先週に引き続き、動物とのご縁シリーズ第2弾です。

いきなりの強烈な写真ですみません。

私がわが家の2匹目の猫となるヘムヘムをネットで初めて見つけたときの写真です。

今から思えばなんとも酷いご面相なのですが、当時の私はこの写真を見た時、言葉にならない愛おしさが沸き上がってきたのです。

 

前年に猫ボラさんから譲渡して貰った保護猫のあふと暮らし始めていたのですが、どうも彼と同じ種のようなので、これはぜひわが家にいらして頂ければ良いのだがと、毎日のように気になってサイト訪問致しておりました。

伴侶に「あふとおんなじ種族やし、連れてきたいねんけど、どうやろ?」と問えば、「あふと上手く行くのであれば・・・」と少々引き気味。

わが家で駄目なら他にだれか優しい猫好きはいないものかと、わが家を訪れる友人知人に進めてましたが、軒並み「いやぁ、この子は無理ですよ~」の拒否反応。

「え~、なんで?この子はなかなか可愛いでないの」。

「いやいや、フツーは可愛いとは言わないのでは・・・」。

 

確かに一般的尺度からすると、この時点において見た目は決して可愛いタイプではないかも?

しかし!醜いアヒルの子という話もあるではないか!

目先のラッピングばかりに気を取られおって、なんでこの子の真の愛らしさが解らんのだっ!とあさって向いた攻撃性に苛まれ、寝ても覚めても彼女のことが気にかかって眠れない。

とうとう忍耐も限界!

 

翌日、伴侶の危惧を押しのけて猫ボラさんのところに会いにいきました。

猫ボラさん曰く

「なんだか今日はとてもはしゃいでますね」。

猫ボラさんのところでかなり毛も生え、さらに可愛く(私から見てですが)、これはもう、うちの娘にするっきゃない!

帰りに無口な彼女が大きくひと声「ニャ~~~っ!」。

しっかり絆ができました。

 

 

猫ボラさんのところの坊やがつけてくれたヘムヘムという名前も可愛いので、そのままにし、再会を約束し意気揚々と帰宅。

伴侶の危惧もなんのその、避妊手術を終えて2週間後の再会は一生で何度目かの超ワクワク気分でした。

猫ボラさん曰く

「この子は貰い手がないとあきらめてましたが、本当に良かったです」。

いやいや、こちらこそ本当に良かったです。

きっと彼女が私を選んでくれたと思います。

 

ヘムヘムとの希有な出会いは、なにを隠そう”ご縁”としか言いようがありません。

今まで暮らした犬7頭、猫3匹中、彼女は唯一の女子。

伴侶が亡くなる一年ほど前にヘムヘムは軽い脳卒中で首が曲がってしまい、歩くのもおかしくなったのですが、マッサージやエッセンスでなんとか良くなり、伴侶亡き後も一年近く頑張って一緒にいてくれました。

 

 

2015年から2年続きで立て続けに、あふ、母、伴侶を亡くし、悲嘆にくれていた私への彼女の思いやりだったと思います。

が、私の自立を促すべく「もう、そろそろひとりで頑張りな!」というかの如く2017年の1月に逝ってしまったヘムヘムですが、すっかりひとりぼっちになってしまった私のために、それ以後も諸っ中夢には出て来て慰めてくれました。

これって、やっぱり強烈なありがたい”ご縁”です。

 

彼女はわが家に到着したその夜から即、一緒に寝てくれました。

それまでは先住猫のあふくんと一緒に寝ていたのですが、彼も実に優しい子でなんの文句もなく寝床を譲ってくれました。

その後もまるでストーカーのように一定距離でつきまとうという挙動不審に及ぶほど、私以上に彼女との同居を喜んでくれました。

同じく先住犬の櫂もこれまた優しい犬なので、実に自然にまたまた家族が増えて楽しい我が家となりました。

 

ひと月ほど後のヘムヘム

 

ヘムヘムは6年間もゲージに閉じ込められていたので、後ろ足の発達が芳しくなく、最初はおかしな歩き方でしたが、ひと月ほどでかなり普通に歩き走れるようになり、一安心。動物の回復力は本当に素晴らしい!

