンジャリや、そのグルジたちの教えに従わなくてはならない。

(意外にシャイな本人はそんなこと言わないけどね。)

それが分かってきた今、私自身の練習もとても迷い無く呼吸に集中出来る。

カマルもそれを感じて私へのアジャストはすごく減ってきているが、ちゃんと見守ってくれるので集中出来る。
(不満は無くても、天国みたいに気持ち良いアジャストしてもらえないかと思うと少し淋しけどね。)


そして私たちはTTを受けている。
私はカマルの元で勉強をするだけのために来たけれど、先生たちは受講生が先生になって本物のヨガを正しく生徒に伝えれるようにと真剣。

現在将来の事を全く考えてなくて、まさかアシュタンガを教えるなんて1ミリも覚悟が無い私はたまに怖気付くけれど。

今すごく実感しているのは、
今私はヨガを勉強している。

"What is real Yoga?"
とゆう途方もない質問を抱えて、ここに来るまでに沢山のババに聞いて回ったりしたけれど見つからなかったヨガ。
バイブルに記された真の目的と定義は授業で教わって納得しても、実感としてはまだ理解出来てないヨガ。
それでも、今このシャラでヨガを学んでいる。今私がしているのはエクササイズでも、健康法でも無くて、ヨガ。

Tattvaa Yogashala.(真のヨガシャラ)

シャラの名前が深く実感になってきた。


そんな今夜の瞑想もガンガー沿いの石の上。
私の前にはシバリンガとカマル。

瞑想が終わったと同時に友達がやって来た。
photo:01


20人はいる中に入って来て、真っ直ぐに私を見つけてくれた。
いつもシャラの前にいるのに、どうしてここが分かったんだろう?

言葉の不自由で疲れた私をいつも癒してくれる存在。

彼は私の日本語が完璧に理解出来る唯一の友達。
名前は…ダウンドック君。らしい。