《2024年7月30日》ー偽NPO法人に騙された | aichanの双極性日記

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千歳・札幌の季節の風景とレザークラフトとアウトドア(特にフライフィッシング)。
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20年以上前、北海道新聞の求人広告で「患者のための日本PET for EBM 札幌支部」というNPO(非営利団体)法人の募集を見た。

 

募集職種に「広報誌の企画・編集」とあった。

 

電話で問い合わせると、非常に効果的なガン検診の普及に尽力している非営利団体だという。

 

ホームヘルパーの資格を取ってから私は福祉か医療に関係する仕事に就きたいと考えていた。

 

この団体はどうやら医療に関わる仕事をしているようだし、募集職種は私の専門である。

 

早速、私は飛びつくように応募した。

 

結局、私はこのNPOに就職するのだが、これがとんでもないイカサマ団体だったのである。

 

この団体は札幌市中央区の大通公園に面するビルにオフィスを構えていた。

 

春先の温かい日の昼下がり、私は指定された時刻に訪問した。

 

若い女性2人が立ち上がって挨拶してきた。

 

オフィスは狭いながらもこぎれいで、今風のデスクが並び、各デスクには液晶のパソコンモニターがきれいに並んでいる。

 

職員は女性のほかに男性3人。

 

奥には重厚な会議テーブルが見える。

 

私はその会議テーブルへと案内された。

 

テーブルには4人の男女が神妙な表情で腰掛けていた。

 

面接は5人で一緒に受ける集団面接だった。

 

腰掛けて壁を見ると、大きな日本地図のほかに何かリストのような大きな表が掲げられていた。

 

よく見ると、病院や役所、医療・福祉関係の団体などの名前がずらずらと打ち込まれている。

 

その横には、札幌厚生年金会館で開催される市民公開講座のポスターが掲示されている。

 

タイトルは「あきらめない!! ガンとの闘い!!」となっている。

 

講演するのは札幌の札幌新世紀病院(今はない)の理事長をはじめとする医師数人と、それにPETを体験したという落語家の林屋木久蔵氏である。

 

そして主催は「日本PET for EBM」であった。

 

後援と協賛は、札幌新世紀病院だけでなく北海道新聞社などのマスコミも名を連ねていた。

 

この団体の主催で市民公開講座を開くことは、電話で問い合わせたときに聞かされていた。

 

その開催のためにも急いで人材を入れたいのだと。

 

しかし、これほど本格的にやるとは予想していなかった。

 

どういうバックがあるのか? 私の関心はそこに集中した。

 

札幌支部長と名乗る40歳くらいの大柄な男性がテーブルの一番奥に腰掛け、面接が始まった。

 

まずは、「日本PET for EBM」という変な名前の説明。

 

これはニホンペット・フォー・イービーエムと読む。

 

新聞の求人広告では括弧書きで「日本PET推進連絡協議会」とあったのでそれを英文に直すと「日本PET for EBM」になるのかと思っていたが違った。

 

「PET」というのは医療用の検査機械の略語である。

 

〈PET機器〉

 

「for」は~のための意味、「EBM」は科学的根拠に基づく医療の意味だった。

 

つまり、「科学的根拠に基づく医療のためのPET」というのがこの団体名の意味であり、そのココロは、だから患者さんたちのためにこの「PET」の普及・推進をみんなでやりましょうということのようだった。

 

では、「PET」とは何か?

 

犬や猫のことではない。

 

ポジトロン・エミッション・トモグラフィーという検査機械の略語である。

 

直訳すると「陽電子断層撮影装置」ということになる。

 

支部長はそこまでざっと説明すると、いよいよ本題だというように声を励まし、「PET」について説明を始めた。

 

専門的になるのでここでは詳しい説明は省く。

 

簡単に言えば、「PET」はMRIなどのような検査機械の一種だが、MRIやCTなどと異なるのは、内臓などをそのままの形で撮影する装置ではないという点である。

 

例えば腫瘍部分だけが目立つように撮影することができる。

 

悪性か良性かの判断もある程度可能できる。

 

その映像とCTの映像などを重ね合わせると、どのような種類のどの程度の大きさの腫瘍がどこに存在するかわかる。

 

この「PET」がよく使われるのはガンの早期発見を目的とした検査においてである。

 

「PET」で撮影すると、数ミリ単位の大きさのガンを発見することが可能になる。

 

このためガン検診においてPETが注目されはじめていたのだが、検査費用がバカ高い(10万円~20万円)ので、裕福な人でないとなかなか受診できないという問題を抱えていた。

 

それよりも問題なのは検診施設があまりないことだった。

 

そのわずかな施設に受診希望者が殺到し、中には2ヵ月待ちという状態になっている施設もあるという。

 

「ガンは大きくなったら転移します。転移してしまうと治療は難しくなりますが、転移する前なら十分に治療可能です。その大きさの目安は1センチと言われています」と支部長は言った。

 

「PETは数ミリの大きさのガンを発見できますから、PETで小さいうちに発見してしまえばガンで死ななくてすみますよね。PETはガン治療の切り札になると思いますよ」

 

なるほど、と私は感心して聞いていた。

 

そんないいものを普及させようというのだから、悪いことではない。

 

どうもマトモそうな団体ではないか。

 

「日本PET for EBM」は、このPETをひとりでも多くの人に受けてもらうために発足したという。

 

東京に本部を置き、この年の2月、札幌に支部を設けた。

 

将来は全国各地に支部を置きたいと支部長は言った。

 

「なぜ札幌を選んだのですか?」と私が口をはさんだ。

 

すると支部長は部屋の一番奥のデスクに座っている男に目を向けた。

 

助け舟を求めている。

 

オフィスに入ったときから気になっていた人物だった。

 

私が入ってきても顔さえ上げずにデスクに向かっていた。

 

