生まれた時から、結婚して一年間
いなかっただけで、私のそばには犬か猫、
または両方がいた。今も2匹の犬がいる。
人間より寿命の短い彼らとの別れは、
生きる先には必ず死があることを
教えられた。
■2ヶ月経って諦めた時の気持ち
だからと言っていいかどうかわからないが、
ペットロスにかかったことは一度もない。
もし、これがペットロスというなら、飼い猫が、
2年目に忽然と姿を消したときかもしれない。
若いのだから死んだとは思えなかった。
家を抜け出し冒険していて家に帰って
こられないのではないか…。
誰かが実験動物として連れていったのでは
ないか、毛皮にしょうとする人が
盗んだのではないか…。
今頃どれだけ辛い思いを
しているのだろうか…。
悪いことばかり考えて、毎日が苦しかった。
もちろん、近所を名前を読んで探し回ったし、
警察にも届けたし、保健所にも届けたし、
動物愛護協会にも・・・。
保健所と動物愛護協会には、毎日のように
そのような猫が保護されていないか電話した。
その毎日が義務になった・・・と感じて、
2ヶ月目に電話をするのをやめた。
でも、けじめ、または諦めなければいけないと
思うことが、自分がその猫を
見捨ててしまうような気がして心が痛かった。
■家族と同じお墓にはいるペット
さて、ペットの葬儀の話。
昔は、庭や空き地に土を掘って埋めた。
墓標を立てたりもした。どこの家庭も似たような
ペットとの別れだったと思う。
しかし、最近は、火葬が一般的だ。
特に都市圏は、庭のない家が多い。
人間様と同じようにお棺(といっても、
ダンボールがほとんど)に入れて、
花や好きだったおもちゃ、ドッグフードや
オヤツを入れてあげる。
ときには、お坊さんがお経をあげて
くれるところもある。
火葬場も、人間の葬儀に使われる一角を
使ってペットの葬儀ができるところもあるし、
ペット専門の火葬場もある。
おコツになったら白木の箱に入れてくれる。
そのまま預かってくれて、そこに会いに
いくことができるところもある。
家に連れて帰ることもできる。
うちの場合は連れて帰ってくる。
そして大体1年間ぐらいうちに置き、
海へ散骨しに行く。
または骨を庭に埋める。
それが本当の最後の別れになる。
ちなみに、亡父の愛猫は同じお墓に
入いっている。
■最期を看取ることが出来ないなら、
ペットはかってはいけない
ペットとのこれから。
還暦を過ぎてペットを飼うのは、自分の
寿命を頭に入れて飼わなければならないと
思う。
「もう年だから飼えない」という人は、
ペットを本当に愛してあげられる人だと思う。
知人に、自分がペットより先に死んだ場合を
考えて、受け入れ先をちゃんと用意して
飼い始めた70歳過ぎた人がいる。
飼うなら最期を看取るまで・・・。
これは、声を大にして言いたいことだ。