しかしまあ、6年間もゲージに入れられっぱなしで、トリミングの練習台にされていたとは・・・。

体中に小さな傷跡があったのを見たときは思わず涙ぐんでしまいました。

ある種のニンゲンって本当に残酷なことができるものです。

 

そんな彼女も、もののひと月でこんなに可愛くなりました。

 

やっぱりホントはこんなに可愛かったんだ!

 

あふはもっとベタベタしたいようですが、ヘムヘムはとてもクールなタイプ。

それでもすっかりあふや櫂とも適度な距離感での良い関係。

 

 

毛もだんだんと生え揃い、まるで仔猫のような愛らしさ。

 

初めはやや戸惑っていた伴侶もすっかりデレデレ。

毎晩一緒に寝るようになりました。

 

 

まあ〜〜、なんということでしょう!!

一年後には、こんなに気高く麗しい女王様に!

これが彼女の本来の姿なのですね〜。

 

匠の技は、ひとえに”愛”です。

愛はなによりも強し!なのです。

”愛”はすべてのバランスを整えてくれる素晴らしい栄養剤です。

人も動物も本来豊かで美しい生き物です。

その豊かさと美しさを育んでいくのは、ひとえに決して見返りを期待しない”愛”だと思っていますす。

 

5/31~6/6のお告げ

WHITE BUFFALO

ホワイトバッファロー

今週はバランス感覚を大事にして下さい。

本来私達は豊かさを与えられ常に護られているのですが、往々にして私達の煩悩がそれを阻んでしまいます。

多くの人たちがこういう場合はああしてこうして、こんな風になると困るからこうしてああして、仮にこうなったらどうすこうする・・・、起こって来たことに対処するならまだしも、未だ起こってもいないことにも常に気持ちを傾け、無駄なエネルギーを浪費しています。

 

動物は”今”を生きます。

その場その場で的確な判断をします。

どんな状況、状態も受け入れ、それから直観的に判断を下します。

 

今の時代は実に不安定です。

不安と恐怖が世界中を支配しています。

情報に惑わされないようにと言っても、なかなかそれを実行するのが難しいようです。

ニンゲンは言葉で思い、考える生き物です。

そしてネガティブな言葉をより信じます。

テレビやメディアの不必要な情報は出来るだけシャットアウトして下さい。

自分にとって必要な情報は自然に入ってきます。

 

言葉を信じるのであれば、出来る限り明るく前向きになれる言葉を駆使して下さい。

自分にピッタリくるアファーメーションを朝夕、唱えることも効果的です。

そして、このカードに描かれているホワイトバッファーローに変身している状態をイメージして下さい。

自分の能力がアップしていく様子と共に揺るぎない大地を感じて下さい。

あなたは常に豊かであり、優しく力強い愛で護られています。

”愛”がどのようなものか物理的に理解できなくても、これは揺るぎない真実です。

愛と癒しのエネルギーは常に宇宙に満ち溢れています。

それを素直に受け取って下さい。

愛のエネルギーに全託することが、自分というかけがえのない存在のバランスを保つ秘訣です。

 

 

数日前の夜中のこと。

熟睡していたら、ベッドの右下から「ニャア~~!」という大きな猫の声で飛び起き、朦朧としながら「えっ?ナニナニッ?」とつぶやきながら猫を探し廻るという体験をしました。

しばらくして「ああ、夢だったんだ・・」と正気に戻ったのですが、あまりにもリアルな鳴き声でひとくちに夢とも思えず、

その日のお昼過ぎに猫の味方ネットワークさんhttp://nekomi60.web.fc2.com/

に電話をしてみたらばなんとまあ、あまりのグッドタイミング。

「あら~、今たまたまイヴくんがここにいるんですよ」と、FACE TIMEでの再会をさせて貰えました。

 

先月上京の折りに訪れた西武秩父の

猫の味方ネットワークさん(ブログアドレスhttp://ameblo.jp/nekonomikata/

のところにいたイヴくんの遠距離里親になり、帰宅してからは彼のことばかりを想っておりました。

したらば、さすが猫のテレパス能力。

私の想いをしっかり受け止めてくれたんだと納得でした。

 

 