「札幌に最初に支部を置いたわけですか?」と、意外なほど明るい口調でその男がしゃべり出した。

 

会議テーブルのほうを向いたその男の顔を見て、どこかで見たことのある顔のような気がした。

 

後にそれは布施明だったことに気付く。

 

それほどよく似ている。

 

さて、布施明によく似ているその男は話を続けた。

 

「東京にまず本部を置きましたねー」と言って彼は壁の日本地図の中心を指差した。

 

「日本のまん中ですよ。そしたら次はどこに置くのが一番ベストですか? そうですね、北か南なんですよ」

 

ひとり芝居だった。

 

なんか信用できない男だなと思いつつ私は説明を聞いた。

 

「北の札幌にしましたのはねー、こういう理由なんです。私たちは九州でガンの患者会を長年やってきたんです。日本キャンサー(ガン)協会といいます。今もやってますけどねー。その地盤が九州にはあるわけですよー。で、まだ空白だった北海道に支部を置こうかと、こういうことになったわけですよー」

 

そこで支部長が引き継いだ。

 

「私たちの目的はPETの普及ですから、PETのない地区で活動しても仕方ないんですよ。北海道にはそれが2個所あります。札幌の札幌新世紀病院とM市のN病院です。今年の夏にはO市にもできます。だから札幌はドッピンシャンの選択だったわけですよ」

 

理屈は通っている。

 

ガンの患者会を元に発足したというのなら、そんなに変な団体ではないだろう。

 

しかし、ガンの患者会の資金だけで東京に事務所を構え、札幌に支部を開設し、おまけに厚生年金大ホールで芸能人を呼んで講演会など開けるだろうか。

 

資金源は別にあるのではないか。

 

「会の運営資金はその患者会から出ているのですか?」と私は支部長に聞いた。

 

「そうです」と彼は答えた。

 

「私たちは全国のいろいろな患者会と手を結んでいましてね」と布施明が口を出した。

 

「資金の心配はいりませんよ。まあ、大変なことは大変ですけどねー」

 

「病院や企業からの援助はないんですか?」と私の向かいに座っている年輩の男性が壁に貼ってある病院等のリストを見ながら口を開いた。

 

「ないです」と支部長は元気よく答えた。

 

「まったくありません。病院からは絶対にもらってません。そんなとこからもらったら患者さんの信用を失ってしまうので終わりですよ。そのリストは、私たちの活動に賛同してくださった機関や団体さんですが、お金を支援していただくということはまったくありません」

 

ここまで断言されると信じてしまう。

 

すると、患者会というのはすごく儲かるものなのか?

 

それとも、有力な財界人か政治家でもその患者会にいて、その人が潤沢な資金を提供しているのか?

 

支部長は次の説明に移った。

 

業務内容についてだった。

 

具体的な業務としては、まず早急に取りかかるべきものとしては市民公開講座の準備がある。

 

ハガキや電話による申し込みを受け付けし、人数をチェックする。

 

当日に配付する資料作りと手配もしなくてはならない。

 

会場との打ち合わせ、講演する医師や芸能人との打ち合わせも必要である。

 

それと並行して急いで着手しなくてはならない業務に、広報誌の発行とホームページの公開があった。

 

広報誌については広告代理店に依頼することでだいぶ形ができていた。

 

そのまとめ上げとホームページの作成を急ぐという。

 

また、秋田県への長期出張をしてもらうという。

 

青森県と岩手県の県境に近い山の奥深くに、玉川温泉という名湯がある。

 

ものすごく酸性度の高い湯が湧き出る温泉で、皮膚病にはかなりの効果があるらしい。

 

湯は強烈なラジウム泉でもあり、そのためガンにも効くという。

 

おそらく免疫力を向上させる効果があるのだろう。

 

人跡未踏に近い山奥にあるので湯治にいくのも大変らしいが、近年は設備の整った新玉川温泉が手前にできて、少しは利用しやすくなっているそうだ。

 

その新玉川温泉は、毎日、大勢のガン患者で混み合っているといるという。

 

「そこに私たちはインフォメーションコーナーを設置しているんですよ」と布施明が言った。

 

いつの間にか会議テーブルに席を取っていた。

 

「私も何度か行きましたけどねー、凄いですよ。末期ガンの人が多いんですが、皆さん、希望を持って湯治に来ているから明るいんですよー。ええーっ、これがみんな末期ガンの人なの? ってね、そう思ってしまうほど明るいんですよー。そしてね、私たちはインフォメーションコーナーにこう座っているだけなんですが、何人もの人がPETって何ですかと聞いてくるんですね。そしたら丁寧に教えてさしあげるでしょう。すっごく喜んでもらえるんですよー。人のために働くってホントに素晴らしいなあって感じますよー」

 

なるほど、そういうところでPETの普及をするというわけか。

 

しかし、何か引っ掛かる。

 

新玉川温泉に湯治にくる人の多くは末期ガンだとさっき言った。

 

末期ガンの人がPETを受ける意味はあるのか?

 

PETは小さいガンを見つけるためのものではないのか?

