幸せとは何か
幸せになりたいと願いながら
幸せが何なのか分からない
幸せが何か分からないから
歩む道も分からない
ただ漠然と幸せになりたいと願う
そして幸せじゃないんだという
思いにだけ目を向ける
そして旦那が子供がと
悪いのは他人や環境のせいにし
自分は悪くないと
現状を変える努力をしない
誰かのためだと生きてきたつもりで
自己犠牲的な愛を押し付け
私はこんなにもしてあげたのにと
見返りを求め…
それは自分の人生を他人に任せ
無責任で自分の事しか考えてない
自分勝手なのです。
私はそんな人生を長く歩んできた気がします
自分の人生は自分が主人公
見える世界は自分が決めているんです
自分が一生懸命に生きなくて
誰が私の人生を歩んでくれるのでしょう?
今この時この一瞬を一生懸命
生きていきたいです。
喧嘩したら謝りたくない!
なんだか負けた気がして癪にさわる!
旦那さんは敵じゃないんだよ
負けるが勝ちだよ
上手く手のひらで転がしなさい
なんてよく言われてましたが
頭でわかってても出来ませんでした
旦那さんが帰ってきたら
急いで「家事してます」風に立ち上がったり
帰ってこなければ気が楽なのに
と思ったり。
全て愛してほしい、認めてほしいがために
頑張っていたんです。
頑張るために頑張る
そして幸せになるのは怖い
自分でもかなり衝撃でした…
もう本末転倒
同じ所で足踏みをして
一向に進まない!
私頑張って歩いているのに。
でも足踏みもやめられない
進んでないんだから。
って言ってるのです
もう本当に何をしているのか
わかりません
そしてそんな状態に疲れていたのです
疲れてやめたいのにやめられない
だって旦那さんは認めてくれない
だから旦那さんが敵になっていたのです
認めてくれないのは旦那さんのせい
私は頑張っているのに…
旦那さんが認めてくれようがくれまいが
関係ないのです
私自身がこのままの自分を認めてない
だからいつまでも認めてくれないと感じる
眉間にシワを寄せて足踏みしてた
もう1人の心の中の私は
疲れ切った顔をして膨れっつらをしていました
よく頑張ったよね
お父さんに認めてもらう為に
旦那さんに認めてもらう為に
本当によく頑張ったよ
もう大丈夫
頑張らなくてもいいよ
口にするだけで涙が出てきました
そうすると
旦那さんに対する敵対心も
少なくなったような気がします
もう頑張る必要がないんだね
心の底から感じます
もしも今現状から動けてない
そう感じるなら
自分の行きたい先が
本当は違うのかもしれません
設定した 目的地が違うのに
到着するわけないんですよね
でも1人では
なかなか気づきません
そんな時は誰かに手伝ってもらう
本当にカウンセリングはすごいなと感じました
誰かを認める、誰かを好きになる、
誰かを嫌いになる、
誰かと一緒にいて楽しい、
誰かと一緒にいたら鬱陶しい、
誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、
誰かとすれ違う。
それが生きる。
自分たった1人じゃ、
自分がいるって分からない。
引用『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)
どんな人生でも
どんな環境でも
生きている。
そしてどんな人生でも
そしてどんな環境でも
幸せなのか不幸なのか
決めるのは自分自身。
生きている
その事が素晴らしいことのように思います
人は1人では生きていけない
どう感じどう生きるのか
そう思うと1日1日が大切な時間で
私の感情を蔑ろにする
そんな事は出来ないなと。
みんながいて私がいる。
その事に感謝です。
あい