私と動物との縁は、多分過去生からずっと続いている深く永いご縁のように思います。

今生に至っても沢山の犬猫たちと同居のおかげで、彼らからは本当に多くのことを学ばせて貰えました。

幸いなことに我が伴侶も「五代将軍綱吉さまやねえ〜」と言えるほどの、私に負けず劣らずの動物好きだったことは感謝に絶えません。

わが家では彼らにはまったく”躾”と言われる”強制”をせずでしたが、殆ど問題はありませんでした、ってのは嘘ですけどね。

悪戯をしようが(酷いときには伴侶が創ったばかりの作品をメチャクチャにしたこともあります)、はしゃぎ回ろうが、なんらかのトラブルがあってもまったく怒らない人で、私が怒り狂って本気で犬とバトルをしていると「もともとカルチャーが違う種と我等が勝手に同居してんねんから、こっちの都合ばっかりを押し付けたらアカンのんちゃう?」と、なんとも寛大なお方というか・・・、でした。

 

 

確かに彼らとは本来カルチャーが異なってはおりますが、やはり一緒に暮らしている限りはこちらのルールも護ってもらわねばスムーズな生活が営めません。

結局解ったことは怒ったり強制は無意味(童話・北風と太陽ですな)。

より良い関係性を保つには根本的に彼らに理解、納得して貰うことが最も大事。

そのためには深い洞察力を持って、彼らを観察、理解し、どうすればスムーズなコミュニケーションが取れるのか、どうすればこちらの想いを伝えられるのかなどなど、書籍を初め、直接体験を重ねつつ、試行錯誤を繰り返しという試練をつつがなく経験させて頂きました。おかげさまで彼らにはいろんなことを大いに学ばせて貰ったという次第です。

 

その結果、すべてにおいてとにかく気長になりました。

人に対しても鷹揚になりました。自分の今を大事にするようになりました。

烏や猫、蜂などという他の生物とのコミュニケーションもし易くなりました。

物事に対しての観察力と洞察力が深まりました。

世界が広がりました。ありがたいことです。

 

今はひとりになり、触覚的モフモフを体感することはできませんが、彼らとの思い出に心のモフモフを愉しませてもらっています。

 

5/24~30のお告げ

TRICKSTER

トリックスター

 

 

今週は物事の本質をしっかりと見極めることが大切です。

そのためにはラッピングで飾り立てられたものには要注意です。

例えば、名刺の肩書きや世間的知名度、一見まことしやかな情報などに惑わされないように、観察力と洞察力を最大限に鍛えることが重要です。

 

人は押し並べて雰囲気に弱く、体制にいとも簡単に押し流される生き物です。

そして良くも悪しくもニンゲンには言葉があります。

しかしこの共通言語としての言葉が逆に弊害となることが多々あります。

”林檎”というポピュラーなワードを100人が耳にして、100人全員がまったく同じ”林檎”をイメージする訳ではありません。

それぞれがそれぞれの勝手な”林檎”をイメージし、食い違っていてもお互いに解った気分で押し進め、気がつくとまったく違ったということが日常的に起こっています。

”林檎”を論じるとすれば、まずその”林檎”そのものの定義をお互いの共通認識とし、その定義をベースに会話していくことが誤解を生じさせないための当然のプロセスです。

 

一昔前はなんらかの”疑問”を今のようにスマホで即解決というわけには行かず、内容によっては体力気力を駆使し、納得の行くまで調査、探究するということが当たり前のことでした。

しかし今の時代はSNSという便利さがますます、深い理解力と洞察力を麻痺させています。どのようなツールも使い方次第で益にも害にも成り得ます。

 

深い理解力と洞察力を養う最も簡単な方法は日常的に深い腹式呼吸をすることです。

これによって身体の中心である丹田が鍛えられ、頭脳もクリアーになり、気持ちも安定しどのような事態が起ころうとも常に冷静沈着な判断が下せるようになります。

 

言葉を曖昧に受け取らない。表面的な言葉を信頼し過ぎない。

今週は何ごとに於いても物事の本質を時間をかけてしっかりと見極めるようにして下さい。

 ”Mothers'day”に息子が送ってくれた珈琲とオーガニックな焼き菓子のプレゼント。

美しく、美味しい、本物の味でした。

 