 

私が引っ掛かったのはその点だった。

 

「ちょっと質問していいですか?」と私は布施明に向かって言った。

 

「はい、何でしょう?」という彼の言葉を待って、私は上記の点について尋ねた。

 

すると布施明はまったく違うことを話しはじめた。

 

それがあまりに堂々としていて、私は自分の尋ね方がまずくて質問の意味を勘違いされたのかと思ったほどだった。

 

ほかにも、何か変だなという説明があって私はその点をただしたのが、そのときも話を外された。

 

「私たちはですねー。お金を儲けようなどとは全然思ってないんですよー。あくまで患者さんのために活動してるわけなんですねー」

 

そんな話だったと思う。

 

最後は布施明の独壇場で私たち5人はほとんど聞き役に回っていた。

 

面接は終わった。

 

明日と明後日も来てくれという。

 

3日間の研修を受けてもらい、それで採否を決めるという。

 

日当も出すというので私は承諾した。

 

この初日、勤務時間や待遇等の面について何の説明もされなかった。

 

PETの説明で時間が取られ、つい忘れたのだろうと私は思った。

 

明日は説明があるだろうと考えていた。

 

面接の帰途、5人はかたまって札幌駅へと歩いた。

 

「日本PET for EBM」にはみな半信半疑の様子で、特に布施明には不信感を感じて仕方ないという意見だった。

 

明日までにインターネットで、この団体や母体となったらしい日本キャンサー協会について調べてこようということになって私たちは別れた。

 

その夜、私はインターネットでいろいろ調べた。

 

検索サイトで「日本PET for EBM」「日本PET推進連絡協議会」「日本キャンサー協会」を調べた。

 

しかし、いずれでもヒットしない。

 

「PET」なら何百とヒットする。

 

PET関連のいくつかのサイトを覗くと、確かにガン検診にはかなり有効のようだった。

 

面接の帰りがけにもらった団体の案内パンフには役員名が記されている。

 

それらの名前も片っ端から入力して検索してみた。

 

2人の名前がヒットした。

 

ひとりは医療関係の論文の執筆者のようだった。

 

もうひとりは、競馬予想ソフトの販売会社の社長だった。

 

そして、その会社の所在地が「日本PET for EBM 東京本部」の住所と同じだった。

 

怪しいと思えば怪しいし、怪しくないと思えば怪しくないかとも思う。

 

おそらくは怪しい部分はあると思った。

 

しかし、北海道新聞社を巻き込んで大規模な市民公開講座を開くほどの力を持っている点が私を信用させた。

 

どこからか汚い金が流れ込んでいるのかもしれないが、それを患者さんのために使うというのならいいではないか。

 

何より、儲けようという気がないというのが気に入った。

 

採用したいというのなら採用されてやろうと私は考えた。

 

ところが、翌日、もっと怪しい情報を得て私は迷った。

 

研修の帰途にまた5人で歩いていると、ひとりがインターネットの検索の結果について話しはじめた。

 

NPOで検索したが、現時点では「日本PET for EBM」も「日本PET推進連絡協議会」も登録されていないという。

 

NPOというのはウソなのか?

 

研修最終日、布施明のほうからそのことに触れた。

 

現在、申請中だという。

 

2ヵ月後に認可がおりるという。

 

「それまでは健康保険ないっすから」と支部長が言った。

 

3日間も一緒にいるうちに支部長の口調は堅苦しさが取れていた。

 

とにかく、そう言われるとNPOというのもウソではないような気がしてくる。

 

だいいち、北海道新聞社がNPOの名で求人広告を掲載し、市民公開講座を後援するのである。

 

ウソだとしたら、この団体はものすごくウソのうまい詐欺師だろう。

 

まさかそこまで…、と私は思い、そのことについては考えるのをやめた。

 

収入がなくなって生活が破綻しそうになっていた。

 

ここいらで思い切って就職するしかないと思った。

 

しかし、研修最終日にも給料やその他の待遇についての説明はなかった。

 

帰途、5人はまた寄り合って札幌駅に向かった。

 

「ついに給料の話がなかったですね」

 

「おかしいね」

 

「NPOってそんなものなんでしょうか?」

 

私たちは面接や研修を受けている最中に何度も給料や待遇について聞こうと思った。

 

その都度ためらったのは、そんなことを聞くのが場違いのような雰囲気がそこにあったからだ。

 

オフイスは透明感に溢れた雰囲気で、働く人々はすがすがしく明るい。

 

慈善事業に身を捧げている人たちというのはこうなのではないかという雰囲気がそこにはあった。

 

布施明だけは何者かもわからず謎の雰囲気をかもしだしていたものの、そのほかは文句のつけようがないほど、純で透き通っていて欲のかけらも見られず、悪とはまったく正反対の清い雰囲気だったのである。

 

そのような雰囲気に満ちているのは、儲けのことなど少しも考えないで済む環境で働いているからなのではないか。

 

そしてそれはNPOだから可能なことなのではないか。

 

私たちはそんなふうに感じていたのである。

 

駅前で別れるとき、「採用されても私は断ります」と30代の女性は言った。

 

「私も」と20代の女性も言った。

 

「あの布施明はどうしても信用できない」

 

残る私たち男3人はまだ迷っていた。

 

生活がかかっているので、せっかく採用されるというのならそのチャンスを逃したくないとみな考えていたと思う。

 

数日後、「日本PET for EBM 札幌支部」から私の携帯に電話が入った。

 

「ホームページは作れますか?」

 

「はい」

 

「それならすぐ来ていただけませんか?」

 

採用するとも言わず、いきなりそう言われた。

 

これで迷いは吹っ切れた。

 

オレはこの団体に技術だけを売る。

 

幸い向こうもそのような気持ちらしい。

 

それなら社外の取引業者のようなつもりでギブ・アンド・テイクで付き合えばいい。

 

私は翌日から出勤することを告げた。

 

仕事は楽だった。

 

朝9時までに出勤し、夕方5時にほぼきちんと上がる。

 

まだ明るいうちに帰途につくなど、それまでの私にはほとんどないことだった。

 

それがほぼ毎日である。

 

こんなに楽していいんだろうかと不安になるほどだった。

 

しかし、給料は殺人的に安かった。

 

初日に布施明にそのことを尋ねた。

 

すると彼は当然のように「18万」と言った。

 

「え?」と私は絶句してしまった。

 

彼に尋ねたのは、彼がこの団体の代表だと知ったからである。

 

会長という肩書きの名刺をもらった。

 

