《2024年5月7日》ー「アントニオ猪木vs.ウィリー・ウィリアムス」は八百長 | aichanの双極性日記

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私が二十数歳だったから今から45年くらい前、日本のプロレスラー「アントニオ猪木」が極真空手の「“熊殺し”ウィリー・ウィリアムス」と闘った。

 

私は一瞬で勝負がつくと予想していた。

 

“熊殺し”ウィリーが勝つと信じていたのだ。

 

“熊殺し”ウィリーのパンチか蹴りでたちまち猪木は倒れるとみていた。

 

ところが、テレビで試合を見ていると、ウィリーのパンチも蹴りも緩やかで、「あんなパンチや蹴りなら俺にだってできるぞ」と思った。

 

そんな攻防を見ているうちに「なんか変だな」と感じた。

 

それもそのはず、あれは八百長試合だったのだ。

 

 

ウィリーは極真空手をやめてプロレスラーになりたがっていた。

 

猪木は、最初はウィリーを軽視していたが、グリズリーを素手で殺したその実力を知るにつれ、これはやばいと思ったらしい。

 

それで八百長が決められた(ちなみに、猪木がやっていた「格闘技世界一決定戦」のほとんどは八百長。唯一、真剣勝負だったと思われるのがモハメド・アリとの試合だ)。

 

「猪木・ウィリー戦」をプロデュースした元極真の黒崎健時と梶原一騎がその采配を振った。

 

黒崎と梶原は当初からこの試合を八百長にすることに決めていた。

 

ウィリーもそれを知っていた。

 

ウィリーは、猪木と試合をするなら破門すると故大山倍達(極真会館館長=当時)に言われたが、それでも猪木戦を希望した。

 

大山はやむなくウィリーを破門した。

 

その2ヵ月くらい前、極真会館主催の「世界空手オープントーナメント」にウィリーは出場したが、その期間中に大山から「オープントーナメントでは負けろ」と命じられたらしい。

 

それでウィリーは頭に来て、「オープントーナメント」の途中から反則を繰り返して反則負けになった。

 

反則負けになっていなければウィリーが世界チャンピオンになっていただろう。

 

そうなると困るのが大山である。

 

もしウィリーが猪木に負けた場合、極真の選手は誰も猪木に敵わないということになってしまう。

 

それで破門したのだ。

 

組織というのは恐ろしい。

 

 

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