 

中学生のころに美術の先生の弁で「骨董品屋の跡継ぎを育てるには本物だけを見せ続けると、放っておいても真贋が解るとか」というフレーズがずっと心に残っています。

今の世の中、なにが真でなにが贋かを見極めるのはなかなかに難しい。

 

今朝ほど御歳98歳の父と電話で話しておりました。

父「昨日、ワクチンの予約受付の通知が来た」

私「副作用もキツそうやし、私的には止めたほうがええと思うけど・・・」

父「そやなあ~、ほんなら打つのん止めるわ。そやけどなにがええんかようわからんな~。生きるの止めたら迷わんですむのにな~、ハハハ(笑)」

 

私の”死”に対する個人的見解を語り始めると長くなるのですが、敢えて誤解を恐れずに言わせて頂くと98歳という年齢は仮にコロナに罹ったとしても、それはそれで受け入れるにやぶさかではない年齢だと思っていますし、多分本人もそう思っているはずです。

私はワクチンそのものに対して懐疑的なので、98歳にもなる人に効き目のほども不確かなワクチンを打ってどないすんのん、というのが正直な気持ちです。

 

 

知人の知り合いに何人か医者がいるのですが、その方々はそれぞれの思惑で全員がワクチン反対派だとか。

このような反対派の専門家の意見は表には殆ど出てきません。

知り合いの方がワクチンの予約受付の仕事をしているのですが、先日来より電話が鳴り続け、大半の人が我先に一刻も早く予約を受け付けよ!とヒステリックに騒ぎ立てるわ、泣き出す人もいるわというまるで戦場のような有様だそうです。

いやはやなにが真でなにが贋なのか、ここでも自分の選択眼を試されます。

 

 

先日、夕桜を観に行ったときのこと。

だれもいないにも関わらず、なんとな~くだれかの視線を感じて振り返れば、なんと桜の木の間に立っていた”木”と眼が合いドキッとしました。

 

 

そこでふと思い出したのが、かなり以前に伊勢神宮にお詣りに行ったときのこと。

停留所でバス待ちの人に道を訪ねたら向かい側の停留所から乗ると良いと言われ、そのまま道路を横断しようとしたら、その人にとても柔らかな口調で「そこから渡ったらあきませんよ、あっちの信号を渡らんと。神さんがちゃんと観てはりますよ~」と言われたことがあります。

壁に耳あり、障子に眼ありと申しますが、我等はいつ如何なるときもあらゆるところから観られているんだわなぁ、と今回も思わず居住まいを正してしまいました。

 

ひとりでいるときもそうでないときも、いつも自分の気持ちに正直でいることが真贋を見分ける奥義を会得できるコツのように思います。

”真贋”は言霊としての”心眼”に通じますからね。

 

5/17~23のお告げ

ANSWERING THE CALL

呼び声に応える

 

 

今週はメッセージに敏感になって下さい。

毎日、私達はなんらかのメッセージを与えられています。

嬉しいこともそうでないことも,自分に起こるすべての物事にはそのときの自分にとって必要なメッセージが潜んでいます。

今、とても厳しい状況にあるとすれば、その状況から送られて来るメッセージをニュートラルな気持ちで受け取り、客観的に観察してみて下さい。

そして、自分にとって最もより良いと思える選択をして下さい。

 

人生は山あり谷ありの血湧き肉踊るファンタジーです。

そのファンタジーをどのように愉しむかはすべて自分次第です。

今の世の中は大半の人たちが自分の人生を他人に委ねているようですが、厳しい時代であればあるほど自分の人生を自分が責任を持って選択しなければならないのです。

 

今の状況に多くの人たちが先行きに不安を感じています。

不安はさらなる不安を培養します。

不安に恐怖や心配という栄養素を与えることは、さらなるネガティブエナジーを呼び込みます。今こそ、ひとりひとりが心配や不安を払拭することがとても大切です。

創造主は決して命あるものたちを不幸にすることはありません。

私たちを不幸にするのは私たち自身です。

日々のメッセージに敏感になり、そこに真意を見出すことができれば”安心”という祝福を得られるのです。