この団体の母体だという日本キャンサー協会の会長でもあるようだった。

 

名前は三木。

 

実は三木はこの時期から半年後、九州で逮捕される。

 

三木が当然のように「18万」と言ったのは、新聞の募集広告でそう明記しておいたからだろう。

 

確かに広告には「給与月固定18万円」と書いてある。

 

ただし、その後に「+各種手当有・交通費支給」とも明記されている。

 

総額でいくらもらえるのか、その具体的な数字を私は知りたかった。

 

月に18万円しかもらえないのであれば生活が成り立たなかった。

 

他のバイトをしたほうがまだましである。

 

その点を確認すると、三木は「それ以上は出せない」と突っぱねる。

 

「18万ではとても生活できない」と私が言うと、いくら必要だと聞いてくる。

 

私が金額を言うと彼はひどく驚いた。

 

「あなた、前の会社でいくらもらってたんですか?」と聞くから当時の年収を答えた。

 

すると彼はかなり驚き、しばらく沈黙した。

 

私はもう採用を辞退する気になっていた。

 

その心のうちを察したのか、三木はこう言った。

 

「あと2ヵ月待ってくれませんか」

 

「2ヵ月? 2ヵ月経ったらどうにかなるのですか?」

 

「とにかく、あと2ヵ月ください。そしたらあなたの望む給料も可能になるかもしれません」

 

「どういうことですか?」

 

 そこで彼はまたしばし沈黙し、仕方がないという顔で話しはじめた。

 

「ではまあ、話しましょう」

 

そこで三木が話したのは、「日本PET for EBM」設立の本当の目的だった。

 

PETを導入している医療機関は全国にかなりあるが、一般の患者を対象に検診に利用しているところはあまりない。

 

PET導入には数億円から十数億円かかるので、民間では導入が難しく、その多くは国立大学医学部等の研究機関に導入されている。

 

しかし大学ではPETは主に研究用に利用されていて、一般の人は利用できない。

 

そのため、数少ない民間のPET施設には受診希望者が殺到して数ヵ月も予約で埋まるという状態になっていた。

 

三木は、その状態を九州で見て、これは金になると思ったらしい。

 

「いいですか。PET検診を受けたいという人が大勢いるわけですよ」と三木は重ねて言った。

 

「それを私たちが探し出し、PETを導入している医療機関に紹介するわけです。そうしたら医療機関のほうでも助かりますねー。何しろPET施設は高いですから、早く元を取らなくてはなりませんよ。私たちが患者を連れていけば大喜びされますねー」

 

そこでマージンを取る。

 

当然ですよね?

 

そう言って三木は私の表情を観察したようだった。

 

私は内心はドッチラケにしらけていたが、顔には出さずに無表情でいた。

 

「わかりますよねー?」と三木は聞いてきた。

 

「患者も病院も私たちも、三者ともにいい思いができるんですよー。何か問題がありますか?」

 

「いえ」と私は答えた。

 

悪いことだとは思わなかったが、こそこそと隠れてやるのはおかしいと思った。

 

やるなら堂々とやればよい。

 

この団体はドロドロした裏の部分を外部に対して完全に隠し、きれいな部分だけを見せている。

 

それも、きれいに見えそうな部分をことさらにきれいそうに仕立てて見せようとしている。

 

そう感じた私は、この団体と関わると何か大それたことに巻き込まれるのではないかという不安を感じた。

 

私がそんなことを考えているうちに三木は今後の展望について語り続けた。

 

「今度の13日に厚生年金会館で市民公開講座をやりますね。そこには2,000人もの人が集まるんですよ。いいですか、2,000人です。少なく見積もっても1,800人は来ると私たちはみています。その1割が受診したとしたらどうなりますか?」

 

「マージンはひとりいくらなのです?」

 

「2、3万ですね。2,000人の1割は200人。ひとり2万とすると400万がうちに入るんですよ。こういう講演会をどんどんやっていくんです。その度に数百万が入ってくるわけです。わかりますか?」

 

なるほど、講演会を開く目的がわかった。

 

札幌新世紀病院が後援する意味もわかった。

 

当日の来場者の1割がS病院のPET検診を申し込むという見込みがあるわけだ。

 

2ヵ月待てというのは、そのマージンが入りはじめるのがそのころになるとみてのことなのだろう。

 

「1割というのは少なく見積もった場合なんですよ」と三木はニヤニヤしながら続けた。

 

「実は新玉川温泉で札幌新世紀病院と説明会を開いたことがあります。そのときだけで数十人が話を聞きにきて、そのうちの10人が検診を予約したんですよ。確率は3、4割でしたよー。だから厚生年金でも2割いくんじゃないかと私は見ていますねー」

 

新玉川温泉に長期出張する目的もわかった。

 

要するに、この団体の主要業務はPETを受けたい人間を探し出して病院に連れてくることなのだ。

 

それでガッポガッポと稼ごうというわけだ。

 

なーにが「お金を儲けようなどとは全然思ってない」だ。

 

慈善事業とはほど遠い。

 

偽善事業と言ってよい。

 

まったくシラジラシイやつである。

 

しかし私は三木に向かって「わかりました」と笑顔で言った。

 

「2ヵ月待ちましょう」

 

三木はそのクセで薄目で私をながめ、鼻先を立てるように顎をやや上げて薄く笑った。

 

偽善者の顔だと私は思った。

 

「儲けたら山分けですよ、山分け。さ、ホームページ作ってくださいよ。製作料は給料とは別に払いますからね」

 

そんなこと信じられるか。

 

研修では日当を払うと言っていたのにそんなことはもう忘れているようだ。

 

はじめから払うつもりなどなかったのだ。

 

製作料?

