瀬戸内海の名船6~関西汽船の名脇役 | ふねきちのブログ

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たまには、料理なんかも載せてます。



 ニコニコ仕事が忙しく、なかなかブログが書けない日々ですが、ようやく年明け2回目の更新です。

 船今回は、昭和40年代の関西汽船の名脇役達の登場です。関西汽船といえば、くれない丸に始まる、すみれ丸やこばると丸の豪華観光船が有名ですが、当時、普通船と呼ばれる、脇役の船たちを忘れてはいけません。

 船上の時刻表は、昭和45年の関西ー別府航路、上りです。別府航路の観光船3便に加え、普通便1便と、北九州航路の普通船1便が載っています。

 ニコニコ右のパンフレットには、くれない丸が登場する前の観光船で、2000トン級の‘るり丸’‘こがね丸’‘にしき丸’、1000トン級、普通船の‘さくら丸’‘あかね丸’‘あけぼの丸’が記載されています。

 船左の写真は、2000トンの‘るり丸’です。観光船、くれない丸、むらさき丸の登場で、普通船として、関西ー別府航路に就航していましたが、こばると丸、あいぼり丸が昭和42年に登場後、高松航路を経て廃航となりました。こがね丸、にしき丸も同じ経緯です。

 ニコニコ次の写真は、1000トン級のさくら丸です。あかね丸、あけぼの丸と共に、阪神ー北九州航路を最後に、昭和48年、廃航となりました。

 船その後、小倉航路は、松山ー小倉間のフェリーに変わりました。当初は、今治ー松山ー小倉の計画でしたが、今治港のフェリー岸壁整備遅れで、結局、松山からになりました。

 ニコニコ右の写真は、修学旅行専用船のわかば丸です。昭和40年代終わりまで、四国の小、中学校を中心とした、修学旅行に活躍しました。

 温泉私も小学校の修学旅行で、今治から別府に行きました。

 船その他にも、関西ー四国ー別府航路には、臨時便や大型船のドック入りの代船として、太平丸や、ひかり丸、平和丸も記憶しています。

 ニコニコ私の故郷、今治港の第一桟橋には、多い時には、3艘もの、これらの船たちが、接岸して、桟橋いっぱいに人があふれていました。

 ニコニコ昭和30年から、50年の瀬戸内海が最も華やいだ時代に、活躍した船たちです。