本日は令和3年1月7日

七草粥の日です🍀

朝、七草粥を召し上がりましたか🍀

実は、

1月7日七草粥の始まりも、

ホツマツタヱの中に書かれてあります🌿

ホツマツタヱ 御機(みはた)の十九(そこ)(下)

馭の典 照妙の文(ののふみ てるたえのあや)のはじめに。

「 辛酉 五十八年 春の初日(正月元旦)に、

皇子ヲシヒトに日嗣を譲られ

伊勢のイサワの宮にお暮らしになっていらっしゃったアマテル大御神のもとに、

シラスミ(筑紫)のヲヲクマドが

ひつめアヲコマ(黒味を帯びた美しい毛並みの駿馬)を奉りました。

 

ヲヲクマドから贈られた ひつめアヲコマにアマテル大御神は、

興趣を誘われ

をもしろくおぼしめし、返礼の御饗(みあえ)の席をつくられました。

その御響の席で振る舞われたのが、

今に伝わる 七草粥の起源と思われる

ゴゲウ  ハコベナ  イタヒラコ

ススナ  ススシロ  スセリ

ナツ

この七草 で、

怪鳥や毒鳥による皮膚病も除くなり」

と書かれています。

七草は、

せり  なずな  ごぎょう はこべら  ほとけのざ

  すずな  すずしろ

で、

ほとけのざ は、キク科のタビラコの別称で

イタヒラコが、これにあたります。

 

1月7日の七草粥の日は、

お正月のご馳走続きで弱っている胃腸を七草を入れたお粥を食べて、

消化を助け、一年の健康を祈る、大切な日

と、幼い頃、私は両親に聞いていました。

そして、母と一緒に、7日の早朝、畑や野辺で七草を摘み、

 

「 七草なずな、唐土の鳥が 渡らぬ先に、

ストトントン。ストトントン。」

と、歌いながら、

毎年、まな板の上で、トントンと音を立てて小さく切り、

炊きあがった白粥に、パァっと入れてひとかき混ぜて、頂いておりました。

母と一緒に作る七草粥。

香りがよくて大好きでした🍀🌿✨

 

芹、なずな、ごぎょう、はこべら、

ほとけのざ、すずな、すずしろ、

これぞ 七草🌿

 

私の手元にある中島須美子先生の

『 暮らしのマナー』のご本にも、

七草の薬効の説明のところに

(平安時代以前に中国から伝わってきました)という様な内容が書かれてあります。

でも、違うのです。

もう、アマテル大御神の御世におもてなしのお料理として作られ

食されていたのです🌿

ホツマの時代から、七草粥は連綿と伝えられて

私共の暮らしの中に生きていたのです。

感動しませんか🍀✨✨

因みに、アヲコマは、青駒。

現代では、俗に 青 アヲ は、

馬一般の代表名としても用いています。

そして、

宮廷年中行事のひとつ  

白馬節会(あおうまのせちえ)は、

正月七日 朝廷で 左右馬寮から白馬を庭上に引き出して 

天覧の後 群臣に宴を賜う儀式で、

白馬なのに あおうま・・と読ませて、

1月7日に、この節会がなされているのは、

このヲヲクマドが アヲコマを奉ったこの日のことから始まると考えると、

こちらも、ドキドキするほど感動するのです。🇯🇵✨✨

皇居勤労ご奉仕に伺いました時、

皇宮警察騎馬隊の、お公家さんの様に美しいやわらかな方が、

白馬に乗って皇居の中を散歩させていらっしゃって、

お側に寄らせて頂き、お話をお聴きすることが出来ました。

十九アヤに書かれている馬の育て方など、

その時にお聴きしたお話と重なり 繋がり 

益々 ホツマツタヱの素晴らしさを感じます。

本当に感動します。

 

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