 

払うわけないね。

 

賭けてもいい。

 

私はそう思っていた。

 

しかし、本性を見せてくれたおかげで、私の心はすっきりした。

 

悪いやつならそうであってもいい。

 

私は私の仕事をきちんとやる。

 

それに見合う報酬さえもらえればそれでいい。

 

三木が何を考えようが「日本PET for EBM」が何をやらかそうが勝手にすればいい。

 

私は完璧に割り切ることでこの団体と付き合うことを決めた。

 

きれいごとだけを追っていたら生活できないという切迫した境遇にいたからである。

 

ある程度の毒なら飲んでやろうという気になっていた。

 

ところが、私が入社して1ヵ月半ほどたったころ、取引業者の広告代理店からこういう電話がかかってきた。

 

「あのー、三木さんいますか? 出張ですか…。実は今日がお支払日なんですが、そのーですね。振り込まれた金額の桁がひとつ違うんですよ。……至急、三木さんに連絡取っていただけませんか?」

 

130万円の請求に対して13万円しか振り込まなかったという。

 

なんてドジな人なんだと私たち職員は呆れ、三木の携帯に電話した。

 

圏外らしく通じないので留守録でメッセージを送る。

 

しばらくして三木が出張から戻って出社してきた。

 

デスクにつくなり彼は受話器を取り、13万円しか振り込まなかった業者に電話をした。

 

「いやー、すいまっせん」と三木は謝った。

 

「私もバカですよねー。ちらっと見てうっかり桁間違って覚えてたんですねー。いやー、すいません。残金は必ず支払いますよー。ちょっと待っていただけますかー。都合ついたらすぐ連絡しますから」

 

受話器を置くとニヤニヤしながらオフィス内を見回していた。

 

一見、照れ隠しのようにも見えたが、違う。

 

職員の反応を観察していたのに違いない。

 

私はこれは「詐欺だ」と気付いていた。

 

案の定、その数日後にも同じような電話がかかってきた。

 

今度は旅行代理店からだった。

 

「あのー、間違いだと思うんですが、お振り込みいただいた額が桁違い、つまり十分の1なんですが……」

 

これで職員全員が三木の芝居を見破った。

 

同じ電話はもう1社からもあり、三木のやっていることはもはや確認するまでもなくなっていた。

 

資金繰りについては入社してすぐから私は疑問を持っていた。

 

まず、いつも金がないのである。

 

ホームページを作るためのソフトを購入しなくてはならなくなったとき、その金を出したのは職員だった。

 

社員が出張するときの経費を出したのは出張する本人だった。

 

備品を買うために経理に金を要求しても「ないんです」と言われる。

 

「三木さんに頼んでください」と経理の女性はいつもそう言った。

 

三木は出張ばかりしていて札幌にはあまりいなかった。

 

しばらくぶりで札幌支部に入るのを待ち構えて、職員たちはそれぞれ立て替えている経費の支払いを三木に要求する。

 

すると三木はいろいろと文句を言いながらもそれらの経費を払う。

 

ただし、全部は払わない。

 

「その部分は出しておいてよ」とか言って支払いをしぶるのである。

 

「その部分」というのも仕事で必要だった経費であり、職員が自腹を切る必要のないものである。

 

しかし、それであきらめて泣き寝入りする場合もあった。

 

そして三木はまたまた出張へと旅立つ。

 

けれども、出張と称していても実は札幌にいたのではないかと思えることが再三あった。

 

出張中の三木に緊急の用件で電話すると、その数時間後に札幌支部に出社することが何度かあった。

 

三木が札幌支部にいるとき、旅行代理店数社が頻繁に来社した。

 

出張用の航空チケットを数社の旅行代理店から購入しているようだった。

 

出張する人間は三木のほかにはそういないし、三木以外は滅多に出張しない。

 

三木にしても、いくら頻繁に出張しているとはいえひとり分にしかならない。

 

それを数社の旅行代理店からチケットを買うのは妙である。

 

しかし私は、東京本部や日本キャンサー協会のスタッフの分もまとめて買っているのかもしれないと考えていた。

 

だが、その東京本部との連絡の取り合いはほとんどなかった。

 

札幌支部に東京本部から電話が入ることはほとんどなかったし、札幌支部が東京に電話することもなかった。

 

母体だという日本キャンサー協会との連絡は皆無だった。

 

さらに妙だったのは、複数のガン患者会から支援を受けているという話だったが、そうした付き合いがないようだったことである。

 

支部長に尋ねても「そんな患者会のことは聞いていない」と言うばかりだった。

 

三木に確かめると、また話をそらされた。

 

患者会から資金援助を受けているという話はどうもウソだと感じられた。

 

さらに、壁に大きく掲示されている病院等は「私たちの活動に賛同してくださった」ところのはずだが、そのリストのほとんどには職員の誰もが電話したことさえないことが次第にわかってきた。

 

それら病院等について支部長は「私たちの活動に賛同してくださった」と説明したが、それは三木の話の受け売りだったようだ。

 

三木は職員たちに対し、オレたちは全国のあらゆる患者会とつながりがあるだけでなく、医療・福祉関係の役所・団体などにも顔が利くと自慢していたらしい。

 

リストを作るときも、これらはみなオレたちと関係のあるところだから打ち込んで掲示しろと指示したという。

 

しかし、みなウソだった。

 

そのことがはっきりしたのは、広報誌ができたときだった。

 

第1号の広報誌が完成したので協力団体等に早速配付しようとしたところ、三木はそのほとんどを九州に送った。

 

私たちは、たぶん日本キャンサー協会に送ったのだろうと思った。

 

そこから各所に送付するのだろう。

 

何とも面倒なことをするものである。

 

主要な送付先は札幌支部の壁にドーンと掲示してある。

 

なぜここから直接送らないのか理解できなかった。

 

2号目ができると、今度は少し違った。

 

