緑色のトラクターが雪の残る
平原をうなりを上げながら進んでいく。
その音を聞くや、大柄で真っ黒の
牛たちがリーダー格を筆頭に
ゆっくりと集まってきた。
「べぇーべ」。
トラクターの運転席から下りた
山本幸男さん(73)が、
牛を意味する東北地方の方言
「べこ」に由来する言葉を口に
しながら、わらをほぐす。
「同じ家族だからね」。
まるで自分の子供のように、
寄ってきた牛たちの頭や背中を
そっとなでた。
東京電力福島第1原発から
約10キロ北西にある福島県浪江町の
末森地区。
山本さんは東京ドーム4個分ほどの
広さに、約50頭の牛を飼育している。
他の牛と違うのは、大量の放射性物質で
被曝したことだ。
原発事故から2カ月後、
政府は福島第1原発から
半径20キロ圏に残された家畜の
殺処分を決定したが、山本さんは拒否し、
牛を牧場内に放った。
“家族の一員”を自らの手で
あやめることはできなかったのだ。
しかし、飼育の厳しさは年々増す。
4月から11月ごろまでは牧草が
餌になるが、12月から3月ごろまでは
草が生えず、岩手県で取れた牧草を購入。
その間の餌代は600万円ほど。
出費だけがむなしくかさむ。
それでも、山本さんは牛の面倒を
見続ける。
「飲まず食わずで死ぬのと、
腹いっぱい食べて死ぬのとでは
全然違う。
最後まで面倒見てやりたいんだ。
そして地域のため、
福島の畜産の未来のために、
この牛が貴重な資料になるんだよ」
山本さんの牧場を含む浪江、
大熊の両町の3カ所では、
殺処分を拒否した被曝牛計
約160頭の調査が続けられている。
「大型動物の被曝を長期的に
調べるのは世界初。
実験室ではできない。
その研究が人間にとっても参考になり
還元されていく」。
岩手大農学部准教授の岡田啓司さん
(59)=生産獣医療学=は力を
込める。
原発事故があった平成23年の夏、
岡田さんは原発から20キロ圏に入った。
24年9月には、山本さんらの
牧場と協力し、獣医師や北里大、
東北大などの研究者と団体を結成。
被曝した牛の採血、採尿、
遺伝子変化の解析などを通して
放射線の影響調査を継続してきた。
累積の被曝線量が、
2千ミリシーベルトと推定される
牛もいる。
人の年間目安量1ミリシーベルトの
2千倍だ。
しかし、これまでの調査では、
白血球の減少など被曝による影響は
確認されていない。
放射性物質に汚染されていない
餌を与えていれば、3カ月ほどで
体内の放射性物質が排出されることも
分かった。
こうした活動に対し、
批判的な声も多い。
事故当時、原発から20キロ圏では、
農家約300戸が計約3500頭を飼育。
国は県を通じ、伝染病の危険や野生の
「放(はな)れ牛」になることを恐れ、
殺処分命令を下した。
しかし、国にとって一部の牧場が
殺処分に反発したことは予想外だった。
結局、国は出荷しないことを前提に
飼育を認めた。
県によると、
「被曝牛は福島の風評を助長する」と
反発する声まで上がっているという。
現状の研究では、
被曝の影響がないことが
で実証されているが、
その影響は長期にわたり、
見極めには時間がかかる。
「本当だったら何も出ないで
幸せな形で終わるのが一番いい。
それが住民の帰還や復興にも
つながる。
しかし、私たちはストーリーも
到達点もつくらない。
純粋に科学者として中立的な立場で、
何が起きて、あるいは何が
起きていないかをきちっと
整理することが大事だ」。
岡田さんはこう言い切った。

被ばくした牛の飼育を続ける山本幸男さん
=2月3日福島県浪江町(野田祐介撮影)
写真:産経新聞