多くを九州に送ったのは同様だったが、かなりの部数を札幌支部に残し、「さあ、持ってって、持ってって」と私たちを急かしたのである。

 

家に持ってかえれというのではない。

 

医療機関や役所に持参して置かせてもらえというのである。

 

そういうところへは九州の日本キャンサー協会からすでに送付されていると思っていた私たちは、意味がわからず戸惑った。

 

「どこに持っていけばいいんですか?」

 

「自分で考えて持ってってよー」

 

「まだ置いてもらってない小さな病院とかですか?」

 

「そこのリストにいっぱい書いてあるでしょう!」

 

三木は壁のリストを指差し、イラついた声でそう言った。

 

このときになって支部長たちもようやく気付いた。

 

「日本PET for EBM」はどこともつながりのない孤独な団体なのである。

 

設立から2ヵ月以上たってからその事実を知り、みな内心は呆然としていた。

 

私も呆然とした。

 

広報誌を作ったものの、それを置いてくれる場所さえ確保していない。

 

読んでくれる読者さえいない。

 

完成したら全国各地の医療機関に一斉に送付され、たくさんの患者さんたちに見てもらえると考えていた私は体中の力が一気に抜けた。

 

何の地ならしもできていないところへ家を建てようとしている。

 

そう思った。

 

この団体をこの先もやっていこうというなら、スタートに戻って一からやり直すしかないだろろうと私は思った。

 

支部長にそう進言すると、彼は苦渋の表情を見せた。

 

彼もそうすべきだと考えていた。

 

そうするしかないとも思っていた。

 

しかし、それをやるには資金が必要である。

 

その資金がない。

 

取引業者を騙して支払いを引き延ばしているような状態である。

 

振り出しに戻るなどはできないよと彼は言った。

 

確かにその通りだった。

 

東京本部との連携もないところから察して、札幌支部は東京本部の協力や支援を受けられるような存在でもないようである。

 

日本キャンサー協会との関係も似たようなものなのかもしれない。

 

どこかの患者会関係の一部の有力者から支援を受けていた時期があったのかもしれない。

 

しかし、今はそこからの支援はもうないのではないか。

 

取引業者に対して桁を間違ったふりをして支払うのは資金繰りがうまくいっていないからだろう。

 

支援を得られていればそんなことはしないはずだ。

 

資金を援助してくれるようなあては見当たらない。

 

とすれば自分たちで稼ぐしかない。

 

ところが、その見込みは見事につぶれていた。

 

市民公開講座はものの見事に失敗していたのである。

 

市民公開講座そのものは、運営上の粗漏が若干あったものの無事に終えた。

 

来場者は予想をかなり下回って1,000人強というところだったが、雨天という悪条件の中ではまずまずの入りと言えた。

 

しかし、PET検診の希望者は何とわずか4人にとどまった。

 

講座を終えて1ヵ月ほどたっても申し込みは増えなかった。

 

「どぼーん」

 

と私たちは沈んだ。

 

「新玉川温泉では10人もの人が申し込んだっていうじゃないですか。それに比べてどうしてこんなに少ないんですかね?」

 

私がそうつぶやくと、「え?」と支部長が驚いた。

 

「10人?」

 

「10人なんてとんでもない!」と支部長は言って頭を抱えた。

 

「三木さん、またホラだよー」

 

新玉川温泉でごっそり予約を取ったというのもウソのようだった。

 

しかも、悪いことは続く。

 

2号目の広報誌を持って職員が札幌市内の病院を回りはじめたのだが、そのほとんどで門前払いを食ったのである。

 

なぜか?

 

「札幌新世紀病院とつながってるあんたのとことは付き合えない」

 

それが理由だった。

 

札幌新世紀病院は、当時の札幌で唯一、検診用のPET施設を導入している病院でだった。

 

その受診者を得るため「日本PET for EBM」と共同で公開講座を開いたことはすでに述べた。

 

札幌I会という医療法人が経営している病院で、その理事長はAという。

 

この人物が医師会の面々に蛇蝎のように嫌われていたのである。

 

Aは医師ではあるが経営者として見たほうがいい人物で、医師として見ると「許せない」という評価を下されても仕方のないような男である。

 

私も詳しくは知らないが、要約して言えば「医療を金儲けのためとしか考えていない」やつだということのようだった。

 

PETを導入したのももちろん金儲けのためである。

 

「あのAとつながりがあるように見られては医師会の中でいらぬ目で見られる」

 

多くの病院がそう言って私たちの会報誌を置くことをためらった。

 

これは後に知ったのだが、三木が札幌に支部を開設しようと考えたのは札幌新世紀病院でPETを導入するという話を聞き付けたからなのであった。

 

「東京に本部を置いた。九州には母体がある。あと残るは北の北海道」などという理由で札幌に支部を開いたのではなかった。

 

三木は札幌に入ると札幌新世紀病院のA理事長に接近し、札幌新世紀病院の密かな外部団体を作り、そこでPET受診者を掻き集める構想を語った。

 

「だから資金を出してくれないか」

 

A理事長は心が動いたようだったが、残念ながらそんな資金は捻出できなかった。

 

札幌新世紀病院はものすごい赤字を抱えていたのである。

 

PETをフル稼動させても借金返済は追い付かず、この時期から約半年後、札幌新世紀病院は倒産してAは理事長を追われる。

 

そういう経営状態だからAは三木の要請を断った。

 

「協力はするが、その団体の設立と運営は自腹でやってもらいたい」

 

こうして誕生したのが「日本PET for EBM 札幌支部」だったのである。

 

東京本部というのは名前だけであった。

 

患者会関係の有力者に頼んでその有力者の事務所に電話だけ引かせてもらっていたようだ。

 

ちなみに、この時期から間もなく、その有力者は三木のたくらみに気付いて役員を降りる。

 

そのため東京本部の電話は消滅し、以後、東京本部は日本キャンサー協会の東京事務所に移った。

 

そこに電話すると「日本PET for EBMです」と出る。

 

試しに私は「日本キャンサー協会は?」と聞いた。

 

すると「はあ?」と聞き返された。

 

日本キャンサー協会などは存在しないのだとそのとき思った。

 

昔はあったのかもしれない。

 

しかし、三木が札幌に渡ったときにはすでに消滅していたのではないか。

 

三木がPETに目をつけて金儲けを画策したのは、日本キャンサー協会を失って新しい事業の道を探していたからかもしれない。

 

それはともかく、「日本PET for EBM」はまさしく孤立していた。

 

資金支援者ゼロ、大金をかけて行った事業は大失敗、業務を進めようにも四面楚歌で誰も相手にしてくれない。

 

ここに至って三木は札幌新世紀病院との関係を捨てることを決め、道内O市にもうすぐオープンするH病院と本州の2、3の病院にターゲットを変更した(ちなみに、道内O市にオープンしたこのH病院のK理事長が後日、贈賄容疑で逮捕された。PET検査施設を導入するような人は良い意味でも悪い意味でも何か大きなことをする思い切ったタイプなのかもしれない)。

 

そのためスタッフを各病院の近郊に転勤させると言い出した。

 

ひとりはO市近郊に転勤してもよいと承諾した。

 

が、他の職員はみな尻込みした。

 

この時点で職員の給料も満足に支払われなくなっていた。

 

そんな状態で遠方に飛ばされたら見殺しにされると誰もが思った。

 

そのためこの話は一向に進まなかった。

 

新玉川温泉に泊まり込んで受診者をどんどん確保する手も当然検討されたが、そのころには、未払いがあるため旅行代理店からチケットを買うことができなくなっており、職員は身動きさえできない状態に陥っていた。

 

私は三木に辞意を伝えた。

 

理由は「給料が安くて生活できない」にした。

 

「あなたを信用できないから」とか「この団体には将来がないと思うから」などと言うと話がややこしくなる。

 

話は簡単に決めたかった。

 

引き止められたものの、結局はあきらめてくれた。

 

実はあきらめてなどいなくて、うまく釣れば辞めないだろうと高をくくっていたらしいが、私は本気だった。

 

これが入社してまだ1ヵ月と少ししか経っていなかいころだった。

 

私は月日を言って「その日で辞める」と宣言した。

 

その後、辞めるまでにどうでもいいバカな仕事をどんどんやらされた。

 

「こんなに私に仕事寄越さないでくださいよ」と私は抗議した。

 

「私は来月で辞めるんですよ。中途半端になると申しわけないから、これとこれは外注してくださいよ」

 

それでも三木は薄笑いを浮かべながらどんどん仕事を作った。

 

仕事を与えていれば辞めないだろうと三木は思っていたようだ。

 

しかし私はそれらの仕事をさっさと片付けていった。

 

出張中の三木から札幌支部に電話が入った。

 

「口座作って」

 

支部長はそう言われた。

 

「日本PET for EBM」の銀行口座を作れというのだ。

 

「銀行口座がなかったのか……」

 

それを聞いて私は呆れた。

 

どうやって取り引きしてきたのか。

 

ともかく支部長は早速、口座を開いた。

 

すると、その口座にすぐさま40万円ほどの入金があった。

 

三木からだった。

 

出張から戻った三木は経理の女性に笑顔で言った。

 

「これでしばらくは安心でしょ? 5万くらいまでならあなたの判断で出していいからね」

 

三木はやけに機嫌がよかった。

 

「あとねー。君たちにはディズニーランドに行かせてあげるからねー」

 

と三木は女性陣2人に向かって言った。

 

(ホンマかいな?)

 

私と支部長は顔を見合わせて驚いた。

 

旅行代理店数社が揃ってやってきた。

 

もちろん、未払いの金をいつ払ってもらえるのか確認しにきたのである。

 

「いやー」と三木は満面笑みでそう言って頭を掻いた。

 

「置き引きにあったんですよー、置き引きですよ!」

 

旅行代理店の人々は何を急に言い出すのかと怪訝な表情になっている。

 

「ほら、私がいつも持ち歩いているあの茶色の大きなカバン。宮崎空港で置き引きにあったんですよー。昨日のことでしてねー、ちょっと売店に立った間にやられたんですね。慌てましたよー。何しろ全財産が入ってたんですからー」

 

「え?」

 

旅行代理店の人々の背筋が伸びた。

 

「それでですよー、警備員に駆け寄って、早く捕まえてくれって頼んでるのに、バッカな警備員で、じゃ警察に連絡しましょうなんて言うわけですよー。そんなことより早く追いかけてくれっていうんですよね。そんなことやってるうちに犯人は逃げちゃいましたよー」

 

「………」

 

「それからがまた大変ですよー。警察に行って長々といろいろ聞かれてですねー。もう疲れましたよー」

 

三木のひとり芝居は見破られていたと思う。

 

しかし証拠がないので旅行代理店の人々は黙っていた。

 

「まあ、でも何とかします」と三木は声のトーンを落としてそう言った。

 

「お支払いするつもりで掻き集めてきた全財産が盗まれてしまったわけですからねー、すぐにはどうにもなりませんけど、必ず支払いますから。ちょっと時間をいただけませんか」

 

そう言われて旅行代理店の面々はやむなく帰っていった。

 

それから三木は私たち職員の前でも置き引きされたひとり芝居を演じ続けたが、誰も信じなかった。

 

いや~なその空気をさすがに察したのか、三木はみんなに向かって突然、こう言った。

 

「カラーコピー欲しくない?」

 

「は?」

 

「ねえ、○○さん」と三木は私に矛先を定めた。

 

「会報誌やホームページ作っていると、カラーコピーがあると便利でしょう。レーザープリンターなんかもあったほうがいいんじゃないのー?」

 

「はあ」

 

すると彼はゼロックスに早速電話し、カラーコピーのできるレーザープリンターを注文した。

 

「大丈夫なんですか?」と私が思わず聞いた。

 

「何が?」三木はとぼけてみせた。

 

「何も心配いりませんよ。前に言った製作料もちゃんと払いますからね。○○さんはかなり貢献してくれているので、特別ボーナスも用意しますよー」

 

翌日、最新式のカラーコピー機がオフィスに運び込まれた。

 

その後、私の辞意が堅いと知った三木は私が辞めることをしぶしぶ了承し、しかしその後も外部スタッフとして協力してほしいと言ってきた。

 

「報酬はきっちり支払います。時給1,300円でどうですか? 交通費は別に出します。支払いは日払いでしますから。ね、頼みますよー。お願いしたいときは電話しますからー」

 

「できる範囲で受けましょう」と私は答えた。

 

日当できちんと支払ってくれるのならやってもいい。

 

しかし、三木は本当に支払う気があるのか?

 

ないだろうなと私は思っていた。

 

あれこれと理由をつけて支払いを遅らせ、うやむやにしてしまうに違いない。

 

その月の給料がきちんと支払われたら考えてもいいと私は思った。

 

私は最後の日まできっちり働いた。

 

最後の仕事に手間がかかり、最終日にようやく仕上げることができたのだった。

 

仕事を終えたのは深夜だった。

 

男の職員ひとりだけが残っていた。

 

「お世話になりました」

 

「いや、こちらこそ」

 

「○さんはここでまだ働くつもりすか?」と私は聞いた。

 

「危なそうなところですけどね。ま、私は私の本分を尽くして、できるところまでやってみますよ。危なくなったらサッサと逃げます。逃げ足は早いですからね。ははは」

 

「そうですか」

 

私は彼が三木を信用してこの先も働くのなら犯罪に巻き込まれるのではないかと心配していたのだが、彼は三木の正体を見破っているようだったのでやや安心した。

 

こうして私は「日本PET for EBM」を退職した。

 

その後、「日本PET for EBM」から何度か電話が入った。

 

私は出なかった。

 

仕事の依頼だと思ったからだ。

 

給料がきちんと振り込まれるまでは無視する。

 

そう決めていた。

 

その月の給料日に「日本PET for EBM」からの給与振り込みはなかった。

 

私は三木の携帯に電話し、留守録にメッセージを入れた。

 

間もなく三木から電話が入った。

 

「給料のことでしょう?」と三木は言った。

 

「そうですよ。いつ振り込んでくださるんですか?」

 

「いま大変なんですよー。わかっていますでしょう? 旅行代理店や広告代理店に支払う金の工面で全国を飛び歩いているんですよー。だからちょっと待ってくださいよー」

 

「待てませんよ。こっちにも生活があるんです」

 

「いつまでなら待てます?」

 

「明日ですね」

 

「それは無理ですねー。今週……いや、来週頭なら何とかなるかもしれません」

 

「月曜ってことですね?」

 

「まあ、そうですね」

 

「じゃ、そこまで待ちましょう。それ以上は待ちませんからね」

 

しかし、翌週の月曜にも振り込みはなかった。

 

以来、三木からの連絡はない。

 

私から何度か携帯に電話したがいつも通じなかった。

 

留守電機能が解除され、メッセージを入れることもできなくなっていた。

 

4ヵ月後、元支部長からメールが届いた。

 

こんな内容だった。

 

「ご無沙汰しております。先日、○○旅行社の担当者から連絡があり、三木が九州で逮捕されたそうです。そのうち札幌での詐欺についての捜査で事情聴取があるそうです。とりあえずご連絡しておきます」

 

私が辞める少し前、支部長は、三木は航空チケットを換金することで運営資金を捻出しているのではないかと私に語っていた。

 

旅行代理店の担当者はチケットの未払分が数百万円分あると言ったという。

 

1社でそれだけだから、数社分を合わせれば1,000万円前後のチケットを購入していたのではないかと彼は想像していた。

 

もちろん、そんなにチケットを買う必要があるほど航空機は利用しなかった。

 

そのほとんどは換金されて団体の運営資金に化けたのではないか。

 

支部長のその予想は十分にあり得る話だった。

 

三木は支払えないと知ってチケットを購入していたはずである。

 

とすれば詐欺だ。

 

「やっぱり詐欺師だったのか」

 

それにしても、旅行代理店というところは素性も知れない人間に対して高額のチケットを後払いで売るものだろうか。

 

旅行代理店は、三木の何かを信用したからチケットを売ったのに違いない。

 

その「何か」とは何だったのか?

 

日本キャンサー協会だったとはどうも思えない。

 

実体のない団体だったと思うからである。

 

「NPOという名前か?」

 

そうだったのかもしれない。

 

NPOという名前には人を信用させてしまう響きがある。

 

しかし、そのNPOというのも実はウソだったことを、この後に私は知った。

 

申請中というのもウソだった。

 

三木というこの男に、北海道新聞社も見事に騙され、旅行代理店も広告代理店もゼロックスも騙され、そして私たち職員もまんまと騙された。

 

実体のない団体に振り回されていた。

 

三木は今ごろ塀の中でほくそ笑んでいるだろうか?

 

それともあの男のことだからもう塀から出てきて、新たな詐欺ネタを物色しているであろうか。

 

なお、これと同じ小文はホームページ『Zensoku Web』「喘息でも元気だ!」の「私の最近の転職歴」とブログ〈Zensoku Web〉にも載せている

 

 

【ダイエット記録】目標達成体重より0.0キロ増えた。